本当に面白い「芸」とか、とても魅力的な「歌」は同じカメラでずっと録っている方が良いと思う。テレビ番組の収録で、カメラが複数あるのは、一つは編集できるようにカットを割って録る事が不可欠な事、そしてもう一つはカットを割らなければ、その「芸」や「歌」が「持たない」事が理由だと思う。漫才とかを録っていて、本当に面白い漫才は二人の正面からの画で十分「持つ」のである。ドラマでも、やたらとカットを割るディレクターがいるが、それはちゃんと「芝居」をつけていない事が多いと僕は思う。あくまで私見。例えば、あまり「音楽番組をやった事の無いディレクター」が音楽番組のディレクターをやると自信が無いから、カットをたくさん割る。テレビで見ている僕達は、普段テレビ朝日の「ミュージック・ステーション」とかを見ているから、カットをたくさん割られて、歌手のUPが少ないとイライラする。当然、カメラマンも音楽番組に慣れていないから、ピントが合わない。悪循環である。その辺の事は先輩ディレクターがちゃんと教えて行かないと、テレビ局の財産にならない・・・かつて映画会社が斜陽になった道をテレビ局も進んでいる様な気がするのは僕だけだろうか?
この間、NTVの「歌の大辞典SP」を見ていたら、古い歌(昭和43年頃)のVTRは、そのほとんどが「紅白歌合戦」の映像だった。過去の映像を残しておく事を「アーカイブ」という。民放は僕の入った20数年前、VTRテープの値段が高くて、過去の映像を残す事は少なかった。ましてや、生放送を録画したVTRなどは一年位で消去されていた様に思う。今は、BSやCSなど、いろんな放送形態が出てきて、「アーカイブ」の価値も認められる様になり、民放もVTRをファイルして、保存する様になった。それゆえ、昭和50年くらいからのVTRは少しずつ残す様になり、保存もデジタルVTRで、画像や音声が劣化しない様に保存する形になってきた。それを考えると、NHKの持つアーカイブは凄いと思う。
一昨年の12月、DVDレコーダーを買った。最近買った中では、とても重宝している。好きな映画を録り、DVDにダビングして保存する。それが楽しみだった時期が長く続いた。しかし、いくら映画や番組を録っても、やはり「見る」には同じだけの時間がかかる事をうっかり失念していた。DVDだけで、軽く100枚は越えているだろう。本もインターネット書店のおかげで、自宅の机の周りに積んであって、時々、雪崩を起こしている。この際、「見なければいけない」「読まなければいけない」という「強迫観念」は捨てた方が精神的に良いと思った。本や番組は、その時、買ったり録ったりしなければ、絶版になったり、再放送しなかったりするので、できるだけ、好奇心に引っかかるものには触手を伸ばしておきたい、という原点に立ち戻って、見たい時に「無い状態」を無くす為のDVD、読みたい時に絶版で手に入らない事を防ぐ為の本だと割り切る事にした。
昨日、新宿駅の長いエスカレーターに座っている若者を見つけた。会社帰りのラッシュで横をたくさんの人が通っていくのにも、関わらず、彼女と楽しそうに話をしているのだ。一昨日は、新宿駅の乗り換え通路の隅に寝転んでいる高校生のカップルに出会った。最初はホームレスかと思ったが、近づいてみると制服を着ていたので、高校生だという事が分かった。ほんまに「アホちゃうか!」である。「礼儀」を教える前に、「もっと自分達の存在の大切さ」を認識したらと思う。でも、世の中自体がおかしくなってきている日本ではこういう若者は増え続けるのだろうなぁ~と悲しくなってしまった。なんでもありの「今の日本」を象徴している風景に二日連続遭遇した。
「文章というのは奥が深い」と思う。ある程度の「想像力」を持っていれば、日本語で書かれた文章は、いろんな風に読める。日本語自体がとても複雑な・・・そして美しい言語だと思うので、余計に「想像力」を掻き立てられる。今のテレビ番組では、日本語がちゃんと使われていない事が多い。バラエティー番組でタレントが喋った事をいちいちスーパーで出し始めた辺りから、テレビ番組は「離乳食」になったと思う。つまり、「噛み砕いて、何も考えなくても誰でも分かる番組」が増え過ぎた。子供の遊びでもそうだが、人の作ったゲームをやっているより、子供達自らが考えて遊んでいる姿の方が圧倒的に自然だと思う。
僕は月曜日NHKの「英語でしゃべらナイト」がとても気に入っているのだが、英語の事を知れば知る程、日本語を喋れて、書ける日本人に生まれて良かったという思いに駆られる。日本語は、それだけ表現できる「大きな潜在能力」を秘めている。
僕は月曜日NHKの「英語でしゃべらナイト」がとても気に入っているのだが、英語の事を知れば知る程、日本語を喋れて、書ける日本人に生まれて良かったという思いに駆られる。日本語は、それだけ表現できる「大きな潜在能力」を秘めている。
コカ・コーラから「Dr.ペッパー」という飲料が発売されていた。20年くらい前は、大阪には無く、東京に出張に行った折、好んで飲んだものだ。味は、子供用の風邪のシロップの様な感じ。薬好きの僕としては、好ましい味だった。今、お茶を中心に、新製品のラッシュとなっている。添加物さえ入っていなければ、「新しもの好き」の僕は「一」も「アミノ酸系飲料」もまずは飲んでみる。それにしても、あの「Dr.ペッパー」は今でもどこかで売っているのだろうか?沖縄辺りが怪しい。あの松山容子のパッケージの「ボンカレー」を唯一買える県だからだ。「ボンカレー」の「ボン」にはどんな意味が込められているのだろう。今、ちょっと不思議に思った。
今日、Mさんという人から連絡があった。この人との出会いは、南米ボリビアの首都・ラパス。僕がラパスの寿司屋で飯を食っていたら、この人が入ってきた。ボーリング(地面にアナを開ける技術)をボリビアに教えに来ている日本の技術者だった。もう、今から10年くらい前の話だろうか。何度か、お互い、日本に帰ってきて連絡を取り合っていたのだが、どちらかのスケジュールがNGで、やっと会える事になった。本当にこういう出会いは嬉しい。今から、ワクワクしている。
テレビの仕事は、「いろんな人に会うこと」がとっても大切だと僕は思っている。異業種の人と喋っていると、予想もつかない情報を知ることができたり、ついにはその相手と一緒に仕事をすることになったり、そういう相乗効果が楽しい。その「楽しさ」はテレビの画面にきっと出てくるのだ。テレビって、もちろん、公共の電波ではあるけれど、「作り手」が率先して、「この番組は面白いんだ!」と「地球の中心で『面白さ』を叫ぶ」位でないといけないと思う。スイマセン・・・この文章を読んで下さっている人を笑わそうと思って・・・失敗しました。「すべり芸」なので許して下さいネ。
テレビの仕事は、「いろんな人に会うこと」がとっても大切だと僕は思っている。異業種の人と喋っていると、予想もつかない情報を知ることができたり、ついにはその相手と一緒に仕事をすることになったり、そういう相乗効果が楽しい。その「楽しさ」はテレビの画面にきっと出てくるのだ。テレビって、もちろん、公共の電波ではあるけれど、「作り手」が率先して、「この番組は面白いんだ!」と「地球の中心で『面白さ』を叫ぶ」位でないといけないと思う。スイマセン・・・この文章を読んで下さっている人を笑わそうと思って・・・失敗しました。「すべり芸」なので許して下さいネ。
面白いCDを買った。1962年~1989年の間に流れた「コカ・コーラ」のCMソングを二枚組みのCDにしたものだ。3月24日に発売された。今日、久しぶりにWAVEに行って見つけた。今、そのCDを聞きながら、このブログを書いている。頭の中は「昭和」になっている。二枚組みで56曲入っているのだから、お買い得だ。「コカ・コーラ」は戦後の日本で、「アメリカ文明」の象徴だった。本国アメリカでは、大統領が代わる毎に、「コカ・コーラ」と「ペプシ・コーラ」の売れ行きが変わるほどの両者の力関係だったのが、日本では圧倒的に「コカ・コーラ」が強い。それを支えてきたのがそのCMである。特に音楽。それがまとめて聴けちゃうのは贅沢なものだ。このCDの企画を立てた人に感謝したい。
先日、クレジットカードがいろんな会社のカードに付いて来るという話を書いたが、儲かるから、年会費も無料なのだろう。あと、儲かっているだろうなあと思うのは、「英会話」である。東京も大阪も「紀伊国屋書店」に行くと、いつも「英会話」の勧誘に遭う。そして、「光ファイバー」の申し込みの勧誘。僕もついつい「光ファイバー」に換えてみようかなぁと思って、話をすると、「郵便番号」を聞かれ、「その地域ではまだ光ファイバーはやっておりません」という手のひらを返した様な冷たい返事。あとは、会社の電話にちょくちょくかかってくるのが、「老後の為のマンション購入(つまり、自分が住むのではなく、人に貸して、その家賃で老後の年金の足しにするという事)」の勧誘。これがしつこい。相手が話している途中で切ったら、もう一度かかって来て、「逆ギレ」された事があった。また、うちの会社は移転して間もないのに、直通で電話がかかってくるので、「どうして僕の電話番号を知ったの?」と素朴に聞いてみると、「名簿を買いました」と分かりやすい返事。そんな答えで良いのか・・・?
先週、特番・新番組の収録が立て続けに続いたので、収録後、お酒を飲みつつ、仕事の話をするという事が三日もあった。お陰で僕のアトピーは悪化し、昨夜は顔が痒くて何度も目が覚めた。心身ともに疲れているのだろう。疲れやストレスはアトピーにすぐ影響を与える。だから、今日は昼寝をして、のんびりとした一日を過ごした。間もなく四月。仕事も今週からは少し落ち着いてくる。今、東京では花粉症で酷い目にあっている人が多いようだが、その苦しみを僕は12歳ごろから30年以上も「アトピー」という病気で味わってきた。今はアトピーも一般的になり、苦しみを分かち合える人もできたが、30年前は病気の名前すら知られていなかった。アトピーは遺伝するのか、僕の三人の子供達もアトピーだ。
人間が地球の環境に与えた悪影響によって、アトピーも花粉症も発症しているような気がしてならない。僕と子供達は、本当に偶然にも、新宿の「中国の人のやっている漢方医」に出会った事で、少しずつよくなってきているが、そんな自分にあった医者にめぐり合うまで、僕は25年かかった。漢方薬を40分くらい煎じて、毎日飲むのだが、それを、四人分、妻はやってくれている。家族の支えがあって、僕らは生きているんだなぁ~と感じる。アトピーでお困りの方、書き込みをして頂ければ、その「漢方医」をお教えする事は可能だと思います。
次男が妻のお腹の中にいる時、長男がアトピーで夜中に何度も起きて、妻を起こす事で、妻が「切迫流産」を起こしかけ、救急車を呼んで緊急入院させた事が、この「漢方医」を探すきっかけだった。タレントの「松居一代さん(船越栄一郎さんの奥さん)の子供」がひどいアトピーで、この先生に診て貰い、快方に向かったとの話を聞き、藁をも掴む思いで、行ったところ、僕と子供達には合っていた様だ。患者と先生の相性も結構難しいものだ。今はうちも四人とも良い方向へとは向かい始めている。
人間が地球の環境に与えた悪影響によって、アトピーも花粉症も発症しているような気がしてならない。僕と子供達は、本当に偶然にも、新宿の「中国の人のやっている漢方医」に出会った事で、少しずつよくなってきているが、そんな自分にあった医者にめぐり合うまで、僕は25年かかった。漢方薬を40分くらい煎じて、毎日飲むのだが、それを、四人分、妻はやってくれている。家族の支えがあって、僕らは生きているんだなぁ~と感じる。アトピーでお困りの方、書き込みをして頂ければ、その「漢方医」をお教えする事は可能だと思います。
次男が妻のお腹の中にいる時、長男がアトピーで夜中に何度も起きて、妻を起こす事で、妻が「切迫流産」を起こしかけ、救急車を呼んで緊急入院させた事が、この「漢方医」を探すきっかけだった。タレントの「松居一代さん(船越栄一郎さんの奥さん)の子供」がひどいアトピーで、この先生に診て貰い、快方に向かったとの話を聞き、藁をも掴む思いで、行ったところ、僕と子供達には合っていた様だ。患者と先生の相性も結構難しいものだ。今はうちも四人とも良い方向へとは向かい始めている。
僕と手塚治虫の出会いは、高校三年生の時、京都の「駿台予備校」の夏季講習に通っていて、河原町の本屋で、小学館漫画文庫の「シュマリ」、そして、朝日パノラマから出ていた大判の「火の鳥」でした。故高校三年という「大学受験」が目の前に迫り、ストレスも最高潮に達していた僕をこの漫画たちが救ってくれました。それから、当時河原町の「三省堂書店」にあっ大都社から出ていた「奇子(あやこ)」や「IL」などを読み漁りました。そして、ついに講談社から「手塚治虫全集」の発刊。「ライオンプックス」や「タイガーブックス」そして、「紙の砦」が好きでした。潮出版から出ていた「ブッダ」も全巻読みました。「ブラック・ジャック」は秋田書店のコミックスを全部揃えました。「三つ目がとおる!」は当時、「少年マガジン」に連載されていて、講談社コミックスで読みました。そして、大学時代を経て、会社に入り、ディレクターデビューが、とっても幸運でした。或る日、僕のやっていた番組のプロデューサーが「手塚治虫」で番組が作れないか、とオフ
ァーに来て、本当に「天にも昇る気持ち」でした。早速、高田馬場の「手塚プロダクション」に伺い、手塚先生に番組の事をいろいろ相談する事になりました。応接室で待っていると、大柄な手塚先生が入ってきて、
僕と名刺交換をしてくれ、早々に打ち合わせ。こんな若造のディレクターに対しても、本当に優しく丁寧に接して下さる手塚先生に仕事を忘れて感動してしまいました。それから、後日取材で手塚プロに御邪魔した時、先生はちょうど「アドルフに告ぐ」を描いておられ、その目は打ち合わせの時と違って、良い意味で、「漫画にたいして、鬼の様に真剣に相対している」という姿を僕は見て、僕は心が引き締まる思いをした事を昨日の様に憶えています。最近、「鉄腕アトム」「火の鳥」そして、「ブラック・ジャック」と次々に手塚治虫の漫画が連続アニメ化されていますが、とっても良い事だと思います。原作とは違った部分もあるのですが、「原作を知らない今の子供達に、原作を読ませる起爆剤」になって欲しいと願っています。うちの子供の小学校でも「アッチョンブリケ」は流行っていますし、図書館の「B・J」は貸し出し待ちになっているそうです。とっても嬉しい事だと思います。
ァーに来て、本当に「天にも昇る気持ち」でした。早速、高田馬場の「手塚プロダクション」に伺い、手塚先生に番組の事をいろいろ相談する事になりました。応接室で待っていると、大柄な手塚先生が入ってきて、
僕と名刺交換をしてくれ、早々に打ち合わせ。こんな若造のディレクターに対しても、本当に優しく丁寧に接して下さる手塚先生に仕事を忘れて感動してしまいました。それから、後日取材で手塚プロに御邪魔した時、先生はちょうど「アドルフに告ぐ」を描いておられ、その目は打ち合わせの時と違って、良い意味で、「漫画にたいして、鬼の様に真剣に相対している」という姿を僕は見て、僕は心が引き締まる思いをした事を昨日の様に憶えています。最近、「鉄腕アトム」「火の鳥」そして、「ブラック・ジャック」と次々に手塚治虫の漫画が連続アニメ化されていますが、とっても良い事だと思います。原作とは違った部分もあるのですが、「原作を知らない今の子供達に、原作を読ませる起爆剤」になって欲しいと願っています。うちの子供の小学校でも「アッチョンブリケ」は流行っていますし、図書館の「B・J」は貸し出し待ちになっているそうです。とっても嬉しい事だと思います。
今日、「春の高校バレー・女子決勝戦」を見た。共栄学園が優勝したのだが、これから、全日本女子は強くなっていくはずだ。今日の「共栄」のレシーブの拾い方、コンビバレーの息の合い方、高校生とは思えない素晴らしいものだった。厳しい練習を連日やっているだろう彼女達の「顔」はとっても良い。輝いている。団体スポーツは「人間と人間の阿吽の呼吸」が必要だから、彼女達は「人の絆の大切さ」を猛練習を通して、実感できているのだろう。それと「生きている」という「自分の存在感」も。だから、きっと僕達が本当は今の日本ではなかなか見当たらないそれらの事を「疑似体験」したいが為に、女子バレーを見るのだと思う。
連続ドラマの制作現場も似ている。過酷な撮影現場で長時間、一つのチームとなって頑張るから、その時のキャストやスタッフ達とは、その後、長い時間が過ぎても、会った時、撮影当時の「絆」が蘇ってくる。だから僕はドラマ作りが大好きなのだ。「ヤっている時はしんどい」と思う事も多いけど、やらなくなると、「麻薬」(もちろん、麻薬などやった事はないけれど)の様に「禁断症状」を起こすのかもしれない。
連続ドラマの制作現場も似ている。過酷な撮影現場で長時間、一つのチームとなって頑張るから、その時のキャストやスタッフ達とは、その後、長い時間が過ぎても、会った時、撮影当時の「絆」が蘇ってくる。だから僕はドラマ作りが大好きなのだ。「ヤっている時はしんどい」と思う事も多いけど、やらなくなると、「麻薬」(もちろん、麻薬などやった事はないけれど)の様に「禁断症状」を起こすのかもしれない。
僕の周りで、クレジットカードが氾濫を起こしている。いつも使っているのはVISAのANAカードだが、インターネット書店の「本屋さん」のカードにもマスターカードがついているし、NTTグループカードにはVISAカードが付いている。TSUTAYAのカードはJCB。いずれも年会費は無料なので、特に問題は無く、酔っ払って無くしたり落としたりするのが怖いので、ANAカードとTSUTAYAカードだけを持ち歩く様にしている。「本屋さんカード」に入会すると、本の送料は無料になる。TSUTAYAカードに入るとローソンで買い物をした時、ポイントが貯まる。いろいろ特典が多すぎて憶えきれない。でも、「貧乏性」なので、自分の利益になる事であれば、なんでも入会してしまうという癖が僕にはあるのだ。年会費を無料にしても、提携している各企業は儲かるからやっているのだろう。テレビ局もカード会社と提携して、「その局の番組を見たら、・・・ポイント獲得」というシステムは作れないものだろうか。番組毎に「キーワード」を放送して・・・。そして、そのポイントが貯まるとレアな賞品が貰えるとか。まあ、番組の中身をしっかり作る事がまずあっての話だが。
僕がドラマをやっていた頃知り合ったマネージャー(女性)がマネージャーを辞めて、整体師をやっているのですが、彼女の整体の話を聞くと凄いなあと思います。松葉杖を付きながら来た患者さんが整体を受けると、ちゃんと歩いて帰れる様になったとか、その患者の病がどれだけ、体を蝕んでいて、「治る方向性」があるのかどうか、すぐに分かったりもするそうです。
大女優さんの一ヶ月公演とかに呼ばれて治療に行く事もあるとの事。舞台は2時間以上も緊張感を保ちつつ、お客さんの前で生の芝居をするのですから、それが一日、二回公演にもなると、心身の疲れは計り知れません。それを彼女は週に数回、楽屋に通って、その疲労を取り除く治療をしていたと言っていました。「手からでる『気』」だけではなく、勉強不足の僕には分からない方法で彼女は人間の体のエネルギーを回復へと導くのです。凄い人がいるものです。久しぶりに手紙を彼女から貰ったので、「整体」の事を書きました。
大女優さんの一ヶ月公演とかに呼ばれて治療に行く事もあるとの事。舞台は2時間以上も緊張感を保ちつつ、お客さんの前で生の芝居をするのですから、それが一日、二回公演にもなると、心身の疲れは計り知れません。それを彼女は週に数回、楽屋に通って、その疲労を取り除く治療をしていたと言っていました。「手からでる『気』」だけではなく、勉強不足の僕には分からない方法で彼女は人間の体のエネルギーを回復へと導くのです。凄い人がいるものです。久しぶりに手紙を彼女から貰ったので、「整体」の事を書きました。
大阪弁というのは不思議な言語だ。前の車についていたナビには、音声ガイダンスとして、「クラリオンガールの声」と「大阪のお笑い芸人の声」というバージョンがついていた。前者は「次の交差点を右に回ってね」と芸能人でいうと「小倉優子」が道を案内してくれている様で、これもなんだ
かなぁ~と思っていたが、後者の大阪弁バージョンは「次の交差点、右にまわりまっせ!」・・しかも時々、すべったギャグっぽい言い回しをしたりして、なんか全然「道案内」が信用できない感じだった。そのナビには不思議な事に「東北弁バージョン」も付いていた様に思う。付加サービスになるのだろうか。
飛行機に乗っていて、機長が大阪弁で、「高度4000メートルを飛んでおりまっさかい、間もなくハワイに到着しまっせ」なんて、アナウンスされたら、きっと「この飛行機、落ちるんやないか」と思うに違いない。「大阪弁」は老成された言葉なので、標準語と違い、個々の人間同士を結びつけるには向いていると思うが、「公のアナウンス」で使われると、一気に信用性を無くす。元々、商人の町・大阪で、商売の駆け引きに使われてきた言葉だから、「決定事項をそのまま伝える」という事に関しては向いていない言語だと思う。皆さん、如何お考えでしょうか?
かなぁ~と思っていたが、後者の大阪弁バージョンは「次の交差点、右にまわりまっせ!」・・しかも時々、すべったギャグっぽい言い回しをしたりして、なんか全然「道案内」が信用できない感じだった。そのナビには不思議な事に「東北弁バージョン」も付いていた様に思う。付加サービスになるのだろうか。
飛行機に乗っていて、機長が大阪弁で、「高度4000メートルを飛んでおりまっさかい、間もなくハワイに到着しまっせ」なんて、アナウンスされたら、きっと「この飛行機、落ちるんやないか」と思うに違いない。「大阪弁」は老成された言葉なので、標準語と違い、個々の人間同士を結びつけるには向いていると思うが、「公のアナウンス」で使われると、一気に信用性を無くす。元々、商人の町・大阪で、商売の駆け引きに使われてきた言葉だから、「決定事項をそのまま伝える」という事に関しては向いていない言語だと思う。皆さん、如何お考えでしょうか?