内容(「BOOK」データベースより)
優れた人はいる。感じのいい人もいる。しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。なぜ日本人はかくも小粒になったのか―。その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。
出版社からのコメント
なぜ、日本人はかくも小粒になったのか
無私、反骨、強欲、豹変、挺身......
先達の器量に学ぶ人間論
カバーの折り返し
優れた人はいる。感じのいい人もいる。しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。なぜ日本人はかくも小粒になったのか----。その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
福田 和也
1960(昭和35)年東京生まれ。文芸評論家。慶應義塾大学環境情報学部教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。1993年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、2002年『地ひらく』で山本七平賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
About this Title
第一章 なぜ日本人はかくも小粒になったのか
戦後、わが国は人物を育てようとしてきたか
大きい人がいなくなりました。
人物というべき人がいない。
日本中、どこを探しても。
一体全体なぜ、人材がいなくなってしまったのか。
その原因はいくつもあるでしょうが、一番の理由は、育てて来なかったから、明確な意識をもって育てようとしてこなかったからにほかなりません
人物を、人材を育てようとしてこなかった。
勉強のできる人、健康な人、平和を愛する人は育てようとしてきたけれども、人格を陶冶するとか、心魂を鍛えるといった事を、まったく埒の外に置いてきた。
その、戦後教育の結果が、このざまです。
政界、官界、財界、どこを見回しても人物というほどの代物はいないではないですか。
言論界も同じようなものです。
わが国から、人材というほどの存在が、きれいさっぱり払底してしまったわけです。
国の借金が一千兆円、などという話を聞くと暗澹としはしますけれど、それでも人がいないという事に比べればたいした事がありません。
いくら金があったって、人がいなければどうしょうもないからです。
バブル期以来、どれだけのお金を日本人が無駄に使ってきたか。
みんな人を得なかったからではありませんか。
人材は、何よりも大事なものです。
お金がなくたって、国は、企業は立ちゆくけれど、人がいなければ、どうしようもありません。
人がいれば、金がなくったってなんとかなるのです。
幕末、外交に失敗して諸外国からいいように賠償金をむしりとられ、そのうえ国際経済のルールをしらないために大量の正貨が流出してしまって経済危機をむかえた日本が、自立できたのも人がいたからです。
封建体制を打ち壊し、凄惨な内戦をくり広げたうえに、むやみと急進的な改革をほどこしたにも関わらず、国が四分五裂にならなかったのは、人がいたからでしょう。
薩長のみならず、日本全国から澎湃と人材が現れて、手を携え、あるいは角逐しながら仕事をしたからでしょう。
たしかに泥試合もありました。内戦もあった。醜い政争もあればとてつもない不正もあった、理不尽きわまる収奪もあったでしょう。
にもかかわらず、明治国家はなんとかなった。なんとかどころか、極東の小国が列強に伍するまでになったのです。
明治ばかりではありません。大正・昭和世代の日本人も、実によくやった。
たしかに先の大戦は、大しくじりでした。
内外で多くの人命が失われたのは、痛恨の極みではありましたが、しかし敗戦の瓦礫のなかから、世界一と云われた経済大国を作りあげたのです。
もちろん明治以来の蓄積があってのことですが、それにしてもこれは、とてつもない快挙ではないでしょうか。
戦時体制を担った重鎮たちが追放されて、あとを担った、「三等重役」と揶揄された経営者たち。陸軍海軍から放りだされて路頭に迷い、企業戦士となった若い将校たち。
占領軍の理不尽な規制と、社会主義・共産主義の荒波に揉まれながら戦後の混乱を収拾した官僚たち。
政治家たちだってたいしたものでした。一度は引退したロートル外交官の吉田茂も、巣鴨プリズン帰りの岸信介も、政界の裏も表も知り尽くした三木武吉も、死力を尽くして国家、国民のために尽くしました。
企業家だってそうです。松下幸之助だって本田宗一郎だって、盛田昭夫だって、ちっちゃな町工場から、世界企業を作りあげたではないですか。
今、中国の、韓国の、インドやシンガポールの企業が世界市場に進出するようになったのも、みんな昭和の日本を見倣ったからです。
アジアでも、繁栄した産業国家を樹立し得ると、わが国が身を以て示したからです。
もちろん、その偉業は国民一人一人が生活の、社会の再建のために死力を尽くして働いたから成し遂げられたものですが。
いずれにしろ、昭和の後期まで、日本には人物といえるような存在が、ふんだんにいたのです。
けれど、今はどうでしょうか。
優れた人はいるでしょう。
専門知に秀でた人もたくさんいるでしょう。
商才に秀でた人も、数えきれないほどいるでしょう。
人あたりのいい、感じのよい人もいるでしょう。
けれど、誠に残念なことに、人と呼べるほどの人はいない。
みな才子なのです。
小利口で、目端がきいて、気の利いた事もいえる。場合によっては、大物ぶってみるほどの技すらもっているでしょう。
良心的で、真面目で人間愛に満ちている。
けれども、到底人物とはいえない。
小粒な、おさまりのいい、メディアが重宝がるだけの存在にすぎない。
深みもなければ、重みもない。
要領だけは滅法よく、情報技術に通じている。
そういった小粒な才子は、いくらでもいるけれど、人物と云い得るほどの存在は、まったくいないのです。
たしかに、小泉純一郎元総理のような、一陣の嵐を巻き起こした政治家はいました。
彼の全盛期の勢いは、凄まじかった。
けれども、一体何を彼がなしたのか。
その改革なるものの内実を問う事は、とりあえず私の任ではありません。
けれど、あれが狂騒以外の何ものでもなかった、という事は断言できます。
彼が非常に優れたアジテーターであった事はたしかでしょう。
でもそれだけでした。まったくの空っぽでしかなかった。
スローガンにも至らない、短い言葉----ワン・フレーズ----をつなぎ、叫ぶことはしたけれど、それきりでした。それ以外の何もなかった。
その単純さ、無内容さに、国民は歓呼したのです。
小泉元総理が、ある種の際だった才をもっていた事は、確かでしょう。
貪欲なマスメディア----その欲深さはまた、日本国民全体のものであることは間違いありません----を逆手にとり、彼らの求めるものを与える代わりに手玉にとった手際は、見事としか云い様がありませんでした。
でもそれだけの事です。
政治闘争は、手段を選ばないというのは、洋の東西を問わない鉄則であるとはいえ、「刺客」と称するインスタント候補を出馬させて、反対派を浴びせ倒そうとする手口は、ある意味で議会政治そのものの自己否定に他ならないものでした。
そして、そこまでして一体、国民は何を得たのか。
あやしげな郵便会社だけではないですか。
その「教訓」が、選挙民を多少とも賢明にしたと信じたいのですが。
けれども、あの選挙ほど、現在の日本人の虚無を、何の信念も、確信も持たない様を示した事件はなかったと思います。
そして私たちは、いまだその虚無を、克服していない。
才人はいるが人物がいない。
キャラクターがあっても人格がない。
儲け話はあっても志はない。
演出と自己陶酔があるだけで、本当の感動はない。
幕が引かれれば自分が熱狂していたことすら忘れてしまい、狐につままれたような心持ちになるのです。
こうした状況は、一朝一夕にはなおらないでしょう。
まだまだ、続くと考えなければなりません。
無意味な空騒ぎを何度も繰り返し、さらに繰り返させる事になるでしょう。
なぜこんな事になったのか。
日本から人物が払底して、小物ばかりになったのはなぜなのか。
この事を、しっかり考えないかぎり、人らしい人は出てこないのではないのでしょうか。
いかにして、日本人はかくも小粒になったのか。
その理由と本質を考える事が、今、一番、重要な事ではないか。
私は、そう思っております。
日本人の気質なのか・・・なんかおかしくなっているとは感じていた。それをちゃんと言ってくれている。