にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

音読みか訓読みか

2010-05-23 09:36:00 | 日本語学
2012/01/27
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(12)ことばを知る

 春庭の言語文化トリビア知識。あれこれ気づいてそのときは「おもしろ~い」と思うのですが、知ったそばから忘れてしまうので、また同じこと知るとまた「おもしろ~い」と何度でも楽しめます。今年最初のことばの新知識。忘れないうちにメモしておきます。

 日本語の音読み、訓読みについて。
 日本には「yama」という言葉があり、同じ意味を表す中国の文字「山」が伝えられたとき、「san」という古代中国(南方地方の呉)の発音とともに、日本語の意味を表す「yama」とも発音することにした。これが訓読み。「花」は、Kaという古代中国発音と同じ意味の日本語、hanaとも発音する。(現代中国語では山はshan、花はfaと発音)。

 「紙」という文字の音読みは「シ」。訓読みは「カミ」と教わったので、留学生の漢字教育でもそのように説明してきました。しかし、中西進『日本文学と漢詩』を読んだら、中西は違う説明をしていました。
 カミKamiは、中国語「Kam」が、日本的な発音に変化したもの、というのが中西説。すなわち、訓読みのように見える「かみ」も、もとは中国語由来の発音だ、というのです。
 「紙」は、音読みはシ。中国では、文字を書く媒体を「簡kam」と表記した。同じ文字を書く媒体として輸入された紙も、日本では同様にkamと認識された。

 以下、春庭の補足。
 紙が発明される前は、インドではバイタラヨウの葉の表面をとがったもので傷をつけて文字を表し、中国でも最初は骨、継いで竹を薄く切ったものや木の皮などに文字を書き付けていました。
 kamとは、漢字で書けば「簡」であり、文字を書くために、竹を薄く切って並べたもの。竹と竹を繋いで、間に隙間がある。それが「竹プラス間=簡」

 古代の日本には文字がなく、それを書き付けるための木の皮も竹の薄片も必要なかった。大陸または半島から、日本に文字が直接入ってきたのは、金印を受けた九州の「倭の奴国王」や卑弥呼のころ。古墳時代になると、呪符としての文字が太刀や道鏡、土器などに刻まれるようになった、つまり土器の表面をひっかいて(かいて)文字の形を刻んだ。けれど、日本語として刻まれたのではなく、あくまでも呪力を持つ記号として。

 日本で初めて文字が刻まれたとき、それは土器に棒か何かのとがったもので、土器の表面をひっかいたものであったろう。だから、「かく」という語は、もともと「ひっかく、とがったもので傷をつけて印づける」ことであったろう。

 文字を書く媒体として「簡」が大陸からもたらされたとき、日本には文字を書くための媒体はなく、それを表すことばもなかったから、そのまま取り入れ「kam」という発音が伝わりました。しかし、日本語は開音節(必ず母音で終わる発音)であるため、kaは発音できるが、古代の人はmを単独の音として発音できず、iを付け加えてKamiとなった。

 以上が、Kamiと言う語の由来、中西進説。
 まとめると、「もともと日本には、簡も紙もなかった。簡が輸入されたとき、kamがkamiになって日本語に定着した。紙が輸入されたとき、書記媒体という意味から、同じようにkamiと発音した」。

 モノが外国から入ってきたとき、外来の語がそのまま日本語になるのは、今も同じ。テレビジョンは、電波映像受像器という翻訳漢語ではなく、日本人に発音しやすいように「テレビ」として受け入れ、パーソナル・コンピュータは、「個人用電気高速演算機」と漢語翻訳せず発音しやすい「パソコン」となる。(中国語は「个人电脑gèrén diànnǎo 」と翻訳した)。

 「紙カミ」は、もともと中国語、という中西の説、腑に落ちました。

<つづく>
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2012年01月28日


ぽかぽか春庭「ことばを楽しむ」
2012/01/28
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(13)ことばを楽しむ

 中西進は、日本には文字がなかったのだから、書かれた文章もなかったと考えました。中国語「文」が文字を連ねてまとまった事柄を表すものとして日本に輸入されたとき、文bumが日本語的発音になったものが文fumiだというのが中西説。

 以下、春庭補足。中国語の「文bum」が輸入されたとき、古代日本語の発音でpumとして取り入れ、mは単独発音できないので母音を付け加えpumiとなった。pの発音は奈良時代以後、fの発音に変化したのでfumi。
 m、b、pは、発音が移動し合う音です。(いずれも口唇音。samuiサムイとsabuiサブイはどちらも「寒い」を表す)。日本語では同じ「文」が古代中国語発音のままbumとも発音し、また、その変化形の「fumi」も使われているのです。(現代中国語で「文」はwenと発音します。韓国朝鮮語ではmun)。

 漢字の音読み、訓読み、このような基礎的なことでも、新しいことを知ると、とても面白く感じます。

 さて、「文fumi」には強いつもりの春庭、数字に弱い。
 漢字クイズをしていて、最後まで解けなかった熟語が「二一天作五」でした。「二一」と「作五」の間に「天」を入れるのができなかったのです。
 和語にも漢字熟語にも強いと自負していたのに、やはり、まだまだ修行が足りません。

 「二一天作の五」とは、算盤用語。
 小学校の算数授業で算盤を習ったとき、足し算引き算はなんとか覚えたのだけれど、かけ算割り算はさっぱり指も頭も動かなかった。
 だから、割り算のことばである「二一天作の五」も思い出せなかった。

 珠算での割算九九。10を2で割るとき、十の位の一の珠をはらい、桁の上の珠を一つおろして五とおく運算をしながら「二一天作の五」と唱えるのでした。
 この用語から、「物を半分ずつに分けること」や単純に「計算、勘定」のことを「じゃ、今日の飲み代は二一天作の五でいきましょうや」などと、言ったものらしい。

 今年も、忘れていたことば、新しいことば、どんなことばに出会えるでしょうか。テレビのクイズバラエティ番組をよく見ていて、そのとき知らない言葉があると、へぇ、知らなかった、と感心するのだけれど、すぐに忘れてしまう。メモをしておけばいいのに、このテレビを見終わったらメモしようと思っているうちに忘れてしまう。まあ、その程度の新知識だけれど、自分では「数字には弱いけれどことばには強い」つもりでいるので、せっせと知らない言葉をコレクションしていきたいと思います。

<つづく>
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2012年01月29日


ぽかぽか春庭「絵はがきをセッチョウする」
2012/01/29
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(15)絵はがきをセッチョウする

 子どものころ、本を読んでいたりすると夢中になってしまい、家の手伝いを忘れてしまうこともありました。私の分担は薪割りと風呂焚き。家の手伝いが疎かになったりするとよく父が「自分のことばっかりセッチョウしてないで、うちのことちゃんとやれ」と怒ったものでした。自分ではあまりこの「セッチョウする」という語を使ったことがないまま大人になり、東京ではさっぱり聞かない語になったので、群馬方言だろうと思っていましたが、確認することもないままになっていました。先日ふと気になって調べてみました。

 群馬弁と共通語彙が多い埼玉県秩父地方の方言にも「せっちょうする=世話する」という意味の語があり、関東甲信地方で使われていることがわかりました。
・千葉銚子せっちょー:いたずら。『支度』の意味もある。
・群馬・長野せっちょー:面倒、おせっかい、世話。
など。

 大辞泉、大辞林などに、古語の「せっしょうする」の語が変化したもの、折檻打擲(せっかんちょうちゃく)という語が略されたもの、という説がありました。
 「殺生せっしょう」から「せっちょう」になった、と言う説は、発音変化としてはわかるのですが、意味から言うと、ちょっと違う気もします。「こき使う→世話をする」という意味変化が起きたのかどうか。

小学館デジタル大辞泉「せっちょう(する)」:
 「せっしょう(殺生)」の音変化か。「折檻打擲(せっかんちょうちゃく)」の略とも》責め苛(さいな)むこと。こき使うこと。「ねぢ上げ、ねぢ上げ―す」〈浄・天神記〉
三省堂大辞林「せっちょう」:
 「せっしょう(殺生)」の転か〕いじめさいなむこと。また、こき使うこと。(用例)余の女郎どもを―せい/浄瑠璃・傾城酒呑童子」

 柳田国男は、方言周圏論で「方言は、古語をゆかりとするいにしえのことばの地方残存だ」と述べました。方言周圏論からいうと、「セッチョウ」も現在は方言だけれど、古語から由来している、ということになります。

 父に「自分のことばっかりセッチョウしてないで、家の手伝いを先にしろ」と叱られても、なかなか腰があがらなかったように、今、春庭は「期末の成績をつける」ことをやらなければならないのに、そちらにはなかなか取りかかれず、自分のことばっかりセッチョウしています。
 今しているのは「絵はがきセッチョウ」です。

 2011年4月から始めた、春庭アートプロジェクト「Also I'm still alive. To:青い鳥」。
 九州福岡で暮らす青い鳥ちるちるさんあてに、葉書を送り続けるシリーズです。ちるちるさんは、2008年に体調改善のための手術後、突然首から下が動かなくなるというアクシデントがあり、それ以来不自由な生活を続けています。ヘルパーさんや妹さんの介護を受けてリハビリを続け、「足の指が動いた」「左手が動いた」と、努力の毎日です。

 私には、ちるちるさんの体調がよくなるよう祈ることしかできません。祈りのひとつの形として、葉書を三日に一枚、一ヶ月に10枚送ることを始めました。
 美術館へ行っても、観光地へ行っても、「ちるちるさんに送る葉書、どれにしよう」と選ぶのが楽しみのひとつ。雑誌のグラビアや美術館のチラシなどからきれいな写真や絵を切り抜いて、手作り絵はがきをこしらえるのも、いろいろな切り取り方で楽しめます。

 絵を切り抜いて、白い紙と貼り合わせて葉書を作る時間、文を考えて、下手な字ですが、一字一字祈りを込めて書く時間、そのとき流れる時間が私とちるちるさんとの絆を綯うひとときなのだと思っています。

 はがきの文は、そのときそのときに心に浮かんだことをちゃらっと書いて、何を書いたかすぐに忘れてしまうので、もしかしたら、同じようなことを繰り返して書いている場合があるかも。
 でも、同じことを書いたとしても、それはおばあちゃんが繰り返す昔話と同じ。同じことを何度でも語りたいから何度でも書くのです。

<つづく>

行為動詞(意志他動詞)」の日本語英語対照の一例 -「ホテルカリフォルニア」の訳詞を通して

2010-05-02 10:57:00 | 対照言語学
「行為動詞(意志他動詞)」の日本語英語対照の一例 -「ホテルカリフォルニア」の訳詞を通して
                                  

 英語は「主語+スル動詞」で文を組み立て、常に動作者・行為者が中心になって対象(他者)に向かって意志的な動作を行っていくことを述べる言語である。自己の<主体性>を鮮明にして、行動をとることが是とされる。一方日本語は、「話題のヌシ」を先に出し、話題のヌシについて、情報を語り「状態がどのように推移したかという状態変化」を説明する。「話題(トピック)+解説(コメント)」を中心に語ることが日本語表現である。

 ワインボトルの栓がなかなか抜けないで手こずったあげくに栓がポンと抜けたとき、「わっ、私は瓶の栓を抜いた!」と、自分の行動を意志他動詞を用いて語るのが英語表現であり、「わっ、栓が抜けた」と、栓を「話題の中心」に設定し、栓がどうなったのか、ということを無意志自動詞によって状態の変化として語るのが日本語表現である。
 英語文の基本は、「主語+スル他動詞」であるのに、では、「I」+「他動詞」という基本の文型が出てこない場合、どのような表現効果が生まれるだろうか。
 1976年に発表されたイーグルスの歌「ホテル・カリフォルニア」の原詩には、英語のもっとも典型的な統語(文の組み立て)である「動作者プラス意志動詞」という形がでてこない。

 以下、ホテル・カリフォルニアの詞を見ていく。
ホテル・カリフォルニア(Hotel California 歌詞:筆者訳)

1)On a dark desert highway,  暗い荒れ野のハイウェイ
2)Cool wind in my hair, クールな風が髪にふれる 
3)Warm smell of “colitas” 生あたたかいコリタス草の(*colitasは、glass=草と呼ばれるマリファナなどと同類のもの)
4)Rising up through the air,  匂いがあたりに立ちのぼる 
5)Up ahead in the distance 遙か向こうに顔を向けると
6)I saw a shimmering light, ゆらめく光が見えてきた
7)My head grew heavy and my sight grew dim, 頭が重くて視界はぼんやり
8)I had to stop for the night. 今夜はここでストップしなくちゃ
9)There she stood in the doorway, ドアのところに彼女が立ってる(彼女=ヘロイン過剰摂取で1970年に27歳で亡くなった伝説のロック歌手ジャニス・ジョプリンを指す)
10)I heard the mission bell ミッションベルが聞こえている(mission bell=教会の鐘→ミッション(任務)開始終了を告げるベル)
11)And I was thinkin’ to myself : 自分のために考えている
12)“This could be heaven and this could be hell”ここは天国?それとも地獄か
13)Then she lit up a candle, すると彼女は灯りをともして
14)And she showed me the way, 私に行く手を示してくれた
15)There were voices down the corridor, 廊下をいくといろんな声がする
16)I thought I heard them say  やつらの声が聞こえた気がする

17)Welcome to the Hotel California, ようこそ、ホテルカリフォルニアへ
18)Such a lovely place, ここはすてきなところだよ
19)(Such a lovely place) ここはすてきなところだよ
20)Such a lovely face イカシた面々、
21)Plenty of room at the Hotel California, ホテルカリフォルニアには、部屋がいっぱい
22)Any time of year, 年中いつでも
23)(Any time of year) どんなときでも
24)You can find it here あんたの部屋はここで見つかる

25)Her mind is Tiffany-twisted, 彼女の心はティファニー捻れ
26)She got the Mercedes Bends, 曲がったメルセデスを手に入れた(*曲がったメルセデスは、Mercedes BendsとMercedes-Benzを掛けている )
27)She got a lot of pretty, pretty boys 彼女がトモダチって呼んでいる
28)she calls friends 大勢のかわいい男娼(ボーイ)たちをひきつれて
29)How they dance in the courtyard, 中庭でダンスを踊ってる
30)Sweet summer sweat スィート・サマーが汗(スェット)になるまで
31)Some dance to remember, 覚えているためにダンスを踊る奴もいるし
32)Some dance to forget 忘れるために踊るやつもいる

33)So I called up the Captain それでキャプテン(給仕長)を呼んだのさ
34)“Please bring me my wine”「俺のワインを持ってきてくれないか、この俺に」
35) He said, 「返事はこうだ」
36) “We haven’t had that spirit here 「あいにくと、切らしております。そのスピリット(酒/精神)は
37)Since nineteen sixty-nine”1969年から
38)And still those voices are calling from far away, そしてまた、奴らの声が遠くから呼びかけてくる
39)Wake you up in the middle of the night 真夜中でもおまえは起こされる
40)Just to hear them say: ほら、その声が聞こえてくる

41)Welcome to the Hotel California, ようこそ、ホテルカリフォルニアへ
42)Such a lovely place, すてきなところさ
43)(Such a lovely place) すてきなところ
44)Such a lovely face イカシた面々が
45)They’re livin’ it up at the Hotel California, ここに住み替え
46)What a nice surprise, ナイスにびっくり
47)(What a nice surprise) なんてすてきなサプライズ
48)Bring your alibis あんたのアリバイ持っといで(alibisアリバイ=不在証明書)

49)Mirrors on the ceiling, 天井のミラー
50)The pink champagne on ice,  氷の中のピンクのシャンペン。
51)and she said:“We are all just prisoners here, 彼女は言った「ここじゃ皆が囚人だわ」
52)Of our own device”自分から縛られた囚人
53)And in the master’s chambers さ、牢名主の部屋に
54)They gathered for the feast, 皆で集まり祝宴だ
55)They stabbed it with their steely knives, とがったナイフで皆が突き刺す
56)But they just can’t kill the beast だけど獣は殺せない 

57)Last thing I remember, 覚えている最後のことは
58)I was running for the door, ドアに向かって走っていたこと
59)I had to find the passage back to the place I was before, もとの場所に戻る通路を見つけなきゃならないんだ
60)“Relax,” said the night man, 「リラックスして」と夜警が言った
61)“We are programmed to receive, 「受け入れるってことはもうプログラミングされてるのさ
62)You can check out anytime you like… 好きなときにいつでも(この世を)チェックアウトできるさ
63)but you can never leave” でも決してここからは逃れられない、、、、、」


 コリタスグラスの匂いが満ちた荒れ野の向こうに立つホテルカルフォルニア。ヘロイン中毒で死んだジャニスが、自由の女神のように、灯りを掲げてドアに立つ。天国なのか地獄なのか、1969年からスピリットを失ったアメリカで、人は自分自身を囚人にする。さあ、不在証明を持って、ホテルの部屋で宴会だ。朦朧とした意識ですごすこのホテルを出て最初の場所にもどろうとしても、決して逃げ出すことはできない。チェックアウトはできるけれど、ここから逃れることはできないのだ。

 二重になっている歌詞の裏の意味を日本語で理解してみると、「ホテル・カリフォルニア」から荒涼としたアメリカの精神風土が見えてくる。ダンスと祝宴でにぎやかだけれど、どんなにリラックスしても悪夢のようなホテルからは、逃げ出すことはできない。彼女はボーイたちを「トモダチ」って呼んでるけれど、ボーイたちは彼女を取り巻いているだけ。人は自ら囚人になり心の牢獄に閉じ込められる。そこは安楽安逸の場所だけれど、決して外には出て行けない。ラストチェックアウトとは、この世を出てチェックアウトすること、、、

 この一種異様な雰囲気が漂うホテルカリフォルニアの不気味な不安な雰囲気がどのようにして生み出されているか。
 ホテル・カリフォルニアの英語詩をもう一度じっくり眺めてみる。英語文の基本である「私+意志他動詞」という型の文が少ないことに気づく。わずかに「俺にワインを持ってきてくれ」という部分が、他者に対して「私」の意志を鮮明にしている文になっている。「 I called up the Captain.」という文には他者に対する働きかけが表現されていて、英語の通常の「意志他動詞」が使われている。しかもこの「ワインが欲しい」という意志は、即座に「1969年以来、ここでは酒を切らしている」と、否定されてしまう。

 英語の歌詞は二重の意味を持っている。日本語の短歌でいうところの「掛詞」になっていて、表の意味と裏の意味がある。
♪So I called up the Captain“Please bring me my wine”
He said, “We haven't had that spirit here. Since nineteen sixty-nine”

 文字通りの意味は、
♪俺はキャプテン(給仕長)に「ワインを持ってきてくれ」と頼んだ
♪彼が言うには「1969年以来、ここには酒(スピリット)がないんです」

 ワインは醸造酒なので、spiritスピリット=蒸留酒ではない。どうして給仕長はワインを頼まれたのに、「蒸留酒はない」と答えるのか。「1969年のウッドストック以来、ロックミュージックは変質し、金儲け主義のロックばかりがヒットする。ウッドストックで盛り上がった反抗する精神=スピリット、ベトナム戦争に反対し権力者にもの申してきたロックは、安楽安易な快楽の中に落ち込んでしまってきた。もうロック魂にスピリットはない」これが裏の意味。spiritには、「酒(蒸留酒)」という意味と「精神」という意味が掛けてある。Captainも多義語で、部隊長、(陸軍の)大尉、(海軍の)大佐、(飛行機の)機長、(チームの)主将、(組織の)リーダー・長、などの意味を含む。表向きは給仕長にワインを頼んでいるのだけれど、裏の意味は「アメリカ合衆国のリーダーに」「カルフォルニア州知事から大統領に成り上がった組織の長に」に向かって物言っていると考えることもできる。1976年、ベトナム戦争で精神を病んだ男たちがあふれていたアメリカで、キャプテン・レーガンはスピリットを切らしてWatergate 水の門に沈んだ。

 日本語ではごく普通の感覚で受け止めることができる冒頭「On a dark desert highway, Cool wind in my hair, 暗い荒れ野のハイウェイ クールな風が髪にふれる」というの部分も、意志動詞中心の英語表現であるなら、「I let my hair stream in wind.私は風に髪をなびかせる」と、「I」の意志と動作を前面に押し出すほうが、自然な英語表現と感じられる。日本語であるなら、「風」を文の主題にして「荒れ野のハイウェイ、風は髪の中」という文は少しも不自然ではない。日本語は「私」を前面に押し出さず、「自然な状態の推移」を述べることが中心の言語なので、このホテルカリフォルニアの英語詩を見ても、特に違和感を感じないで受け取ることができる。しかし、英語母語話者がこの詩を読んだとき、なんともいえぬ気味の悪さ、自分の存在がどこにもないように感じる不安感が、詩全体にただよっている気分がするのではないか。
 一方、ジャニス・ジョプリンへのオマージュとして書かれたというこの詩の「she」は、常に意志動詞で行動している。

she lit up a candle. she showed me the way. She got the Mercedes Bends. She got a lot of pretty, pretty boys she calls friends.
 作詞者にとって、彼女ジャニスは、意志を持って歌い意志を持って行動し、最後にはヘロイン過剰摂取という死に方まで彼女の生き方を示すものとして選びとった、意志的な女性として描かれている、ということだろう。私には英語ネイティブの言語感覚についてきちんと検証を出して語るという能力がないので、この歌を聞くリスナーの違和感というものがどの程度なのか不明だけれども、できる限り意志動詞で行動を述べる英語表現にとって、この詩のように視点人物の見たこと、聞いたことが無意志動詞で描写され、他者への意志的な行動が「 I called up the Captain.」ただひとつというは、尋常ではないというのは、わかる。

 意志動詞というのは、動詞を意味によって分類するときのひとつの分け方である。「きのう私は外出先で財布を落とした」とき、私は自分の意志で自らが「財布を落とす」という行為をしたのではない。うっかり気づかないうちに財布は私の身から離れた。このときの「落とす」は、他動詞だが無意志動詞として扱われる。「ガリレオは、ピサの斜塔からふたつの玉を同時に落とした」というときの「落とす」は、ガリレオが自ら意志を持って落とすという行為をしているので、意志他動詞。

Up ahead in the distance I saw a shimmering light, 
My head grew heavy and my sight grew dim, I had to stop for the night. 
 この「私はゆらめく灯りを見た」「今夜はストップしなければ」という行動の表示も「頭が重くて視界はぼんやり」というコリタス草の匂いに思考を停止させているようなフレーズによって、意志ある行動なのかどうかも曖昧になる。
I was running for the door, I had to find the passage back to the place I was before, 
という最後の行動も、“We are programmed to receive, You can check out anytime you like… but you can never leave”という夜警の言葉によって、否定されてしまう。

 日本語は、状態の変化や事態の推移を認識の中心におき、話題を選んでそれを解説するということが表現の中心になる。動作者・行為者の動作行為を述べるよりも、話者が存在している場面全体がどのように推移しているのかを述べる。だから、この「ホテル・カリフォルニア」の詞に何も違和感がない。奇妙なホテルだとは思うが、自分の行動を制約されているという違和感は感じられないので、最後のYou can check out anytime you like… but you can never leave.のところで、「いつでも自由にチェックアウトできるが、ここからは離れられない」という表現にとまどいを覚える。 英語母語話者なら、ここまでの推移で、このホテルが尋常な状態ではないことを感じとっているので、最後のことばもその流れで受け止められるのだろうか。

 以上、「I」という主語を前面に出さず、「私」が「意志動詞」による行動をとるといういう英語文の構造からはずれた表現をとりあげ、日本語との感覚のちがいをみた。