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本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

ジョン・バリー・・・映画音楽

2008年07月21日 | 歌・CD
ジョン・バリー OBE(ジョナサン・バリー・プレンダーガスト Jonathan Barry Prendergast OBE, 1933年11月3日 - )はイギリス・ヨーク出身の作曲家。多くの映画音楽の作曲を手がけた。中でも「007/ジェームズ・ボンドシリーズ」の曲は広く知られている。ゴールデングローブ賞とアカデミー賞を5回受賞している。

プロフィール
ジャック・バリーが父親の元、1933年にイギリスで生まれる。父親は映画館や劇場を経営していたため、ジョンも幼い頃から映画に親しんでいた。母親はピアニストであった。なおその影響もあり1941年9歳からピアノを弾き始め、後にトランペットも習い始めた。また10歳の時からヨーク寺院のフランシス・ジャクソン博士に音楽教育を受け、その後ロンドンの音楽学校で作曲と楽器法を学んだが、1年経たずして中途退学となった。その後3年程、地方のジャズ・バンドで演奏していたが、兵役に応じ軍隊のバンドで演奏活動を続け、その間も作曲、編曲、ハーモニーをスタン・ケントンに通信教育で学ぶ。除隊後は軍の友人達とR&Bのバンド「ジョン・バリー・セブン」を結成。
•1957年にEMIレコードと契約を結ぶ。その後、クリフ・リチャードや多くのアーティストのプロデュースやアレンジを手がけ、テレビの音楽を担当した後、アダム・フェイス、ピーター・セラースの映画のスコアを書き、1959年に『狂っちゃいねえぜ (Beat Girl)』で本格的に映画音楽に進出し、007ジェームズ・ボンド・テーマで名声を博した。
•1953年バーバラ・ピカードと結婚、一児をもうけたが1963年離婚。 1965年女優のジェーン・バーキンと結婚(映画『ナック』が縁?)、一女ケイト・バリー(写真家)が生まれたが、1968年に離婚。1969年ジェーン・シドニーと結婚、1971年離婚。1978年1月、現在の妻ローリー・バリーと結婚。
•1970年代途中まで英国で過ごす。その後少しの間スペインで過ごし(税金問題のため)、その後、映画の仕事のため渡米、ニューヨーク近郊のオイスターベイで暮らす。
•1988年肺炎による食道破裂を患う。

映画作品
•1959年『狂っちゃいねえぜ』 (Beat Girl)
•1960年『喰いついたら放すな』 (Never Let Go)
•1962年『桃色株式会社』 (The Amorous Prawn)
•1962年『007 ドクター・ノオ』/『007は殺しの番号』(Dr.NO、この時はモンティ・ノーマンが音楽担当であったが、映画製作者気に入らなかったため、急遽バリーが主題曲の編曲を担当した。)
•1963年『007 ロシアより愛をこめて』/『007 危機一発』(From Russia with Love、主題歌はライオネル・バート作曲。バリーはスコアと編曲、指揮)
•1964年『雨の午後の除霊祭』 (Seance on a Wet Afternoon)、『007 ゴールドフィンガー』 (Goldfinger)、『ズール戦争』(Zulu)、『国際諜報局] (The Ipcress File)
•1965年『キング・ラット』(King Rat)、『007 サンダーボール作戦』(Thunderbal)、『ナック』(The Knack)、『ジャングル・モーゼ』(Mister Moses)
•1966年『さらばベルリンの灯』(The Quiller Memorandum)、『逃亡地帯』(The Chase)、『野生のエルザ』(Born Free)=アカデミー作曲賞・歌曲賞2部門受賞
•1967年『007は二度死ぬ』(You Only Live Twice)
•1968年『冬のライオン』(The Lion in Winter)=アカデミー作曲賞受賞、ゴールデングローブ賞ノミネート、『華やかな情事』(Petulia)、『夕なぎ』(Boom)
•1969年『女王陛下の007』(On Her Majesty's Secret Service = O.H.M.S.S.)、『約束』(The Appointment)
•1970年『真夜中のカーボーイ』(Midnight Cowboy)=グラミー賞受賞、『最後の谷』(The Last Valley)』、『モンテ・ウォルシュ』(Monte Walsh)
•1971年『クイン・メリー/愛と悲しみの生涯』(Mary, Queen of Scots)=アカデミー賞ノミネート、ゴールデングローブ賞ノミネート、『007 ダイヤモンドは永遠に』(Diamonds Are Forever)、『美しき冒険旅行』(Walkabout)、『マ-フィの戦い』(Murphy's War)
•1972年『フォロー・ミー』(Follow Me)
•1974年『ダブ』(The Dove)=ゴールデングローブ賞ノミネート、『007 黄金銃を持つ男』(The Man with the Golden Gun)、『夕映え』(The Tamarind Seed)
•1975年『イナゴの日』(The Day of the Locust)
•1976年『ロビンとマリアン』(Robin and Marian)、『キングコング』(King Kong)
•1977年『ザ・ディープ』(The Deep)=ゴールデングローブ賞ノミネート、『ホワイト・バッファロー』(The White Buffalo)
•1978年『ベッツィー』(The Betsy)、『ブルース・リー/死亡遊戯 』(Game of Death)、『スタークラッシュ 宇宙大戦争 』(Starcrash)
•1979年『ブラックホール』(The Black Hole)、『ハノーバー・ストリート/哀愁の街かど』(Hanover Street)、『007 ムーンレイカー』(Moonraker)、『ナイト・ゲーム』(Night Games)
•1980年『サンフランシスコ物語』(Inside Moves)、『ヤング・マスター/師弟出馬』(Shi di chu ma) 、『ある日どこかで』(Somewhere in Time)=ゴールデングローブ賞ノミネート、『ラスト・レター』(Touched by Love)、『レイズ・ザ・タイタニック』(Raise the Titanic)
•1981年『白いドレスの女』(Body Heat)、『ローン・レンジャー』(Legend of the Lone Ranger)=ゴールデンラズベリー賞作曲賞受賞
•1982年『女優フランシス』(Frances)、『ハメット』(Hammett)
•1983年『ゴールデンシール』(The Golden Seal)、『ハイ・ロード』(High Road to China)』、『007 オクトパシー』(Octopussy)
•1984年『コットンクラブ』(The Cotton Club)
•1985年『愛と哀しみの果て』(Out of Africa)=アカデミー作曲賞受賞、『白と黒のナイフ』(Jagged Edge)、『007 美しき獲物たち』(A View to a Kill)
•1986年『ペギー・スーの結婚』( Peggy Sue Got Married )、『ゴールデン・チャイルド』( The Golden Child )、『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』( Howard the Duck )
•1987年『007 リビング・デイライツ』( The Living Daylights )=(指揮者として出演)
•1988年『マスカレード/甘い罠』( Masquerade )
•1990年『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(Dances with Wolves)=アカデミー作曲賞受賞、ゴールデングローブ賞ノミネート
•1992年『チャーリー』(Chaplin)=アカデミー作曲賞ノミネート、ゴールデングローブ賞ノミネート
•1993年『マイ・ライフ』(My Life)、『ルビー・カイロ』(Ruby Cairo)、『幸福の条件』(Indecent Proposal)
•1994年『スペシャリスト』(The Specialist)
•1995年『遥かなる夢・ニューヨーク物語』(Across the Sea of Time) (もとは『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』(1991) のためのものだったが、ジェームズ・ニュートン・ハワードの曲が採用されたため、3D IMAX映画用にリライトした)、『スカーレット・レター』(The Scarlet Letter)、『輝きの大地』(Cry, the Beloved Country)
•1997年『輝きの海』(Swept from the Sea)
•1998年『マイ・ハート、マイ・ラブ』(Playing by Heart)、『マーキュリー・ライジング』(Mercury Rising)
•1999年(『グッバイ・ラバー』(Goodbye Lover)曲は書いたが不採用となった)
•2001年『エニグマ』(Enigma)



ジョン・バリーは「007のメインテーマ」の作曲家として有名だが、これほどの仕事をしていたとは・・・びっくり
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ピーター・ラモント・・・映画美術

2008年07月21日 | 映画・DVD・ビデオ
ピーター・ラモント(Peter Lamont、1929年11月12日-)は、イギリス出身の映画プロダクション・デザイナー、美術監督。
映画「007シリーズ」第3作『ゴールドフィンガー』に、プロダクション・デザイナーのケン・アダムに誘われて参加。以後、第21作『カジノ・ロワイヤル』まで、第18作『トゥモロー・ネバー・ダイ』を除くシリーズ全ての作品に携わっている。第12作『ユア・アイズ・オンリー』からは、ケン・アダムに替わってプロダクション・デザイナーに昇格。美術部門の最高責任者として、シリーズの世界観の構築に貢献している。
『タイタニック』では、タイタニック号の内外を忠実に再現し、1997年度アカデミー美術賞を受賞した。
主要作品
007シリーズ
セット・デコレーター他
•007 ゴールドフィンガー(1964) クレジットなし
•007 サンダーボール作戦(1965) クレジットなし
•007は二度死ぬ(1967)
•女王陛下の007(1969)
•007 ダイヤモンドは永遠に(1971)

美術監督
•007 死ぬのは奴らだ(1973) 副-
•007 黄金銃を持つ男(1974) 副-
•007 私を愛したスパイ(1977)
•007 ムーンレイカー(1979)

プロダクション・デザイナー
•007 ユア・アイズ・オンリー(1981)
•007 オクトパシー (1983)
•007 美しき獲物たち(1985)
•007 リビング・デイライツ(1987)
•007 消されたライセンス(1989)
•007 ゴールデンアイ(1995)
•007 ワールド・イズ・ノット・イナフ(1999)
•007 ダイ・アナザー・デイ(2002)
•007 カジノ・ロワイヤル(2006)

その他
セット・デコレーター
•屋根の上のバイオリン弾き(1971)

美術監督
•探偵スルース(1972)
•ダブ(1974)
•怪盗軍団(1975)
•ブラジルから来た少年

プロダクション・デザイナー
•トップ・シークレット(1984)
•エイリアン2(1986)
•トゥルーライズ(1994)
•タイタニック(1997) アカデミー美術賞受賞
•ウィング・コマンダー(1999)


この人の「映画美術」は素晴らしい。「007シリーズ」には欠かせないスタッフ。
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Michael Kahn (マイケル・カーン)・・・映画の編集

2008年07月21日 | 映画・DVD・ビデオ
Michael Kahn (マイケル・カーン)
編集
•レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語(2004)
•ターミナル(2004)
•トゥームレイダー2(2003)
•キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(2002)
•マイノリティ・リポート(2002)
•A.I.(2001)
•レインディア・ゲーム(2000)
•ホーンティング(1999)
•プライベート・ライアン(1998)
•アミスタッド(1998)
•ロスト・ワールド  ジュラシック・パーク(1997)
•ツイスター(1996)
•キャスパー(1995)
•生きてこそ(1993)
•ジュラシック・パーク(1993)
•シンドラーのリスト(1993)
•フック(1991)
•トイ・ソルジャー(1991)
•アラクノフォビア(1990)
•インディ・ジョーンズ 最後の聖戦(1989)
•オールウェイズ(1989)
•ウィズダム 夢のかけら(1987)
•カラーパープル(1985)
•グーニーズ(1985)
•恋におちて(1984)
•インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説(1984)
•トワイライトゾーン(1983)
•5人のテーブル(1983)
•ポルターガイスト(1982)
•レイダース 失われた聖櫃<アーク>(1981)
•ユーズド・カー(1980)
•1941(1979)
•アイズ(1978)
•未知との遭遇(1977)
•魔鬼雨(1975)
•黒帯ドラゴン(1974)
•SF最後の巨人(1974)
•ブレージングザドル(1973)
•激怒(1972)
•野獣戦争(1972)

僕の大好きな映画『ブレージングサドル』の編集マンがスピルバーグ映画の編集をしているのが驚き。有名な編集マン。

ブレージングサドル (Blu-ray Disc)

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内容紹介
しがない黒人鉄道労働者バートが、いきなり町の保安官に。その裏には悪徳知事の町を売って私腹を肥やそうという計画が隠されていた。西部一の無法者タガート一派を使って町民を追い出し始めた知事。なんと、その計画の前に、お飾り保安官バートが、強力な助っ人二丁拳銃のジムを従えて立ちはだかったから、さあ大変!怪優ジーン・ワイルダーがメル・ブルックスとの名コンビぶりを披露。

●メイキング(28分)
●TV版パイロット"Black Bart"(24分)
●女優 マデリーン・カーン(3分)
●未公開シーン集(10分)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
『ヤング・フランケンシュタイン』のメル・ブルックス監督が贈る痛快コメディ。町を乗っ取ろうと目論む悪党一味に利用され保安官に仕立て上げられたひとりの黒人労働者が、ひょんなことから本物の正義の味方へと成長し、悪党に立ち向かう様を描く。
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スティーヴン・スピルバーグ

2008年07月21日 | 映画・DVD・ビデオ
スティーヴン・アラン・スピルバーグ KBE(Steven Allan Spielberg KBE, 1946年12月18日 - ) は、アメリカの映画監督、映画プロデューサー。
人物
監督としての功績
監督としては、世界最高のヒットメーカーの一人として挙げられる。撮影においてリハーサルをほとんど行わないなど、凄まじいほどの早撮りで、3時間近くある自身渾身の大作『プライベート・ライアン』はわずか3ヶ月で撮影を終えたという。また、このために多作である。製作費を安く抑えることでも知られ、製作費が1億ドルを越えたのは『マイノリティ・リポート』と『宇宙戦争』だけである。このことに関しては、ルーカスの助言が影響している。撮影機材に精通した監督として知られている事も忘れてはなるまい。また、近年映画界では多くの監督がデジタルで撮影を行っているが、彼は未だにフィルムを使用している。デジタルで撮影することも一時期検討したらしいが、やはりフィルムが好きだと語っている。ちなみ彼に関する業界内のジョークとして、「3カット目と7カットをよく使う」といわれる。彼曰く、役者が一番いい演技をするのはそのあたりだそうだ。この独自の考え方が、結果的には驚異的な早撮りにも繋がっている。
ただし粘り強く時間をかけて演技を引き出すタイプでないからなのか、監督作の出演者はアカデミー賞演技部門の受賞には恵まれていない。その一方で『太陽の帝国』のベン・スティラーや『フック』のグウィネス・パルトロウなど、駆け出しの頃にスピルバーグ作品に出演して注目された例もある。
作風
昨今のリメイク映画を連発するアメリカ映画界の傾向には批判的で、新作をものにしようという意識は製作総指揮作『トランスフォーマー』にも反映されている。
劇場映画初監督の『続・激突! カージャック』はTVムービー『激突!』とは本来無関係の作品であるし、脚本の検討に時間がかかるとして『ジョーズ』続篇の映画化にはタッチせず、高い収益を上げた『E.T.』は(利益が見込める)続篇を求められても拒否した。監督作『ジュラシック・パーク』は2作目ですでにあまり乗り気ではなく、3作目は監督せずプロデュースにまわった。プロデュース作品はシリーズ化されたものも多くあり、TVでも『ER緊急救命室』が10年以上続くなど成功しているが、目下監督を手がけるシリーズは『インディ・ジョーンズ』だけである。
家族・友人
女優のエイミー・アービングと1985年結婚、長男マックスをもうける。89年離婚。現在の妻は、女優のケイト・キャプショー。
同業のジョージ・ルーカスは友人かつ一番のライバルであり、『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ』でも一部を手伝ったことがある。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で長男マックスが未来世界でジョーズの続篇を監督しているジョークがあったが、実際にはゲームソフト『メダル・オブ・オナー』製作に一部関わったり『ターミナル』に端役で出演している。『ターミナル』にはサーシャも出演。この後『ミュンヘン』と『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』にも出演した。トム・ハンクス主演の『ビッグ』で脚本を書いたアンは実の妹。もう一人の妹ナンシーと学生時代のスピルバーグ作品に参加した。また父が『プライベート・ライアン』メイキングに出演している。
常連スタッフ
初期作品からスピルバーグ作品を支える作曲家のジョン・ウィリアムズと、もう一人編集のマイケル・カーンとの作品が多い。ビデオで編集したくない、というスピルバーグの意向から、ノンリニア編集を使わず極力フィルムによる編集を心がけているという。撮影監督は90年代からのヤヌス・カミンスキーとの作品が続いている。初期作品を支えた撮影監督はアレン・ダヴィオーであり、また2作で組んだヴィルモス・スィグモンドから受けた影響の大きさも語っている。
アカデミー賞とヒットメーカー
1981年に「私はアカデミー賞を獲れないだろう」と発言したスピルバーグだが、1998年の『プライベート・ライアン』でアカデミー監督賞受賞スピーチでは「どうしても欲しかった」と本音を漏らす事になった。
『未知との遭遇』と『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で監督賞、『E.T.』で監督賞と作品賞にノミネートされたが受賞は出来ず、『カラー・パープル』では作品、脚色、主演女優賞を含む10部門にノミネートされながら全て逃し、自身は監督賞にノミネートもされないという苦い思いを味わった。1980年代はスピルバーグにとって娯楽性の高い作風からシリアス路線へと移行した時期だが、アーヴィング・サルバーグ賞を1987年に40歳という異例の若さで受賞した際には「オスカーが獲れないのはヒット連発に対する嫉み」という噂が立つ事になった。噂を裏付けるように『ジュラシック・パーク』を大ヒットさせた同じ年に『シンドラーのリスト』でアカデミー監督・作品賞をダブル受賞。『プライベート・ライアン』では「オスカー狙い」とする評価が少なからず見られた。
『マイノリティ・リポート』と『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)、『宇宙戦争』と『ミュンヘン』(2005年)とシリアスな作品とより娯楽性の高い作品が同じ年に作られたが、3度目の受賞には至っていない。
来歴
幼少~学生時代
ロシア系ユダヤ移民の3代目。Spielbergというドイツ語の姓は直訳すると「芝居山」という意味で、祖先が17世紀に居住していたオーストリアの町の名前に由来する。英語訳では「Playmount」となり、彼が若い頃の映画製作の社名にしていた。
オハイオ州に生まれ、アリゾナ州に育つ。古い資料では1947年生まれとなっているが、これはスピルバーグが長年1947年生まれと偽ってきたためで、1946年生まれが正しい。父親のアーノルド・スピルバーグ(1918 - )は電気技師、母親のリア・アドラーはコンサートピアニスト(後に、レストラン経営者となり、LAでThe Milk Wayというユダヤの乳製品料理のレストランを始める)であった。
父親の仕事の都合上、引っ越しが多かったという。ユダヤ系であったため、いじめも経験している。
幼い頃から8ミリカメラで自主的に映画を製作する。スタンリー・キューブリック、デヴィッド・リーン、黒澤明、アルフレッド・ヒッチコック、『ゴジラ』など様々な映画の影響をうけるが、特にディズニー映画は初期の彼の作品にさまざまな影響を与えている。彼自身、雑誌のインタビューで「ウォルト・ディズニーこそ僕の生みの親で、テレビは育ての親だ」と語っている。
17歳の時にユニバーサル・スタジオツアーに参加。監督ジョン・フォードと出会うことに。映画学科が充実していることで知られる南カリフォルニア大学への入学を希望したが、映画の製作ばかりしていたスピルバーグは成績があまりよくなく、3度にわたり入学を断られたため、ハリウッドが近いと言う理由からカリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて映画を専攻。この頃になると、スピルバーグは大学に通う一方で休みになるとユニバーサルへ潜り込むようになり、ついには空き部屋だった掃除小屋を自分のオフィスとして使用してユニバーサルに居候を始め、ハリウッドを出入りするようになる。その後、21歳のときに、オープニングタイトルとオプチカル効果の会社を経営しているデニス・ホフマンと知り合い、映画製作資金を提供してもらうこととなり、最初の作品「アンブリン」を完成させる。この映画がユニバーサルテレビ部門の責任者シドニー・シャインバーグの目に止まり、ユニバーサルと7年契約することなり、カリフォルニア州立大学は中退した。(後に再度入学し卒業。皮肉にもその後に、南カリフォルニア大学の名誉教授に就任することになる)。
1970~1980年代
1972年に、テレビ映画として撮った『激突!』が評判を呼び、海外では劇場公開され、スピルバーグの名前が世界に知られるようになる。1974年に『続・激突! カージャック』で、劇場用映画監督に進出。
初期の頃は、娯楽映画をつくることで評価を得ていたが、やがて上記のように様々なジャンルの映画を手がけるようになる。ヒット作に『ジョーズ』、『未知との遭遇』、『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『E.T.』、『ジュラシック・パーク』、『シンドラーのリスト』など多数。
1990~2000年代
1993年のアカデミー賞では、『シンドラーのリスト』で作品賞、監督賞を受賞する。スピルバーグは、この作品の製作に意欲的で報酬を断っている。
1994年にドリームワークスを設立。1998年に『プライベート・ライアン』で、2度目のアカデミー監督賞を受賞する。2001年に英国王室より、ナイト爵を授与された。
『宇宙戦争』のオリジナルCMを日本限定で公開するなど、親日家でも有名。家族と共に三鷹の森ジブリ美術館を訪れたこともある。
余談
和牛への貢献
欧米(とくにハリウッド)で和牛の普及におおいに貢献する。彼があまりに神戸ビーフを連呼したがために、和牛=神戸ビーフと呼ばれるようになってしまったという逸話がある。
オリンピックとの関係
ソルトレークシティオリンピックの開会式では、オリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めたほか、北京オリンピックの組織委員会芸術顧問を務めるなど、オリンピックとは繋がりが深い。2008年2月12日、中国政府のスーダン・ダルフール紛争に対する姿勢を理由に、芸術顧問を辞退することを表明した。
テレビゲーム好き
テレビゲームが好きで、特に『シェンムー』を高く評価した事で知られる。シェンムーのディレクターである鈴木裕にサインを求めた事がある。また2006年5月10日~5月12日にかけて開催されたE3では、ゲームプロデューサーである宮本茂と任天堂のゲーム機である「Wii」を使用して『Wii Sports』のテニス対決をし、大きな話題となった。この模様はAP通信が伝え、全世界に配信された。
アニメーション・漫画ファン
日本漫画のファンであり、自身の作品にもその影響が見られる。
自ら監督・製作した映画への出演
通行人などでほんのわずか出演することがある(カメオ出演)。
収入
フォーブス誌の発表によると2007年の年収は3億3200万ドル(約380億円)だった。
フィルモグラフィー


ロナルド・レーガン大統領夫妻とともに
主な監督作品
•『刑事コロンボ/構想の死角』(Columbo: Murder by the Book, 1971年) (テレビ映画)
•『激突!』(Duel, 1971年) (テレビ映画)
•『続・激突! カージャック』(The Sugarland Express, 1974年)
•『ジョーズ』(Jaws, 1975年)
•『未知との遭遇』(Close Encounters of the Third Kind, 1977年)
•『1941』(1941, 1979年)
•『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(Raiders of the Lost Ark, 1981年)
•『E.T.』(E.T. the Extra-Terrestrial, 1982年)
•『トワイライトゾーン/超次元の体験』 (Twilight Zone: The Movie, 1983年) (監督4名によるオムニバス作品の第2話)
o『プロローグ 本当に怖いもの』ジョン・ランディス監督作品
o『第1話 偏見の恐怖』ジョン・ランディス監督作品
o『第2話 真夜中の遊戯』スティーブン・スピルバーグ監督作品
o『第3話 こどもの世界』ジョー・ダンテ監督作品
o『第4話 2万フィートの戦慄』ジョージ・ミラー監督作品
•『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(Indiana Jones and the Temple of Doom, 1984年)
•『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(Amazing Stories, 1985年)
o『最後のミッション』 出演:ケヴィン・コスナー/キーファー・サザーランド
o『ゴースト・トレイン』 出演:ドリュー・バリモア/ルーカス・ハース
•『カラー・パープル』(The Color Purple, 1985年)
•『太陽の帝国』(Empire of the Sun, 1987年)
•『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』 (Indiana Jones and the Last Crusade, 1989年)
•『オールウェイズ』(Always, 1989年)
•『フック』(Hook, 1991年)
•『ジュラシック・パーク』(Jurassic Park, 1993年)
•『シンドラーのリスト』(Schindler's List, 1993年)
•『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』 (The Lost World: Jurassic Park, 1997年)
•『アミスタッド』(Amistad, 1997年)
•『プライベート・ライアン』(Saving Private Ryan, 1998年)
•『A.I.』(Artificial Intelligence: AI, 2001年)
•『マイノリティ・リポート』 (Minority Report, 2002年)
•『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(Catch Me If You Can, 2002年)
•『ターミナル』(The Terminal, 2004年)
•『宇宙戦争』(War of the Worlds, 2005年) (H・G・ウェルズ原作『宇宙戦争』の再映画化)
•『ミュンヘン』(Munich, 2005年)
公開予定の監督作品
•『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull, 2008年)
•『タイトル未定/エイブラハム・リンカーン』(Untitled Steven Spielberg/Abraham Lincoln Project, 未定)
•『The Pacific』太平洋戦争についての戦争連載テレビドラマ

主な製作作品
•E.T.(E.T.: The Extra-Terrestrial 1982年)
•ポルターガイスト(Poltergeist 1982年)
•トワイライト・ゾーン 超次元の体験(Twilight Zone: The Movie 1983年)
•カラー・パープル(The Color Purple 1985年)
•太陽の帝国(Empire of the Sun 1987年)
•オールウェイズ(Always 1989年)
•アメリカ物語2 ファイベル西へ行く(An American Tail: Fievel Goes West 1991年)
•シンドラーのリスト(Schindler's List 1993年)
•アミスタッド(Amistad 1997年)
•プライベート・ライアン(Saving Private Ryan 1998年)
•A.I.(Artificial Intelligence: AI 2001年)
•キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(Catch Me If You Can 2002年)
•ターミナル(The Terminal 2004年)
•ミュンヘン(Munich 2005年)
•SAYURI(Memoirs of a Geisha 2005年)
•父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers 2006年)
•硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima 2007年)

主な製作総指揮作品
スピルバーグは多くの監督作品を手掛けているが、実際には本人の知名度の高さ故に名義貸しの製作総指揮作品の方が圧倒的に多い。『トランスフォーマー』などにおいても、監督よりも製作総指揮である彼の名前の方が前面に押し出されて宣伝されている。製作総指揮は映画製作に実際はほとんど介入できないことが多いが、明確な仕事の内容は決まってはいない。そのため、スピルバーグは製作総指揮作品でも製作に参加することがある(例として、『トランスフォーマー』では主演のシャイア・ラブーフを始めとして、ほとんどのキャスティングを行ったという)。
•『抱きしめたい』(I Wanna Hold Your Hand, 1978年)
•『ユーズド・カー』(Used Cars, 1980年)
•『Oh! ベルーシ絶体絶命』(Continental Divide, 1981年)
•『グレムリン』(Gremlins, 1984年)
•『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』(Young Sherlock Holmes Pyramid of Fear, 1985年)
•『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future, 1985年)
•『グーニーズ』(The Goonies, 1985年)
•『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(Amazing Stories, 1986年)
•『マネー・ピット』(The Money Pit, 1986年)
•『アメリカ物語』(An American Tail, 1986年)
•『ニューヨーク東8番街の奇跡*Batteries not Included』(-, 1987年)
•『インナー・スペース』(Inner Space,1987年)
•『ロジャー・ラビット』(Who Framed Roger Rabbit,1988年)
•『リトルフットの大冒険/謎の恐竜大陸』(The Land Before Time, 1988年)
•『晩秋』(Dad, 1989年)
•『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(Back to the Future Part II, 1989年)
•『夢』(Dreams, 1990年) (日本/アメリカ)
•『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(Back to the Future Part III, 1990年)
•『ジョー、満月の島へ行く』(Joe Versus The Volcano, 1990年)
•『グレムリン2 新・種・誕・生』(Gremlins 2: The New Batch, 1990年)
•『アラクノフォビア』(Arachnophobia, 1990年)
•『タイニー・トゥーンズ』(Tiny Toon Adventures, 1990年-1992年, 1994年, 1995年)(テレビアニメ)
•『アニマニアックス』(Animaniacs, 1993年-1999年) (テレビアニメ)
•『恐竜大行進』(WE're BACK! A DINOSAUR's STORY, 1994年)
•『バルト』(Balto, 1995年)
•『キャスパー』 (Casper, 1995年)
•『ピンキー&ブレイン』 Pinky and the Brain, 1995年-1999年) (テレビアニメ)
•『ツイスター』(Twister,1996年)
•『メン・イン・ブラック』(Men in Black, 1997年)
•『ディープ・インパクト』(Deep Impact, 1998年)
•『マスク・オブ・ゾロ』(The Mask of Zorro, 1998年)
•『チキンラン』(Chicken Run, 2000年)
•『ミート・ザ・ペアレンツ』(Meet The Parents, 2000年)
•『キャスト・アウェイ』(Cast Away, 2000年)
•『バガー・ヴァンスの伝説』(The Legend of Bagger Vance, 2000年)
•『フリントストーン2/ビバ・ロック・ベガス』(The Flintstones In Viva Rock Vegas, 2000年)
•『バンド・オブ・ブラザース』(Band of Brothers, 2001年)(テレビドラマ)
•『シュレック』(Shrek, 2001年)
•『ジュラシック・パークIII』(Jurassic Park III, 2001年)
•『メン・イン・ブラック2』(Men in Black II, 2002年)
•『TAKEN』(Taken, 2002年)(テレビドラマ)
•『レジェンド・オブ・ゾロ』(The Legend of Zorro, 2005年)
•『モンスター・ハウス』(Monster House, 2006年)
•『トランスフォーマー』(Transformers, 2007年)

カメオ出演
•『ブルースブラザース』(The Blues Brothers, 1980)
•『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(Indiana Jones and the Temple of Doom, 1984年)
•『グレムリン』(Gremlins, 1984年)
•『バニラ・スカイ』
•『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』



すごい監督・・・僕は『激突!』『1941』が好き。
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崖の上のポニョ:「もののけ」「ハウル」抜くペースの好スタート 動員数、「千と千尋」の83%

2008年07月21日 | 映画・DVD・ビデオ
19日に公開された宮崎駿監督の劇場版アニメ「崖の上のポニョ」の初日観客動員数の概況速報が、日本の映画史上最高の興行収入額を記録した01年の「千と千尋の神隠し」(304億円)の83%に達したことが分かった。速報となる初日午後3時現在の観客動員数の比較で、このペースで推移すると最終興行収入は260億円となり、宮崎駿監督の前作「ハウルの動く城」(196億円)、97年「もののけ姫」(194億円)を上回る計算となる。

 「崖の上のポニョ」は「ハウルの動く城」を約35カ所上回る全国481劇場で公開された。プロモーションを担当している東宝アドによると「都市部以外の劇場でも好調に推移しており、01年に公開された『千と千尋の神隠し』に迫るメガヒットを期待できる」と話している。

 「崖の上のポニョ」は、幼い子供と親子の愛をテーマにしたアニメ。家出をしたさかなの子ポニョが、5歳の少年・宗介と出会ってお互いが「大好き」になり、一度は父のフジモトに海へと連れ戻されたポニョが、再び宗介に会うために「魔法」の力で津波を起こし、再び島を目指す……というストーリー。女優の山口智子さん、タレントの長嶋一茂さん、所ジョージさんが声優として出演している。
(毎日新聞より引用)

崖の上のポニョ カードコレクション
日本テレビ出版部
日本テレビ放送網

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この三連休は暑かったもんなぁ・・・これから動員数は伸びるんじゃないかな。
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クァク・ジェヨン・・・好きな監督。

2008年07月21日 | 映画・DVD・ビデオ
クァク・ジェヨン(1959年5月22日 - )は韓国の映画監督・脚本家。慶熙大学校卒。
『僕の彼女はサイボーグ』では日本映画に挑戦している。
監督・脚本作品
•雨の降る日の水彩画 (1989)
•秋の旅行 (1991)
•雨の降る日の水彩画2 (1993)
•猟奇的な彼女 (2001)
•ラブストーリー (2003)
•僕の彼女を紹介します (2004)
•僕の彼女はサイボーグ (2008)

脚本作品
•ピアノを弾く大統領 (2002)
•純愛中毒 (2002)
•デイジー (2006)

監修作品
•ワンダフルデイズ (2003、日本公開2005)

「僕の彼女はサイボーグ」メイキングPHOTOBOOK (TOKYO NEWS MOOK 103号)

東京ニュース通信社

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内容紹介
綾瀬はるかが、強くてキュートなサイボーグ役に挑んだ
ファンタジックなラブストーリーの製作・撮影に密着!
映画の魅力を凝縮した1冊が登場!!

独特の笑いのセンスをまじえつつ巧みなストーリーテリングで
「恋する切ない気持ち」を見事に描き出す、韓国映画界の名手
クァク・ジェヨン監督。映画「猟奇的な彼女」や「僕の彼女を
紹介します」で、世界中から喝采を浴びたクァク監督が、また
しても傑作を撮りあげました。映画「僕の彼女はサイボーグ」
は、無機質で心を持たないはずのサイボーグの<彼女>と、ど
こか頼りないけれど優しく繊細な青年の姿を描く、100年の時
を超えたファンタジックなラブストーリーです。

この作品でヒロインを演じたのは綾瀬はるか。

初体験となるアクションシーンも含め、サイボーグという難役を
楽しみながらも見事に演じた彼女の撮影中の様子や、撮りおろし
のグラビアインタビュー、さらには映画の世界観を再現し、サイ
ボーグになりきってカメラの前に立ったスペシャルフォトなどを
満載。まるでフィギュアのような凛々しいサイボーグスーツ姿や
超可憐な笑顔の彼女など、多彩な表情を、あますところなくお届
けします。さらには、クァク・ジェヨン監督が現場で撮影したオ
フショットも独占入手。飾らない自然な表情のスナップの数々は
この本でしか見られません。必見です。

また、相手役の、どこか頼りないけど優しく繊細な青年を演じた
小出恵介への撮りおろしインタビュー、そして作品の世界観を切
り取った美麗なシーンスチールで構成したグラビアフォトストー
リー、CGやワイヤーアクションの様子、絵コンテなどなど撮影
の舞台裏についても特別に大公開!

映画を観る前も、観た後も楽しめる、まさに映画ファン必携の1冊です。

・映画「僕の彼女はサイボーグ」名場面で綴るフォトストーリー
・綾瀬はるか、小出恵介 グラビアインタビュー
・クァク・ジェヨン監督を直撃!
特別コラム クァク・ジェヨンと<彼女>の関係
・ロケに密着…製作現場リポート! この本でしか見られない、
素顔をとらえたメイキングオフショットも超満載!!
・絵コンテ、CGの舞台裏なども大解説!!!



当たり外れの無い監督。すごく好きだ。
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「パーマン4号」は大阪弁を喋っていた。

2008年07月21日 | エッセイ・日記・意見
子供の頃、観ていたアニメ『パーマン』に「パーマン4号」という「大阪弁を喋る大阪人のパーマン」が出ていた。子供だった僕は、「おかしな言葉」を喋る人もいるもんだと、他人事の様に思っていたがよく考えると、「パーマン4号」こそ、僕らの代表だったのだ。アニメ『ドラえもん』『サザエさん』の世界でも、関西人の僕らでも、その世界に生きていると勘違いしてしまう。標準語を登場人物が喋っている事を忘れ去ってしまっているのだ。大人になって、「トレンディー・ドラマ」を観ていても、ドラマの世界に入ってしまえば、ドラマの舞台が東京という事を忘れて観てしまう。不思議だなぁと感じる。今日も「咳」を治す為、食事以外は寝ていた。漢方薬とトローチでだいぶ症状は軽くなったが気分としてはもう少し休みたい感じ。それにしても「観たいと思うテレビ番組」が無い。暑い。どうしてくれる・・・と怒っても仕方が無いが。

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