ジョン・バリー OBE(ジョナサン・バリー・プレンダーガスト Jonathan Barry Prendergast OBE, 1933年11月3日 - )はイギリス・ヨーク出身の作曲家。多くの映画音楽の作曲を手がけた。中でも「007/ジェームズ・ボンドシリーズ」の曲は広く知られている。ゴールデングローブ賞とアカデミー賞を5回受賞している。
プロフィール
ジャック・バリーが父親の元、1933年にイギリスで生まれる。父親は映画館や劇場を経営していたため、ジョンも幼い頃から映画に親しんでいた。母親はピアニストであった。なおその影響もあり1941年9歳からピアノを弾き始め、後にトランペットも習い始めた。また10歳の時からヨーク寺院のフランシス・ジャクソン博士に音楽教育を受け、その後ロンドンの音楽学校で作曲と楽器法を学んだが、1年経たずして中途退学となった。その後3年程、地方のジャズ・バンドで演奏していたが、兵役に応じ軍隊のバンドで演奏活動を続け、その間も作曲、編曲、ハーモニーをスタン・ケントンに通信教育で学ぶ。除隊後は軍の友人達とR&Bのバンド「ジョン・バリー・セブン」を結成。
•1957年にEMIレコードと契約を結ぶ。その後、クリフ・リチャードや多くのアーティストのプロデュースやアレンジを手がけ、テレビの音楽を担当した後、アダム・フェイス、ピーター・セラースの映画のスコアを書き、1959年に『狂っちゃいねえぜ (Beat Girl)』で本格的に映画音楽に進出し、007ジェームズ・ボンド・テーマで名声を博した。
•1953年バーバラ・ピカードと結婚、一児をもうけたが1963年離婚。 1965年女優のジェーン・バーキンと結婚(映画『ナック』が縁?)、一女ケイト・バリー(写真家)が生まれたが、1968年に離婚。1969年ジェーン・シドニーと結婚、1971年離婚。1978年1月、現在の妻ローリー・バリーと結婚。
•1970年代途中まで英国で過ごす。その後少しの間スペインで過ごし(税金問題のため)、その後、映画の仕事のため渡米、ニューヨーク近郊のオイスターベイで暮らす。
•1988年肺炎による食道破裂を患う。
映画作品
•1959年『狂っちゃいねえぜ』 (Beat Girl)
•1960年『喰いついたら放すな』 (Never Let Go)
•1962年『桃色株式会社』 (The Amorous Prawn)
•1962年『007 ドクター・ノオ』/『007は殺しの番号』(Dr.NO、この時はモンティ・ノーマンが音楽担当であったが、映画製作者気に入らなかったため、急遽バリーが主題曲の編曲を担当した。)
•1963年『007 ロシアより愛をこめて』/『007 危機一発』(From Russia with Love、主題歌はライオネル・バート作曲。バリーはスコアと編曲、指揮)
•1964年『雨の午後の除霊祭』 (Seance on a Wet Afternoon)、『007 ゴールドフィンガー』 (Goldfinger)、『ズール戦争』(Zulu)、『国際諜報局] (The Ipcress File)
•1965年『キング・ラット』(King Rat)、『007 サンダーボール作戦』(Thunderbal)、『ナック』(The Knack)、『ジャングル・モーゼ』(Mister Moses)
•1966年『さらばベルリンの灯』(The Quiller Memorandum)、『逃亡地帯』(The Chase)、『野生のエルザ』(Born Free)=アカデミー作曲賞・歌曲賞2部門受賞
•1967年『007は二度死ぬ』(You Only Live Twice)
•1968年『冬のライオン』(The Lion in Winter)=アカデミー作曲賞受賞、ゴールデングローブ賞ノミネート、『華やかな情事』(Petulia)、『夕なぎ』(Boom)
•1969年『女王陛下の007』(On Her Majesty's Secret Service = O.H.M.S.S.)、『約束』(The Appointment)
•1970年『真夜中のカーボーイ』(Midnight Cowboy)=グラミー賞受賞、『最後の谷』(The Last Valley)』、『モンテ・ウォルシュ』(Monte Walsh)
•1971年『クイン・メリー/愛と悲しみの生涯』(Mary, Queen of Scots)=アカデミー賞ノミネート、ゴールデングローブ賞ノミネート、『007 ダイヤモンドは永遠に』(Diamonds Are Forever)、『美しき冒険旅行』(Walkabout)、『マ-フィの戦い』(Murphy's War)
•1972年『フォロー・ミー』(Follow Me)
•1974年『ダブ』(The Dove)=ゴールデングローブ賞ノミネート、『007 黄金銃を持つ男』(The Man with the Golden Gun)、『夕映え』(The Tamarind Seed)
•1975年『イナゴの日』(The Day of the Locust)
•1976年『ロビンとマリアン』(Robin and Marian)、『キングコング』(King Kong)
•1977年『ザ・ディープ』(The Deep)=ゴールデングローブ賞ノミネート、『ホワイト・バッファロー』(The White Buffalo)
•1978年『ベッツィー』(The Betsy)、『ブルース・リー/死亡遊戯 』(Game of Death)、『スタークラッシュ 宇宙大戦争 』(Starcrash)
•1979年『ブラックホール』(The Black Hole)、『ハノーバー・ストリート/哀愁の街かど』(Hanover Street)、『007 ムーンレイカー』(Moonraker)、『ナイト・ゲーム』(Night Games)
•1980年『サンフランシスコ物語』(Inside Moves)、『ヤング・マスター/師弟出馬』(Shi di chu ma) 、『ある日どこかで』(Somewhere in Time)=ゴールデングローブ賞ノミネート、『ラスト・レター』(Touched by Love)、『レイズ・ザ・タイタニック』(Raise the Titanic)
•1981年『白いドレスの女』(Body Heat)、『ローン・レンジャー』(Legend of the Lone Ranger)=ゴールデンラズベリー賞作曲賞受賞
•1982年『女優フランシス』(Frances)、『ハメット』(Hammett)
•1983年『ゴールデンシール』(The Golden Seal)、『ハイ・ロード』(High Road to China)』、『007 オクトパシー』(Octopussy)
•1984年『コットンクラブ』(The Cotton Club)
•1985年『愛と哀しみの果て』(Out of Africa)=アカデミー作曲賞受賞、『白と黒のナイフ』(Jagged Edge)、『007 美しき獲物たち』(A View to a Kill)
•1986年『ペギー・スーの結婚』( Peggy Sue Got Married )、『ゴールデン・チャイルド』( The Golden Child )、『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』( Howard the Duck )
•1987年『007 リビング・デイライツ』( The Living Daylights )=(指揮者として出演)
•1988年『マスカレード/甘い罠』( Masquerade )
•1990年『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(Dances with Wolves)=アカデミー作曲賞受賞、ゴールデングローブ賞ノミネート
•1992年『チャーリー』(Chaplin)=アカデミー作曲賞ノミネート、ゴールデングローブ賞ノミネート
•1993年『マイ・ライフ』(My Life)、『ルビー・カイロ』(Ruby Cairo)、『幸福の条件』(Indecent Proposal)
•1994年『スペシャリスト』(The Specialist)
•1995年『遥かなる夢・ニューヨーク物語』(Across the Sea of Time) (もとは『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』(1991) のためのものだったが、ジェームズ・ニュートン・ハワードの曲が採用されたため、3D IMAX映画用にリライトした)、『スカーレット・レター』(The Scarlet Letter)、『輝きの大地』(Cry, the Beloved Country)
•1997年『輝きの海』(Swept from the Sea)
•1998年『マイ・ハート、マイ・ラブ』(Playing by Heart)、『マーキュリー・ライジング』(Mercury Rising)
•1999年(『グッバイ・ラバー』(Goodbye Lover)曲は書いたが不採用となった)
•2001年『エニグマ』(Enigma)
ジョン・バリーは「007のメインテーマ」の作曲家として有名だが、これほどの仕事をしていたとは・・・びっくり
プロフィール
ジャック・バリーが父親の元、1933年にイギリスで生まれる。父親は映画館や劇場を経営していたため、ジョンも幼い頃から映画に親しんでいた。母親はピアニストであった。なおその影響もあり1941年9歳からピアノを弾き始め、後にトランペットも習い始めた。また10歳の時からヨーク寺院のフランシス・ジャクソン博士に音楽教育を受け、その後ロンドンの音楽学校で作曲と楽器法を学んだが、1年経たずして中途退学となった。その後3年程、地方のジャズ・バンドで演奏していたが、兵役に応じ軍隊のバンドで演奏活動を続け、その間も作曲、編曲、ハーモニーをスタン・ケントンに通信教育で学ぶ。除隊後は軍の友人達とR&Bのバンド「ジョン・バリー・セブン」を結成。
•1957年にEMIレコードと契約を結ぶ。その後、クリフ・リチャードや多くのアーティストのプロデュースやアレンジを手がけ、テレビの音楽を担当した後、アダム・フェイス、ピーター・セラースの映画のスコアを書き、1959年に『狂っちゃいねえぜ (Beat Girl)』で本格的に映画音楽に進出し、007ジェームズ・ボンド・テーマで名声を博した。
•1953年バーバラ・ピカードと結婚、一児をもうけたが1963年離婚。 1965年女優のジェーン・バーキンと結婚(映画『ナック』が縁?)、一女ケイト・バリー(写真家)が生まれたが、1968年に離婚。1969年ジェーン・シドニーと結婚、1971年離婚。1978年1月、現在の妻ローリー・バリーと結婚。
•1970年代途中まで英国で過ごす。その後少しの間スペインで過ごし(税金問題のため)、その後、映画の仕事のため渡米、ニューヨーク近郊のオイスターベイで暮らす。
•1988年肺炎による食道破裂を患う。
映画作品
•1959年『狂っちゃいねえぜ』 (Beat Girl)
•1960年『喰いついたら放すな』 (Never Let Go)
•1962年『桃色株式会社』 (The Amorous Prawn)
•1962年『007 ドクター・ノオ』/『007は殺しの番号』(Dr.NO、この時はモンティ・ノーマンが音楽担当であったが、映画製作者気に入らなかったため、急遽バリーが主題曲の編曲を担当した。)
•1963年『007 ロシアより愛をこめて』/『007 危機一発』(From Russia with Love、主題歌はライオネル・バート作曲。バリーはスコアと編曲、指揮)
•1964年『雨の午後の除霊祭』 (Seance on a Wet Afternoon)、『007 ゴールドフィンガー』 (Goldfinger)、『ズール戦争』(Zulu)、『国際諜報局] (The Ipcress File)
•1965年『キング・ラット』(King Rat)、『007 サンダーボール作戦』(Thunderbal)、『ナック』(The Knack)、『ジャングル・モーゼ』(Mister Moses)
•1966年『さらばベルリンの灯』(The Quiller Memorandum)、『逃亡地帯』(The Chase)、『野生のエルザ』(Born Free)=アカデミー作曲賞・歌曲賞2部門受賞
•1967年『007は二度死ぬ』(You Only Live Twice)
•1968年『冬のライオン』(The Lion in Winter)=アカデミー作曲賞受賞、ゴールデングローブ賞ノミネート、『華やかな情事』(Petulia)、『夕なぎ』(Boom)
•1969年『女王陛下の007』(On Her Majesty's Secret Service = O.H.M.S.S.)、『約束』(The Appointment)
•1970年『真夜中のカーボーイ』(Midnight Cowboy)=グラミー賞受賞、『最後の谷』(The Last Valley)』、『モンテ・ウォルシュ』(Monte Walsh)
•1971年『クイン・メリー/愛と悲しみの生涯』(Mary, Queen of Scots)=アカデミー賞ノミネート、ゴールデングローブ賞ノミネート、『007 ダイヤモンドは永遠に』(Diamonds Are Forever)、『美しき冒険旅行』(Walkabout)、『マ-フィの戦い』(Murphy's War)
•1972年『フォロー・ミー』(Follow Me)
•1974年『ダブ』(The Dove)=ゴールデングローブ賞ノミネート、『007 黄金銃を持つ男』(The Man with the Golden Gun)、『夕映え』(The Tamarind Seed)
•1975年『イナゴの日』(The Day of the Locust)
•1976年『ロビンとマリアン』(Robin and Marian)、『キングコング』(King Kong)
•1977年『ザ・ディープ』(The Deep)=ゴールデングローブ賞ノミネート、『ホワイト・バッファロー』(The White Buffalo)
•1978年『ベッツィー』(The Betsy)、『ブルース・リー/死亡遊戯 』(Game of Death)、『スタークラッシュ 宇宙大戦争 』(Starcrash)
•1979年『ブラックホール』(The Black Hole)、『ハノーバー・ストリート/哀愁の街かど』(Hanover Street)、『007 ムーンレイカー』(Moonraker)、『ナイト・ゲーム』(Night Games)
•1980年『サンフランシスコ物語』(Inside Moves)、『ヤング・マスター/師弟出馬』(Shi di chu ma) 、『ある日どこかで』(Somewhere in Time)=ゴールデングローブ賞ノミネート、『ラスト・レター』(Touched by Love)、『レイズ・ザ・タイタニック』(Raise the Titanic)
•1981年『白いドレスの女』(Body Heat)、『ローン・レンジャー』(Legend of the Lone Ranger)=ゴールデンラズベリー賞作曲賞受賞
•1982年『女優フランシス』(Frances)、『ハメット』(Hammett)
•1983年『ゴールデンシール』(The Golden Seal)、『ハイ・ロード』(High Road to China)』、『007 オクトパシー』(Octopussy)
•1984年『コットンクラブ』(The Cotton Club)
•1985年『愛と哀しみの果て』(Out of Africa)=アカデミー作曲賞受賞、『白と黒のナイフ』(Jagged Edge)、『007 美しき獲物たち』(A View to a Kill)
•1986年『ペギー・スーの結婚』( Peggy Sue Got Married )、『ゴールデン・チャイルド』( The Golden Child )、『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』( Howard the Duck )
•1987年『007 リビング・デイライツ』( The Living Daylights )=(指揮者として出演)
•1988年『マスカレード/甘い罠』( Masquerade )
•1990年『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(Dances with Wolves)=アカデミー作曲賞受賞、ゴールデングローブ賞ノミネート
•1992年『チャーリー』(Chaplin)=アカデミー作曲賞ノミネート、ゴールデングローブ賞ノミネート
•1993年『マイ・ライフ』(My Life)、『ルビー・カイロ』(Ruby Cairo)、『幸福の条件』(Indecent Proposal)
•1994年『スペシャリスト』(The Specialist)
•1995年『遥かなる夢・ニューヨーク物語』(Across the Sea of Time) (もとは『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』(1991) のためのものだったが、ジェームズ・ニュートン・ハワードの曲が採用されたため、3D IMAX映画用にリライトした)、『スカーレット・レター』(The Scarlet Letter)、『輝きの大地』(Cry, the Beloved Country)
•1997年『輝きの海』(Swept from the Sea)
•1998年『マイ・ハート、マイ・ラブ』(Playing by Heart)、『マーキュリー・ライジング』(Mercury Rising)
•1999年(『グッバイ・ラバー』(Goodbye Lover)曲は書いたが不採用となった)
•2001年『エニグマ』(Enigma)
ジョン・バリーは「007のメインテーマ」の作曲家として有名だが、これほどの仕事をしていたとは・・・びっくり