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文学理論を振り返る リチャード・ローティ

2008-06-08 15:52:00 | 日記
Looking Back at Literary Theory 文学理論を振り返る
Richard Rorty

p63
 1970年代に、アメリカ文学部の教師たちは、デリダとフーコーを読み始めた。文学理論と呼ばれている新しい学問分野の下位区分が形成された。有益に理論化されうる文学テキストの概念が、文学教授たちが彼らの好きな哲学書を教えるのを簡単にすることを助け、文学専攻学生が哲学トピックによって論文を執筆するのを簡単にした。文学理論は、また、文学でよりむしろ哲学学科のために、文学学部での仕事を創出するのを助けた。

 私がプリンストン大学の哲学教授からバージニア大学の人文科学の教授に異動することは、この文学理論の進展を利用したものである。のちに、私は比較文学の教授として、スタンフォードに行った。肩書きの変更と、同僚の変化は、私の提示する内容を変更することにはならなかった。私が提示していたこととは、ストレートな哲学コース、ヴィトゲンシュタインやダビッドソン、そしてときにハイデッカーやデリダのような非分析的哲学者を扱っていたことである。彼らは、私が書くことに影響を及ぼさなかった。私は、たとえ私がプリンストンにとどまったとしても、ヴァージニア大学とスタンフォード大学に向かって書いた大部分の本の記事を書いた。

 しかしながら年を経て、私は上昇流というより、弱まっていく流れに乗っていたのだと理解してきた。文学理論(それにとって、私は、自分自身が貢献者といわれるのに気づくと困惑したものであるが)は、徐々になじんでいった。
文学部の人々は、すべての果実ジュースがニーチェ、ハイデッガー、デリダの知的伝統から絞り出されてきたと思い始めている。
フーコーはデリダの後を引き継いだ。すべての文学専攻学生が知っておくべきひとりの哲学者として、デリダのあとを引き継いだ。カルチュラルスタディ(文化研究)は、文学理論を脇に押しやった。この事実は、文学部の中の理論は、哲学教師のために使えることがより少ないということを意味する。プラトン、カント、ニーチェ、ハイデッガーについて、多くを知ることなく、デリダを理解することができない人でも、哲学的バックグラウンドなしにフーコーを理解することができる。

 私は、哲学がアメリカの文学部で短い間でも流行したという事実を利用できたことをうれしく思うが、しかし、この流行はファッション以上のものではなかった。
p64
文学研究者が哲学書を読むべきだという説得力ある理由は、存在しない。文学研究者が哲学について何かを知っていることは良いことだ、というのは確かなことだ。また、文学研究者が他のたくさんのことがら、たとえば、人類学や精神分析や宗教について知ることもまた、よいことだ。文学研究者は、理想的には、いくつかの異なるジャンルの文学を読むべきだろう。文学研究者は、いくつかの異なる言語をよく知っていなければならない。また、文学研究者は、社会政治史は現在の政治問題の十分な知識を確実にすべきだろう。

 しかし、研究者がすべての分野を研究することはできない。多くの第一級の文芸批評は、一カ国語のみ話す人々、また大量の小説を読むがほとんど詩を読まない人、政治に関心が無い人、哲学的な教養のない人、また、歴史的出来事へのセンスがほとんどない人の手によって書かれてきた。よい批評には、人が読んできた本のあるものをはずませる内容がある。読んできた大量の本、そして、さらに多様な内容について、より以上の興味を深めテイクのが批評である。しかし、優先順位の自然な順位がなく、最初に読むべき本について決定するための案内となる方法論的な指針のセットがない。自分の嗅覚に従うことがすべてである。人が文学批評をよりよく行うようになるために、特別な種類の本とか特別な哲学本を読む必要はない。

 ポストニーチェ哲学の信奉者やヨーロッパの哲学は、哲学よりむしろ文学部を通して英語話者世界の大学に入って行ったことは、弁証法的な必要からでなく、むしろ歴史的な事故といえる。それらの学部がデリダとフーコーの本のための入港の場として間に合った主な理由は、彼らの誰でも1970年代までに、新批評のマルクス主義批判そしてフロイト批判でひどく退屈していたという理由があったからだ。フレデリック・クリューズの「困惑するクマのプーさん」を読む大学院生は、クリューズがパロディ化した本の記憶を離れたものは何も書かないと決意したものだ。新しいグル(導き手)がどうしても必要となった。

 『グラマトロジー』と『言葉と物』は、まさに時を置かず英語に翻訳された。この翻訳は、まったく適切なものであった。デリダとフーコーはただ輝けるオリジナルな思想家としてだけでなく、英語使用の文学部の中で誰も知らなかった知的世界からやってきた思想家であった。(ボールドマンとジョージ スタイナーのようなヨーロッパからの亡命者を除いて)誰もデリダやフーコーについて知らなかった。デリダやフーコーの本を読むことは、人々に新しい地平が開かれるという感覚を与えた。大学院において、分析哲学のコースに退屈し当惑していた文学専攻の大学院生たちは、突然、知的な世界が向こうにあることを発見した。彼らの哲学教授が決して今まで話したことのない世界があることを。その世界を調査することは、大きな楽しみだった。

 デリダとフーコーにより(そして、ほぼ同時に発見されたニーチェとハイデッガーによって)文学部で発生する興奮は、これらの本が提供していた文学の性質についての新しい理論によるものではなかった。しかし、不運な用語としての「文学理論」は、ある不幸な大学院生たちを錯誤させ、彼らが理論をテキストに適切に適用することによって価値ある論文または本を書くことができたと思わせた。
p65
この信念は、驚くほど退屈な、かろうじて読むに耐える大量の記事と本を生み出した。幸いにも、テキスト解体は今やキリストの形やヴァギナのシンボルを見つけるの同じくらい時代遅れになっている。クリューの『ポストモダンのプー(2003)』は、『プーパープレックス(1965)』がそうであったように、うまくいけばこの時代の終わりの予兆をマークするものとなるだろう。

 マルクスとフロイトがそうであったのと同じく、デリダとフーコーは、誤用されたとしても簡単に生き残ることが出来る輝けるオリジナルな思想家である。彼らの本は哲学聖典の一部になるだろう。文学理論をマスターすることによって文学テクストについていかにうまく書き表すかを学ぶことができたという不運な考えは、徐々にすたれていった。法理論が法律実践のために存在するのと同じく、文学理論は文芸批評の実践のための随意の存在と見なされるだろう。

類似を考慮してみよう。ある数学の分野は、数学学部よりもむしろ哲学学部で、「記号論理学」という名のもとに、典型的に教えられている。これもまたひとつの偶発の歴史なのだ。1930年代の哲学専攻の英語圏学生が、リアリズム対理想主義、プラグマティズム対合理主義、そして、さまざまなそれらの間の不毛な論争。ラッセルとカルナップが発表したように、記号論理学は哲学を再び活発で興味深くしそうだった。まもなく、そうなった。しかし、1950年代半ばにヴィトゲンシュタインの『哲学探究』が出版されることによって、記号論理学は、鈍くさい時代遅れになった。

しかしながら今でも、ほどんどのアメリカの哲学学部で、博士号を取る前には、(論理学の)ゲーデルの結論について何事かを知っておく必要がある。(たとえ、キルケゴールとれびなすの関係の論文を書く予定であるとしても)これは、単にカリキュラムの惰性の問題である。同じような惰性は、確実に残るだろう。2050年の比較文学部で、博士号資格審査に関する理論セクションに、まだ存在しているであろう。多くの未来の学生たちには喜ばしいことである。彼らが理論コースを選択したまさしくそのとき、哲学専攻学生は、現在記号論理学の必修コースに要求されている多くのことをはずすことができる。残りは、もうひとつの不可解なカリキュラムのハードルを乗り越えるためにベストをつくすだろう。このハードルとは、20世紀のある地点に立てられたものであり、21世紀のある地点で解体されるであろうハードルだ。

 私がそのように見なしていることではあるが、比較文学部と哲学学部双方とも、学生がどんな種類の本を好んで読むのかということについて、豊富な提案を受け入れる場所で無ければならないし、彼らの嗅覚に従うままにしておくことが必要だ。これらの学部のメンバーは、彼らの規律の性質について心配すべきでないし、どんな特徴が作られるかについても心配しなくてよい。彼らは、集合論で定理を証明するとか、ハイデッガーとレビナスの間の意見の相違について判断を下すことが、本当に哲学をしていることとされるかどうかを心配する必要はない。真の比較言語学者としてあるために、少なくともひとつの非ヨーロッパ言語を、いくつかのヨーロッパ言語と同じくらいに知っている必要があるのかどうかについて、詮索される必要もない。
p66
専攻分野を構成する確実に準備されたものについて、気にしすぎては行
いけない。知的な好奇心をもつ学生を見いだすことと、大学院での研究を認めてやり、そのような学生が彼らの好奇心を満足させることを、今手助けするということについて、まさしく心配してやるべきなのだ。

 ホーン・ソーシーは文学性が比較文学の学科にとって主要であると示唆しているが、そのような自由放任主義の態度は、私を懐疑的にさせる。私には、概念上の明快さを探求することが哲学学科にとって主要であるという考え方についても、同じような懐疑がある。分析的哲学者がしばしば主張する、論理の研究とはそのような明快さのためになると思っているところの哲学、ということだが。たとえ、文学性という専門用語をなんらかのことに用いる必要がまったくないとしても、いくつかの異なる言語で書かれた文学的なテキストの間にあきらかに大幅な差異があると私が思っていることに関して、比較文学専攻の学生は研究をなしえることがあるだろう。意味のないマントラとしての概念上の明快さを考慮したあとでなら、あなたは、非常によい哲学論文を書くことができる。大変優れた分析哲学でさえも。

 私は、人間性の核心を確定できる何事かより以上に、大学の学科の中心として同定できうる事がこれまでにあったかと疑っている。ダニエル・デネットが言ったことであるが、それ自身は、語りの重力の中心点として最良のもとと考えられる。自分自身と同じく、大学の学科は、歴史を持っている。しかし実体はない。大学の学科は、たえず自分自身の履歴を書き換えることによって自己像を更新している。いわゆる危機とは、中心的ことがらにとってあきらかに重要でないものと、明らかに外部の闇の中心とを動かす。生物学、人類学と精神医学の重心は、これらの学問が50年前であった地点にはない。現代スコットランドの哲学の重心は、ブラジルの哲学の重心からははるかにかけ離れている。規範的存在としての、アウエルバッハとジラールの後を継いだのがスピヴァクとバーハであり、比較文学部の重心は、かなり移動した。比較文学の中心点が2050年にどこにあるかは、誰にもわからない。

  我々は、大学学科の移り気や流行の転変を喜ぶべきだろう。なぜなら、ただ一つの選択肢となるものは、衰微しているスコラ哲学だからだ。自然科学の危機が、時に粗暴な事実との遭遇によって起こるのに対して、人文科学において、そのような事実はない。
そう、古典、哲学または比較文学のような学科においてのパラダイム変動は、典型的な輝ける因習打破主義的な本に対する反応といえる。『悲劇の誕生byニーチェ』『言語・真実と論理by A.J. Ayer』『哲学的探求by ヴィトゲンシュタイン』『影響の不安by ハロルド・ブルーム』『グラマトロジーby デリダ』『歴史の詩学by H. ホワイト』などの本、、、
このような著作が書かれていく限り、流行の変化は起こりうる。私は常にそのようになるだろうと信用しているのだが。

   これらのパラダイム変動を引き起こす著作は、学科内の人がそれらの著作を翻訳する以上に、時々他の学科のメンバーによって書かれる。そして、学科Aが学科Bと学際的に協力することを必要とするということは、熱心な読者の結論のために魅力的である。
しかし、少なくとも人文科学において、学科全体の考えは、まだかなり疑わしい段階で、それは、学際性といわれる。
p67
例をあげるなら、分析研究と非分析的哲学の間の違いは、少なくとも、「おべんきょうすること」と「比較文学研究」の間の違いくらいに大きい。アウエルバッハとスピヴァクとのあいだは、ハイデッガーとカルナップの間の大きな差異くらいに違う。二つの種類のうちどの組み合わせでも両方のメンバーの著作を読むことで利益を得ることができるなら、だれであれ合理的にそうなるように頼むことができるのと同じく、あなた方はすでに学際的存在だ。

   50年時代を下った後、スピヴァクとともに書かれる比較文学の学科の性格の報告を思い浮かべてみると、現在ウェレクとともに書かれる比較文学を想像してみるのと同じくらい、風変わりに聞こえるだろう。もし、そうしないなら、スピヴァクに伴う何か悪しきものがあるという理由ではなく、何か悪いものの推移があるというのではない。そうではなくて、健全な人文学科が、かって1世代か2世代よりもっと多いなにものかとしてみなされている、ということだ。

リチャード・ローティ「文学理論を振り返る」

2008-06-04 09:54:00 | 日記
Looking Back at Literary Theory 文学理論を振り返る
Richard Rorty

p63
In the 1970s teachers in American literature department began reading Derrida and Foucault.
1970年代には、アメリカ文学部の先生は、デリダとフーコーを読み始めた。

A new subdiscipline called literary theory took shape.
文学的な理論と呼ばれている新しい学問分野の下位区分は、形になりました

The notion that a literary text could profitably be theorized helped make it easy for literature professors to teach their favorite philosophy books and for literature students to write their dissertations on philosophical topics.
有益に理論化されうる文学テキストの概念が、文学教授たちが彼らの好きな哲学書を教えるのを簡単にすることを助け、文学専攻学生が哲学トピックによって論文を執筆するのを簡単にした。

It also helped create jpbs in literature departments for people who had been trained in philosophy rather than in literature.
文学理論は、また、文学でよりむしろ哲学で訓練された人々のために、文学学部での仕事を創出するのを助けた。

It took advantage of this development to move from being Professor of Philosophy at Princeton to being University Professor of Humanities at the University of Virginia..
プリンストン大学の哲学教授からバージニア大学の人文科学の教授に異動することは、この文学理論の進展を利用したものである。

Later I went to Stanford as Professor of Comparative Literature.
のちに、私は比較文学の教授として、スタンフォードに行った。

These changes of title and of colleagues did not alter the content of my offerings which were just straight philosophy courses--sometimes on analytic philosophers like Wittgenstein and Davidson, and sometimes on non-analytic philosophers like Heidegger and Derrida..
肩書きの変更と、同僚の変化は、私の提示する内容を変更することはなかった。私が提示していたこととは、ストレートな哲学コース、ヴィトゲンシュタインやダビッドソン、そしてときにハイデッカーやデリダのような非分析的哲学者を扱っていたことである。

Nor did hey affect what I wrote.
彼らは、私が書くことに影響を及ぼさなかった。

I would have written most of the books and articles that I wrote at Virginia and Stanford even if I had stayed on at Princeton.
私は、たとえ私がプリンストンにとどまったとしても、ヴァージニア大学とスタンフォード大学に向かって書いた大部分の本の記事を書いた。

As the years have gone by, however, I have come to realize that I was riding an ebbing tide rather than a rising wave.
しかしながら年を経て、私は上昇流というより、弱まっていく流れに乗っていたのだと理解してきた。

Literary theory (to which I have been bemused to find myself described as a contributor)has gradually become old had.
文学理論(それにとって、私は、自分自身が貢献者といわれるのに気づくと困惑したものであるが)は、徐々になじんでいった。

People in literature departments are beginning to suspect that all the juice has been milked out of the Nietzsche-Heidegger-Derrida intellectual tradition.
文学部の人々は、すべての果実ジュースがニーチェ、ハイデッガー、デリダの知的伝統から絞り出されてきたと思い始めている。

Foucault has replaced Derrida as the one philosopher about whom every student of literature has to know something.
フーコーはデリダの後を引き継いだ。すべての文学専攻学生が知っておくべきひとりの哲学者として、デリダのあとを引き継いだ。

Cultural studies has shoved literary theory aside.
カルチュラルスタディ(文化研究)は、文学理論を脇に押しやった。

This means that there is less use for philosophy teachers in literature departments; although you cannot understand Derrida very well without knowing quite a lot about Plato, Kant, Nietzsche , and Heidegger, you can understand Foucault without much philosophical background.
この事実は、文学学部の中の理論は、哲学教師のために使えることがより少ないということを意味する。プラトン、カント、ニーチェ、ハイデッガーについて、多くを知ることなく、デリダを理解することができない人でも、哲学的バックグラウンドなしにフーコーを理解することができる。

I am glad that I was able to take advantage of the fact that philosophy was briefly in fashion in American literature departments, but it was never more than a fashion.
私は、哲学がアメリカの文学部で短い間でも流行したという事実を利用できたことをうれしく思うが、しかし、この流行はファッション以上のものではなかった。
p64
There is no compelling reason why students of literature should read philosophy book.
文学研究者が哲学書を読むべきだという説得力ある理由は存在しない。

It is to be sure, a good thing for students of literature to know something about philosophy.
文学研究者が哲学について何かを知っていることは良いことだ、というのは確かなことだ。

But it is also good for them to know about lots of other things-- antropology psychoanalysis, and religion, for example.
また、文学研究者が他のたくさんのことがら、たとえば、人類学や精神分析や宗教について知ることもまた、よいことだ。

They should ideally, read in several diefferent literary genres.
文学研究者は、理想的には、いくつかの異なるジャンルの文学を読むべきだろう。

They should know several different languages well.
文学研究者は、いくつかの異なる言語をよく知っていなければならない。

They would certainly profit from a good understanding of sociopolitical history and of current political issues.
また、文学研究者は、社会政治史は現在の政治問題の十分な知識を確実にすべきだろう。

But they cannot do everything .
しかし、研究者がすべての分野を研究することはできない。

Lots of first-rate literary criticism has been written by people who are monolingual, or who read lots of novels but almost no poems, or who have no political concerns, or who are philosophically illiterate, or who have little sense of what happened in history.

多くの第一級の文芸批評は、一カ国語のみ話す人々、また大量の小説を読むがほとんど詩を読まない人、政治に関心が無い人、哲学的な教養のない人、また、歴史的出来事へのセンスがほとんどない人の手によって書かれてきた。

Good criticism is a matter of bouncing some of the books you have read.
よい批評には、人が読んできた本のあるものをはずませる内容がある。

The greater number of books you have read, and the more various they are, the likelier it is that the criticism you write will be of interest.
読んできた大量の本、そして、さらに多様な内容について、より以上の興味を深めテイクのが批評である。

But there is no natural order of priority, nor is there any set of methodological precepts, that should guide your decisions about which books to read first.
しかし、優先順位の自然な順位がなく、最初に読むべき本について決定するための案内となる方法論的な指針のセットがない。

All you can do is follow your nose.
自分の嗅覚に従うことがすべてである。

There is nothing special about philosophy books, or any other sort of book, such that reading them is likely to make you a better literary critic.
人が文学批評をよりよく行うようになるために、特別な種類の本とか特別な哲学本を読む必要はない。

It was not a dialectical necessity, but rather a historical accident, that post-Nietzschean European philosophy entered the universities of the English-speaking world through literature departments rather than philosophy departments.
ポストニーチェ哲学の信奉者やヨーロッパの哲学は、哲学よりむしろ文学部を通して英語話者世界の大学に入って行ったことは、弁証法的な必要からでなく、むしろ歴史的な事故といえる。

The main reason those departments served as ports of entry for the books of Derrida and Foucault was that everybody in them had become, by 1970s, bored stiff with new Criticism, with Marxist criticism, and with Freudian criticism.
それらの学部がデリダとフーコーの本のための入港の場として間に合った主な理由は、彼らの誰でも1970年代までに、新批評のマルクス主義批判そしてフロイト批判でひどく退屈していたという理由があったからだ。

Graduate students who read Frederick Crews's The Pooh Perplex were determined never to write anything remotely reminiscent of the books that Crews had parodied.
フレデリック・クリューズの「困惑するクマのプーさん」を読む大学院生は、クリューズがパロディ化した本の記憶を離れたものは何も書かないと決意したものだ。

New gurus were desperately needed.
新しいグル(導き手)がどうしても必要となった。

De la Grammatologie and Les Mots et les Choses were translated into English at exactly the right time.
『グラマトロジー』と『言葉と物』は、まさに時を置かず英語に翻訳された。

They hit the spot.
この翻訳は、まったく適切なものであった。

Derrida and Foucault were not only brilliantly original thinkers, but they came out of an intellectual world that nobody in Anglophone literature departments (except for European emigres like Paul de Man and Georg Steine) know much about.)
デリダとフーコーはただ輝けるオリジナルな思想家としてだけでなく、英語使用の文学部の中で誰も知らなかった知的世界からやってきた思想家であった。(ボールドマンとジョージ スタイナーのようなヨーロッパからの亡命者を除いて)誰もデリダやフーコーについて知らなかった。

Reading their books gave people a sense that new horizons were opening.
デリダやフーコーの本を読むことは、人々に新しい地平が開かれるという感覚を与えた。

Graduate students of literature who had, as undergraduates, been bored or baffled by courses in analytic philosophy suddenly discovered that there was an intellectual world out there that their philosophy professors had never told them about.
大学院において、分析哲学のコースに退屈し当惑していた文学専攻の大学院生たちは、突然、知的な世界が向こうにあることを発見した。彼らの哲学教授が決して今まで話したことのない世界があることを。

Exploring that world was great fun.
その世界を調査することは、大きな楽しみだった。

The excitement generated in literature departments by Derrida and Foucault (and by Nietzsche and Heidegger, who were discovered more or less simultaneously) was not due to these books having offered a new theory about the nature of literature.

デリダとフーコーにより(そして、ほぼ同時に発見されたニーチェとハイデッガーによって)文学部で発生する興奮は、これらの本が提供していた文学の性質についての新しい理論に夜物ではなかった。

But the unhappy term literary theory decieved some hapless graduate students into thinking that they could write a worthwhile article or book just by applying theory to a text.
しかし、不運な用語としての「文学理論」は、ある不幸な大学院生を錯誤させ、彼らが適切に理論をテキストに適用することによって価値ある論文または本を書くことができたと思わせた。

p65
This belief generated a great mass of barely readable, amazingly boring, articles and books.
この信念は、驚くほど退屈な、かろうじて読むに耐える大量の記事と本を生み出した。

Fortunately, deconstructing texts is now as obsolete as spotting Christ-figures or vagina-symbols.
幸いにも、テキスト解体は今やキリストの形やヴァギナのシンボルを見つけるの同じくらい時代遅れになっている。

Crews's Postmodern Pooh (2003) will, with any luck, mark the beginning of the end of this epoch, just as The Pooh Perplex (1965) did of an earlier one.
クリューの『ポストモダンのプー(2003)』は、『プーパープレックス(1965)』がそうであったように、うまくいけばこの時代の終わりの予兆をマークするものとなるだろう。

Derrida and Foucalt are brilliantly original thinkers who can easily survive misuse, just as Marx and Freud have.
マルクスとフロイトがそうであったのと同じく、デリダとフーコーは、誤用されたとしても簡単に生き残ることが出来る輝けるオリジナルな思想家である。

Their books will become part of the philosophical canon.
彼らの本は哲学聖典の一部になるだろう。

In coming decades, students of literature with a taste for philosophy will still be reading them.
来るべき数十年には、哲学傾向の文学の学徒は、まだそれらを読んでいるだろう。

But the unfortunate idea that you could learn how to write well about a literary text by mastering a theory will gradually die out.
文学理論をマスターすることによって文学テクストについていかにうまく書き表すかを学ぶことができたという不運な考えは、徐々にすたれていった。

Literary theory will be seen to be as optional for the practice off literary criticism as legal theory is for the practice of law.
法理論が法律実践のために存在するのと同じく、文学理論は文芸批評の実践のための随意の存在と見なされるだろう。

Consider an analogy: A certain branch of mathematics is typically taught, under the sobriquet of symbolic logic, in philosophy departments rather than mathematics departments.
類似を考慮してみよう。ある数学の分野は、数学学部よりもむしろ哲学学部で、「記号論理学」という名のもとに、典型的に教えられている。

This too is an accident of history, having a lot to do with the fact that Anglophone students of philosophy in the 1930s were bored silly with realism vs.- idealism, pragmatism-vs- rationalism and various there drearty controversies.
これもまたひとつの偶発の歴史なのだ。1930年代の哲学専攻の英語圏学生が、リアリズム対理想主義、プラグマティズム対合理主義、そして、さまざまなそれらの間の不毛な論争。

Symbolic logic, Russell and Carnap announced, was going to make philosophy lively and interesting again.
ラッセルとカルナップが発表したように、記号論理学は哲学を再び活発で興味深くしそうだった。

So it did, for a while.
まもなく、そうなった。

But by the time Wittgenstein's Philosophical Investigations was published, in the mid -1950s, it had become vieux jeu.
しかし、1950年代半ばにヴィトゲンシュタインの『哲学探究』が出版されることによって、記号論理学は、鈍くさい時代遅れになった。

Even now, however, you have to know something about Godel's results before you can get a Ph.D. in most American philosophy departments (even though you plan to write you dissertation on, for example, the relation between Kierkegaard and Levinas).
しかしながら今でも、ほどんどのアメリカの哲学学部で、博士号を取る前には、(論理学の)ゲーデルの結論について何事かを知っておく必要がある。(たとえ、キルケゴールとれびなすの関係の論文を書く予定であるとしても)

This is simply a matter of curricular inertia.
これは、単にカリキュラムの惰性の問題である。

Similar inertia may ensure that there will still be a theory section on the Ph.D. qualifying exams in comparative literature departments in 2050.
同じような惰性は、確実に残るだろう。2050年の比較文学部で、博士号資格審査に関する理論セクションに、まだ存在しているであろう。

類似した惰性は、博士に資格を与えている試験に関する理論セクションが2050年に比較文学学部の中にまだあることを確実とするかもしれません..

Many students in that future time will be very glad they had to take a theory course, just as many philosophy students now get a lot out of the required course in symbolic logic.
多くの未来の学生たちには喜ばしいことである。彼らが理論コースを選択したまさしくそのとき、哲学専攻学生は、現在記号論理学の必修コースに要求されている多くのことをはずすことができる。

The rest will do their best to clamber over one more inexplicable curricular hurdle-- a hurdle that was erected at a certain point in the twentieth centurey and may be dismantled at a certain point in the twenty-first.
残りは、もうひとつの不可解なカリキュラムのハードルを乗り越えるためにベストをつくすだろう。このハードルとは、20世紀のある地点に立てられたものであり、21世紀のある地点で解体されるであろうハードルだ。

As I see it, both comparative literature and philosophy departments should be places in which students receive plenty of suggestions about what sorts of books they might like to read, and are then left free to follow their noses.
私がそのように見なしていることではあるが、比較文学部と哲学学部双方とも、学生がどんな種類の本を好んで読むのかということについて、豊富な提案を受け入れる場所で無ければならないし、彼らの嗅覚に従うままにしておくことが必要だ。

Members of these departments should not worry about the nature of their discipline or about what makes it distinctive.
これらの学部のメンバーは、彼らの規律の性質について心配すべきでないし、どんな特徴が作られるかについても心配しなくてよい。

They should not fret about whether proving a theorem in set theory, or adjudicating the disagreements between Heidegger and Levinas, counts as really doing philosophy.
彼らは、集合論で定理を証明するとか、ハイデッガーとレビナスの間の意見の相違について判断を下すことが、本当に哲学をしていることとされるかどうかを心配する必要はない。

Nor should they speculate about whether to be a true comparativist one needs to know the literature of at least one non-European language as well a few European ones.
真の比較言語学者としてあるために、少なくともひとつの非ヨーロッパ言語を、いくつかのヨーロッパ言語と同じくらいに知っている必要があるのかどうかについて、詮索される必要もない。

p66
They should not fuss about what a sound preparation in their field consists in.
専攻分野を構成する確実に準備されたものについて、気にしすぎては行
いけない。

They should just worry about finding intellectually curious students to admit to graduate study and about now to help such students satisfy their curiosity.
知的な好奇心をもつ学生を見いだすことと、大学院での研究を認めてやり、そのような学生が彼らの好奇心を満足させることを、今手助けするということについて、まさしく心配してやるべきなのだ。

The laissez-faire attitude makes me dubious about Haun Saussy's suggestion that literariness is central to the discipline of comparative literature.
ホーン・ソーシーは文学性が比較文学の学科にとって主要であると示唆しているが、そのような自由放任主義の態度は、私を懐疑的にさせる。

I have the same doubts about this claim as about the idea that the search for conceptual clarity is central to the discipline of philosophy--a claim often made by analytic philosophers who believe that the study of logic conduces to such clarity.
私には、概念上の明快さを探求することが哲学学科にとって主要であるという考え方についても、同じような懐疑がある。分析的哲学者がしばしば主張する、論理の研究とはそのような明快さのためになると思っているところの哲学、ということだが。

You can, I suspect, produce very illuminating comparisons between literary texts written in several different languages even if you have no use whatever for the term literariness.
たとえ、文学性という専門用語をなんらかのことに用いる必要がまったくないとしても、いくつかの異なる言語で書かれた文学的なテキストの間にあきらかに大幅な差異があると私が思っていることに関して、比較文学専攻の学生は研究をなしえることがあるだろう。

You can write very good philosophy--even very good analytic philosophy--after you have come to think of conceptual clarity as a meaningless mantra.
意味のないマントらとしての概念上の明快さを考慮したあとでなら、あなたは、非常によい哲学論文を書くことができる。大変優れた分析哲学でさえも。

I doubt that anything can ever be identified as central to an academic discipline any more than anything can be identified as the core of a human self.
私は、人間性の核心を確定できる何事かより以上に、大学の学科の中心として同定できうる事がこれまでにあったかと疑っている。

A self, Daniel Dennett has said, is best thought of as a center of narrative gravity.
ダニエル・デネットが言ったことであるが、それ自身は、語りの重力の中心点として最良のもとと考えられる。

Like selves, academic disciplines have histories, but no essences.
自分自身と同じく、大学の学科は、歴史を持っている。しかし実体はない。

They constantly update their self-image by rewriting their own histories.
大学の学科は、たえず自分自身の履歴を書き換えることによって自己像を更新している。

So-called crises move the apparently peripheral to the center and the apparently central to outer darkness..
いわゆる危機とは、中心的ことがらにとってあきらかに重要でないものと、明らかに外部の闇の中心とを動かす。

The centers of gravity of biology, anthropology, and psychiatry are not where they were fifty years ago.
生物学、人類学と精神医学の重心は、これらの学問が50年前であった地点にはない。

The center of gravity of contemporary Scottish philosophy is a long way from that of philosophy in Brazil.
現代スコットランドの哲学の重心は、ブラジルの哲学の重心からははるかにかけ離れている。

As Spivak and Bhabha replaced Auerbach and Girard as exemplars, the center of gravity of comparative literature departments moved quite a distance.
規範的存在としての、アウエルバッハとジラールの後を継いだのがスピヴァクとバーハであり、比較文学部の重心は、かなり移動した。

Where that center will be in 2050 is anybodey's guess.
比較文学の中心点が2050年にどこにあるかは、誰にもわからない。

We should rejoice in the mutability and fashion-proneness of academic disciplines, for the only alternative is decadent scholasticism.
  我々は、大学学科の移り気や流行の転変を喜ぶべきだろう。なぜなら、ただ一つの選択肢となるものは、衰微しているスコラ哲学だからだ。

Whereas crises in the natural sciences are sometimes provoked by encounters with brute facts, in the humanities there are no such facts.
自然科学の危機が、時に粗暴な事実との遭遇によって起こるのに対して、人文科学において、そのような事実はない。

So paradigm shifts in disciplines such as classics, philosophy, or comparative literature are, typically, reactions to brilliant iconoclastic books: The Birth of Tragedy; Language, Truth and Logic; Philosophical Investigation; The Anxiety of Influence;Of Grammatology; Metahistory.

そう、古典、哲学または比較文学のような学科においてのパラダイム変動は、典型的な輝ける因習打破主義的な本に対する反応といえる。『悲劇の誕生byニーチェ』『言語・真実と論理by A.J. Ayer』『哲学的探求by ヴィトゲンシュタイン』『影響の不安by ハロルド・ブルーム』『グラマトロジーby デリダ』『歴史の詩学by H. ホワイト』などの本、、、

There will be changes in fashion as long as such books are written--as I trust they always will be.
このような著作が書かれていく限り、流行の変化は起こりうる。私は常にそのようになるだろうと信用しているのだが。

These paradigm-shifting books are sometimes written by people who are members of a different discipline than the one their books help transform.
   これらのパラダイム変動を引き起こす著作は、学科内の人がそれらの著作を翻訳する以上に、時々他の学科のメンバーによって書かれる。

Then it is tempting for enthusiastic readers to conclude that what discipline A needs is more interdisciplinary cooperation with discipline B.
そして、学科Aが学科Bと学際的に協力することを必要とするということは、熱心な読者の結論のために魅力的である。

But in the humanities at least, the whole idea of disciplines is pretty dubious, and so is that of interdisciplinarity.
しかし、少なくとも人文科学において、学科全体の考えは、まだかなり疑わしい段階で、それは、学際性といわれる。

p67
The difference between studying analytic and studying non-analytic philosophy, for example, is at least as great as the difference between studying either and studying comparative literature.
例をあげるなら、分析研究と非分析的哲学の間の違いは、少なくとも、「おべんきょうすること」と「比較文学研究」の間の違いくらいに大きい。

The difference between Auerbach and Spivak is as great as the deference between Heidegger and Carnap.
アウエルバッハとスピヴァクとのあいだは、ハイデッガーとカルナップの間の大きな差異くらいに違う。

If you can profit from reading both members of either pair, you are already about as interdisciplinary as anybody could reasonably ask you to be.
二つの種類のうちどの組み合わせでも両方のメンバーの著作を読むことで利益を得ることができるなら、だれであれ合理的にそうなるように頼むことができるのと同じく、あなた方はすでに学際的存在だ。




Fifty years down the road, accounts of the nature of the discipline of comparative literature written with Spivak in mind will sound as quaint as those written with Wellek in mind do now.
   50年時代を下った後、スピヴァクとともに書かれる比較文学の学科の性格の報告を思い浮かべてみると、現在ウェレクとともに書かれる比較文学を想像してみるのと同じくらい、風変わりに聞こえるだろう。

If they do not then something will have gone wrong--not because there is anything wrong with Spivak, but because no healthy humanistic discipline ever looks the same for more than a generation or two.
もし、そうしないなら、スピヴァクに伴う何か悪しきものがあるという理由ではなく、何か悪いものの推移があるというのではない。そうではなくて、健全な人文学科が、かって1世代か2世代よりもっと多いなにものかとしてみなされている、ということだ.