秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年 - )は日本の現代美術家。本名は秋山 祐徳(あきやま ゆうとく)で、画名は聖徳太子をもじって付けた。70年代の東京都知事選挙への出馬でも知られる。
経歴
1935年 東京生まれ。
1960年 武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)彫刻科卒業。卒業後は工業デザイナーとして大手電機メーカーに勤務したのち、前衛芸術家に。
1965年 岐阜アンデパンダン展に自分自身を出品。これ以後「ダリコ」をはじめ、ポップハプニングと称するパフォーマンスを展開。
1973年 初の彫刻展を開催。以後、ブリキによる彫刻作品を次々と発表。
1994年 池田20世紀美術館で「秋山祐徳太子の世界展」を開催。
1999年から2003年まで札幌大学文化学部客員教授。赤瀬川原平・高梨豊と「ライカ同盟」で活動中。
立候補歴
1975年 東京都知事選挙 無所属 3101票 落選 16人中5位 供託金没収
1979年 東京都知事選挙 無所属 4144票 落選 13人中7位 供託金没収
政治のポップアート化を目指して立候補。このときのポスターは国立国際美術館などに収蔵されている。
著書
単著
通俗的芸術論(土曜美術社、1985)
泡沫傑人列伝(二玄社、2002)
ブリキ男(晶文社、2007)
共著
(西部邁)ポップコン宣言 偽りの戦後史を書き換える(光文社、カッパ・サイエンス、1995)
(赤瀬川原平、高梨豊)ライカ同盟NAGOYA大写撃!(風媒社、1996)
(赤瀬川原平、高梨豊)ライカ同盟 東京涸井戸鏡(カレイドスコープ)(アルファベータ、2004)
こちらのサイトもオモロー→
http://www.gallery-58.com/06akiyama.html
何年か前、新宿の『風花』という文壇バーで会った。庚さんという「モハメッド・アリ×アントニオ猪木戦」や「類人猿のオリバー君を日本に連れてきて、日本人女性とSEXさせようとした」天才プロモーターも一緒だった。都知事選の時、ある団地で選挙カーの上から演説をしていたら、パトカーが来て警官が選挙カーの上に上って来た。秋山 祐徳太子は、「何か犯罪を犯したのだろうか?」という思いが一瞬アタマを過ぎったらしいが、警官が耳元で、「ここは神奈川県ですよ」とつぶやいてくれたそうだ。大笑いしてその話を聞いた。元気かつ陽気な前衛芸術家。
DUG・DIGと村上春樹・中上健次
また青梅街道に出ます。新宿区役所の向かいに、ジャズ喫茶DUGがあります。以前は1階から3階まで店舗があり、近くにもう1軒ありましたが、その店は数年前になくなり、残った方も、地下だけの営業になってしまいました。60年代から70年代にかけて、ジャズ喫茶は大きなブームとなりましたが、最近はマイナー化してしまい、次々と店が閉じられているようです。
この店は、村上春樹の大ベストセラー「ノルウェイの森」(昭和62・1987)に登場します。
小説は37歳になった主人公の回想場面から始まります。主人公・ワタナベトオルは、1949年の11月生まれですので、冒頭の場面は1986年、小説刊行の前年となります。
小説は主に主人公「僕」の大学時代のことが書かれています。60年代が終わりから70年代にかけての時です。学生運動も活発でした。その時代に「僕」は青春を過ごします。「僕」は高校時代に自殺した友人の恋人・直子と再会し、恋におちます。また、同じ大学の一年後輩である個性的な女性・小林緑ともつきあいます。
DUGは、緑がときどき使う店です。「昼間にお酒飲んでもやましい感じしないから」というのが理由です。彼女はここでウオッカ・トニックを飲むのです。「僕」も緑に連れられて訪れます。
ドイツ語の授業が終わると我々はバスに乗って新宿の町に出て、紀伊国屋書店の裏手の地下にあるDUGに入ってウォッカ・トニックを二杯ずつ飲んだ。(第七章)
セロニアス・モンクがかかっています。
また、別の場面。
DUGに着いたとき、緑は既にカウンターのいちばん端に座って酒を飲んでいた。彼女は男もののくしゃっとした白いステンカラー・コートの下に黄色い薄いセーターを着て、ブルージーンズをはいていた。そして手首にはブレスレットを二本つけていた。
「何を飲んでいるの?」と僕は訊いた。
「トム・コリンズ」と緑は言った。(第九章)
この時はサラ・ヴォーンでした。
ちなみに、「僕」のアルバイト先も新宿のレコード店です。彼はその店で午後6時から10時半まで働きます。
店のとなりには大人のおもちゃ屋があって、(中略)店はけっこう繁盛しているようだった。店の斜め向かい側の路地では酒を飲み過ぎた学生が反吐を吐いていた。筋向かいのゲーム・センターでは、近所の料理店のコックが現金をかけたビンゴ・ゲームをやって休憩時間をつぶしていた。(第六章)
かなり具体的な描写ですが、その位置にかなう店が今の新宿にあるかどうかはわかりません。
この「DUG」(03-3354-7776)の前身は「DIG」というジャズ喫茶でした。場所も少しここから離れ、現在のアルタの裏手にあたるビルの3階にありました。作家の中上健次(昭和21・1946~平成4・1992)が訪れた店でもありました。昭和40(1965)年、郷里の和歌山県の高校を卒業した中上健次は上京して早稲田予備校に入ります。ただ、授業にはほとんど出ずに新宿で放浪、当時「フーテン」と呼ばれていた生活をします。その時に通い詰めたのがジャズ喫茶でした。最もよく行っていたのが歌舞伎町にあった「ジャズ・ビレッジ」でしたが、この「DIG」も彼の文章に出てきます。
風花(03-3354-7972)
来る日も来る日も、ジャズばかり聴いていた時期があった。それが五年間ほど、続いた。ジャズを聴いた店を、思いつくままにあげれば、「ジャズ・ヴィレッジ」「ヴィレッジゲイト」「DIG」「木馬」「ニューポニ-」「ヴィレッヂ・バンガード」「ビザール」「キャット」「アカシア」 ジャズが好きでたまらない。コルトレーンが好きでたまらないと思った。(「二十代の履歴書」)
新宿五丁目、伊勢丹三光町ビルの裏手に当たる所にある風花は、中上健次が訪れたバーで、今もサインの入ったボトルがキープされているとのことです。
→僕は「中上健次さんの飲み残したボトル」を確かに見た。