鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

名取市 閖上の現状

2016-03-16 15:39:26 | お知らせ

 きょうは風もなく、とっても過ごしやすい一日となっています。 今NHKFMで「ラフマニノフ」の自分での演奏を聴きました。もしかして初めてではないでしょうか。 戦前の演奏とのことです。ですからモノラル録音となっています。貴重ですね。

 

 今朝のニュースかな、天皇陛下がみちのくへ巡行されるとか。きょうは福島で、あしたは宮城県の石巻と女川へ行って、あさっては仙台で東北大学の「震災と医療」という催しに出席されるとか。 きのうの巨大なテントはそのためのものかもしれません。

             

  

 近くに来るのでお迎えに行かれないことはないのですが、午前中は中学校の卒業式に出ることにしていますので、どうなりますか。

    

 午後から打ち合わせのため自転車で外出しましたが、手袋がなくても大丈夫でした。 打ち合わせのあと私立高校へ行って確認とお願いをしてきました。 夜は別の会議があります。

   

 (彼らがやっているのは、アルティメットとかいう競技です。 世界的に流行っているとかテレビで言っていました。フリスビー?とか思っていましたが。)

 何にしてもあしたも暖かい日となりそうで、うれしいですね。 何気なく毎日河原を、広瀬川分流のそばを歩いていますが、おやっと思うことがあります。いつのまにか新しい草が芽生えているのに気付かされます。 逞しいものです。

   

 自然の息吹を多分一杯感じているのでしょうが、かなりの部分は分からないままに過ぎているのでしょうね、当たり前のこととして。

  

                        

 それにしてもどうなるのでしょうか、プロ野球界は。 ”験担ぎ” 巨人、阪神、西武のほかにどこがでてくるのでしょうか。お金を賭けないと、もしかして勝てないのかも、やる気が出てこないのでしょうか。いずれにしても野球賭博の素地はあったということになるのでしょう。広島や楽天では無いことを祈っています。

 残念といえば、乙武洋匡さん、どういうことでしょうか?自由民主党から出馬するなんて・・・・。自民党がどういう政党か、賢明な乙武さんならお分かりのはずなのに、返す返すも残念です。と同時に自民党の強かさには呆然とするばかりです。

 

 3月8日の撮影です。 

 名取市閖上はビックリするくらい変わっています。日和山の手前の変化がすごいです。大型ダンプがひっきりなしに行き来しています。ダンプの前に閖上云々のステッカーを付けて、それはそれはすごい数のダンプが往来しています。

 そして仙台方面から閖上大橋を渡って左折してまっすぐ行けば日和山に行けたのですが、今はいけません。 ぐるっと大きく遠回りをします。 周りは数メートルにわたってかさ上げされた造成工事現場が続きます。 だから閖上中学校にも入れません。

 こんなに高くかさ上げされた造成地はどうなるのか。道路はどうなるのか。全く分かりませんが、車で走っていても造成地に威圧される感じです。すごい圧迫感ですね。 そのうち以前はいけなかった漁港にとどりつきました。

 そして係留されている漁船の多さにもいい意味でびっくりしました。

        

                 

 

     

 橋の手前はというか周囲はまだ手付かずなのでしょうか。 橋を渡ったところにはサイクリングロードがありました。 そこでハゼ釣りなんかをしたものです。

       

 ここは両岸が整備された(されつつある)貞山掘です。

   

 慰霊塔と奥に見える日和山です。

 

 被災した佐々直の工場はどうなるのでしょうか。

 

 以下2枚は日和山の頂上からみた周りの景色です。

 

             

 

            

 

 

 上下の2枚は閖上朝市の建物です。日曜日は賑わうのですが。

              

 巨大な防潮堤です。

 

 3月9日の朝日新聞で、小熊英二さんが言っていた通りの景色が広がっています。 

 『いま東北沿岸部を歩くと、はるか遠くまで広がる盛り土の量に圧倒されます。巨大な防潮堤も姿を現しつつある。被災直後に「安全第一」で立てた復興計画が、いよいよ形となって見えてきました。』  

 閖上が、『・・・。復興計画が大規模で時間がかかりすぎ、その間に人口流出も高齢化も進んでしまった。高台に造成した住宅地、かさ上げした商業地区、沿岸に並ぶ魚の新加工場。果たしてどれほどが埋まり、稼働するのか。』 ということにならないことを願います。


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風が強くて、

2016-03-15 14:55:18 | お知らせ

 早朝はそうでもなかったのですが、午前も半ば頃から強い風が吹きはじめ、午後になっても止みません。 明るく、陽射しもあり風を遮れば暖かい(当たり前ですよね)のですが、・・・・。

 

           

      

    

 きょうは今年度最後の定期立哨の日でしたが、真冬の格好で立ってよかったです。やはり空気は冷たいし、子どもたちの服装を見てもまったく冬のときと変わっていません。 ネックウオーマーはしませんでしたが、やはり無理をせずそれも必要でした。

 

 (河原では高校生たちがサッカーやソフトボールの練習に余念がありません。)

           

 (もう高校は学校が休みなのでしょうか。)

 

 

 ここ一週間の間に起こったこと等;

 1) 食料を確保しました。 いつもの宮城県産のひとめぼれです。 三本木の農家の人より購入していますが、おまけの自家製のとりたての野菜がこれまた美味しく、農家の人はこんなにも美味しいものを食べているのかと羨ましくなりますが、経営は厳しいのは重々承知しています。

      「ひとめぼれ」4袋です。

 ビニールの袋に入っているのが、採れたての野菜です。 豆もあったかな。

 考えてみると我が家では3人で一年に玄米を3+4=7袋消費しています。 1袋=30キロ  2袋=1俵 です。だから3俵と1/2俵(3.5俵)を食べています。 多分今どきの家庭としては多い方だろうと思います。 一人あたりにすると 1俵と10キロ になります。

 我々夫婦は朝晩2食を玄米(+豆)で食べています。 子どもは白米ですが。 まあこれで秋までは主食は大丈夫です。 5年前の11日以降はパンが主食でした。パン、おかゆ、カップめん、おにぎりをよく食べました。

  

           (今我が家で栽培している野菜類です。)

               

 

 1-2) 話しは少し飛びますが、5年前との比較です。 なんだかお分かりですか。

     (2011年3月11日)  (2016年3月11日)

  ①       82.78              113.71

  ②      114.32           126.72

  ③   10、254.43        16,938.87

 パッと見て分かったらすごいエコノミストになれます(エコノミストです)。

 ①は 1ドル=日本円    ②は 1ユーロ=日本円   ③は 日経平均株価 です。 5年での変わりようは凄まじいといってもいいのでしょうか。 でも日本経済はちゃんとやってきたのです。     ではこれはどうでしょうか。 

      (2011年3月11日)   (2016年3月11日)

  ④       7.40             9.59           

  ⑤       2.82             3.45

  ⑥      12.62            15.02

  ⑦      11.07            17.71    何となくお分かりでしょうか。

 ④は韓国100W、⑤は台湾ドル、⑥は香港ドル、⑦は中国元の円レートです。

 

 2) これまたご存知でしたか、ご覧になったことがありましたか。 巨大テントです。

          

                  

         

 車と比較してもらえたらその大きさがお分かりでしょうか? このような巨大なテントが3張、地下鉄東西線の国際センター駅前の広い駐車場に設置されています。 なんでも近々開催される医学関係の学会用に設置されているとか。写真を撮った10日はまだ組み立て中でした。

 でもこの写真をパソコンに取り込み中に気がついたのですが、テントよりもその後方の木立の方がきれいに撮れていてかえって目立つかなと思いました。

 

 この木もかなり高く、立派なものです。なんといってもその高さがほぼ均一というところが素晴らしい。 この場所は江戸時代は仙台城の二の丸跡で、その後陸軍の第2師団関係の部隊が駐留し、敗戦後はアメリカ進駐軍(占領軍)が住んでいました。

 将校以上の高級軍人の住宅だったのでしょう、周りを白く塗った木造の2階建ての家がたくさん建っていました。 当然中には入れません、MPが立っていましたから。許可証を持ってればOKでしたが。

 米軍が引き揚げてからはこの敷地内でよく遊んだものです。道路がアスファルト舗装されていたから、自転車で遊ぶのには丁度良かった、昔々の思い出です。

 3) きのうこのブログで夜にホタルが舞っているかのような写真をご覧になっていただきましたが、昼間の東西線の車両です。 仲の瀬橋と大橋の中間に東西線の橋梁はありますが、写真は大橋からの撮影です。

 

 東の荒井駅へ向かっています。

 


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雨もいいもので、・・・・・

2016-03-14 16:32:25 | お知らせ

 朝起きたら道路が濡れていました。 家の中からは分かりませんでしたが、外に出ると霧雨でした。そんなに寒さは感じなかったので、雨もありかなと思った次第です。

           (午前9時15分頃)

   

 日中も降ったりやんだりというか、小雨は降ってはいましたが傘を差さなくても支障がないような降り方でした。

                    

    

          

 ところでこれは何でしょうか。

 

 これだけで分かった人はすごい感受性というか想像力の持ち主です。 では、これでどうか?

                  

 まあ何となくお分かりでしょうか。別にこのように凝った撮り方を意識的にやったわけではございません。意に反してこのようになってしまいました。 次でお分かりでしょうか。

 

 なんでこのように写ってしまったのか自分でも分かりません。削除しようかなとも思ったのですが、このように並べてみるとそれなりに面白いように感じましたのでアップしています。

                 

 そうです、夜間走っている地下鉄東西線の車両です。ちょうど国際センター駅を出て大町駅に向かうところです。 時間は午後6時40分頃かな。 車両の下は広瀬川です。 3月12日に仲の瀬橋から撮りました。

 

 広瀬川分流にはカモが2羽いましたが、こちらが少し遠回りをしたこともあって逃げませんでした。嬉しいですね。 左岸から右岸へ逃げたり、上流へ行ったり、下流へ行ったりするのは本能ですので仕方がないことです。

  

       

                               (カラスの写真って意外と撮りにくいのです。)

 

 堤防に咲いている桃と梅の花も水滴をつけてしっとりとした趣を感じさせてくれます。

 

                      

 

                          

    

                        

 

                       

  もう場所によっては桜みたいな花が咲いているようですね、堤防ではないですが。

 


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復興コンサート&キャンドルナイト

2016-03-13 15:43:55 | お知らせ

 今日も風がなく、過ごしやすい感じの一日となっています。 それはいいのですが、鼻水が止まらないのとのどがいがらっぽく、両目を開けているのが辛くて少し痒いのは困ったものです。 

  

 これは花粉症でしょうか。 以前は花粉症とは無縁の生活を送ることができたのですが、ここ2,3年かなわたしも普通の人たちの仲間入りをすることになったようなのです。

                  

   

 こういうことからもやはり早く夏が来ないかなあと思ってしまいます。

        

 

 昨夜市内でも新しい豪華なホテルにて「復興コンサート」がありましたので寒い中自転車で行ってきました。 「仙台トラストシティ」というホテルなのですが、始めてはいりました。しょっちゅうそばは通っているのですが入るのは初めてでした。

             

 普通なら帰りは寒くなるであろう夜に出歩くにはちょっと遠かったのですが、ピアノが知っている人だったので行ってみたわけです。 かって(というにはまだ早いかな?)第9の合唱に参加していた時、ピアノの伴奏をしてくれるうら若い先生方は3,4人いたのですが、そのうち一番長くお世話になり、ひょんなことから雑談もするようになった次第です。

          

 写真は長い髪をしていますが、型ぐらいまでの髪になり、さらに綺麗さに磨きがかかっています。ドレス姿にぴったりの髪型で、長身ですから文句の付け所がありません。

 演奏は全部で12曲ですか。そのなかで全員で合唱したのは坂本九の歌で有名な「見上げてごらん夜の星を」です。 あらためて歌詞を見ながらうたってみると、歌詞も曲も本当に一体となっている素晴らしい曲であると感じました。

  

   (これは我が家のクロッカスです。いつの間にか咲いていました。)

 S・フォスター作詞作曲の「全ては終わりぬ」はソプラノとメゾソプラノの重唱で、とっても心に響いてよかったです。 そうそう最後に歌った、アンコールですが、「ふるさと」も途中から重唱になり、心に沁み込んできました。

 でも、「ふるさと」に歌われている情景はもってあった農村の風景であって、いまはどこにもないもので、子どもたちにはピンと来ないだろうし、今の若い父母にとっても見たことのない、経験したことのない風景ではないでしょうか。

 

 (わざと同じものをくっつけてみました。こういうのも面白いかも・・・)

 学校の音楽で歌い継がれているのならいいのですが、今の歌からは童謡とか文部省唱歌はかなりなくなっている、とかって何かでみたことがありますので、この歌も絶滅寸前ではないのかなと悲観しています。

 フルートだけで3つの子守唄のメドレーを演奏したのですが、これも心に沁み渡るものでした。彼女のフルートは木管楽器ではあっても「金」で作られているそうです。そういえばむかしのことですがその上の「プラチナ」製のフルートを持った(吹いたのではなく)ことがあります。重いのですね。

 

 コンサートは午後5時から6時10分くらいで終了しましたが、外に出てみるとホテル前の広場で300本からなる ”キャンドルナイト” が迎えてくれました。(見送ってくれました)

                   

 実にいろんなキャンドルがあり、見ているだけで心が落ち着くように感じます。

 

                        

   

                

  

      

 

                          

  3月11日が過ぎるとものの見事に、潮が引いていくように、何事もなかったかのような日常に戻っていくのが怖いです、仕方がないことではありますが・・・・。

 


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3月12日

2016-03-12 15:23:26 | お知らせ

 きのうは2016年3月11日金曜日、そしたら2011年3月11日も金曜日だったんですね。5年経ってはじめて2011年のマイブックを開いてみました。

 5年前の仙台の最高気温と最低気温は6.2度と氷点下2.5度、2016年は7.6度と氷点下0.2度でした。 5年前は地震のあとは寒かったし、雪も舞ったりして、夜は星空がやけにきれいでした。

 あの日から当分の間は服を着たまま布団に入りましたし、親子3人1階で固まって寝ましたが、早目に布団に入ったこともあるのでしょうか、余震が何度も何度もありましたので、その都度目が覚めて身構えたものでした。

 

 きのうの出来事です。

 南三陸町旧防災庁舎です。

     石巻市の大川小学校です。

仙台市荒浜小。閉校します。

   石巻門脇町

  盛岡市「祈りの灯火」 

 

 

 市立中学校の卒業式に出席してきました。 230名の男女が卒業しました。6クラスです。この中学校の卒業式に出席するのは久しぶりです。 母校でもあります。

 卒業要覧(プログラム)の最後の方に「卒業の歌」というのがあり、「証」と「糸」、ふたつの歌を歌いましたが、難しそうなのにとても上手に歌います。女子生徒の高音がきれいでした。

 ところで「証」という歌知っていましたか。 山村隆太作詞・坂井一生作曲・加藤昌則編曲ですが、初めて聞きました、私は。 希望を持って、前を向いて歩いて行ってほしいという願いが籠められた歌です。

 

 「糸」は聴いたことがある中島みゆき作詞作曲の歌です。『縦の糸はあなた 横の糸は私 縫うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます』

            

 

 ベガルタ仙台、鹿島アントラーズを1-0で破りました!!よくやりました、天晴!!!


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3月11日、あの日から丸5年

2016-03-11 16:05:52 | お知らせ

 

         

 

   

        

  

 

 

 

       

                    

                                 

      

 

                                                  合掌

 


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3月10日

2016-03-10 15:43:20 | 思いつくまま

 曇り空ですが思ったよりも寒くはなく、自転車での移動もそんなに気になりませんでした。

  

 このところ痛快な出来事はなくなっていたのですが、久しぶりにこれは痛快と思うことがありました。

                     

  

 一つは読売巨人軍の選手による野球賭博の件です。 さんざん球界の盟主、常勝巨人軍にして、野球は巨人でもっているんだという傲慢さが常に際立っている巨人というチームの相次ぐスキャンダルですので、それみたことか!と人間ができていないので悲しいかな喜んでしまいます。 選手個人よりも”ナベツネ”が辞任に追い込まれたことがとっても嬉しいです。それにつきますね。

   

 そしてもう一つは高浜原発の運転差し止めの仮処分が決定したというニュースです。 まあよくぞそういう判決をしてくれました。 これを痛快といわずして何を痛快といいましょうか。 あの日から5年目にしてようやく、やみくもな政府や電力会社の原発再稼働の動きに警鐘を鳴らしてくれました。

 この判決は、同時に国民に対しても5年前のことを改めて自分のこととして考えてほしいということを訴えているものと考えます。

  

                 

 悲しいことがまた起こりました。広島県府中町での中学3年生の男子生徒の自殺です。万引き犯として間違われたことが、その後もずーと生き続けていた。誤りに気づきながらも、きちんと訂正されてはいなかった。その情報が共有されていなかった。

 進路指導といっても、廊下での立ち話が進路指導なのでしょうか。これにもびっくりしてしまいました。惜しむらくはこの男子生徒にそれは違うという異議申し立てをいう勇気が少しでもあったならばと思いますが、真面目で勉強もよくでき優しい性格の彼にはそれができず、なぜ学校はきちんと分かってくれないのだという深い絶望感に打ちのめされてしまったのでしょうか。

 何とも痛ましく辛く悲しいことです。

 

 きのうが3月9日で、きょうは3月10日。そして当たり前のことですが、あしたは3月11日となります。9日と10日に大きな地震が続いて起きたこともきのう書きました。 でも、いつもこの頃になると悩みます。 自分はどうやって3月11日を迎えたらいいのだろうかと。

 テレビでもラジオで、新聞でも「岩手県・宮城県・福島県の被災三県」と何かというと言われます。でもあの日被災したのはこの3県だけではありません。青森県も茨城県も千葉県も大きな被害を受けました。もっと大きくとらえれば大阪まで行くのでしょうが、そこまでは言わないとしても、なにかというと被災3県という形で括られます。 他の県の復興はどうでもいいのでしょうか。

 そして私は宮城県に、その中の仙台市に住んでいます。仙台市もとっても大きな被害を受けました。間違いなく宮城県人でもある仙台の人間は被災者です。私も被災者です。被災者ではあっても、その被害の程度の違いにより、とてもじゃないけど被災者なんて言える状況ではないような気がしてしまいます。

 その被災者ではあっても被災者とはとても言えないような私が出来ることは何なのか。何ができるのか。何をすべきなのか。被災3県以外の人との違いは何なのか。 被災地に住む者として何を発信していくべきなのか。 この時期になるといつも悩んでしまうことです。そんなことを考えるなんて思い上がりも甚だしいということになるのでしょうか。

 まだまだ復興半ばの悲惨な被害を受けた被災地の復興状況を知らせていくこと、そしてあの日のことを決して忘れないこと、ということは言えます。 でもそれだけでいいのか。

 一緒に悩み、考え、行動すること、そしてあの時以上の地域共同体、望ましい地域を、ニンゲンが人間らしい生活を営むことができる生活地域をつくること、それが望ましいとは言えますが、それにどうやって関わっていくのか、関われるのか。祈るだけ、願うだけなのか。

 そんなことを言うなんてあまりに自分という者を過大評価しているのじゃないかといわざるをえません。 そういうことをまじめに考えると悩みは深くなるばかりです。 もしかして偽善者かと思ったりもして、結局は、虚しさを抱えながら思い悩みつつ、忘れないようにすることだけか・・・・ こうして堂々巡りをしていくのです。

 教訓、3・11の教訓というものができたとして、あったとして、それが現在活かされているか、逸脱していないか、つねに現実と5年前のあの日のことを照らし合わせながら生きていく、そうすれば自ずと忘れるということはない、ありえないことになるようです。

 

       


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3月9日

2016-03-09 13:58:51 | 思いつくまま

 きのうまでの暖かさはどこへやら、風も冷たくなってきました。あしたはもっと寒くなるようです。冬逆戻りとか。もう冬に戻らなくていいですね。

            (午前11時20分頃 東方面)

 

 きのう8日は昨年亡くなった”水木しげる”の誕生日だったとか。そして亡くなってからの百か日ということです。 そうですか、もう100日も経つのですか。 極楽で戦死した戦友やのんのんばあと再会し、戦地で仲良くなった現地の精霊たちとも親交を深めているのでしょうか。

          (午前9時20分頃 西北西方面)

  

           

 (これは何?天国への門、または地獄への門? 朝日新聞で連載していた夏目漱石の「門」は終わって、きょうからは「夢十夜」がはじまりました。 「門」の最後は個人的にはすこし消化不良というか不満がのこりました。坂井の家で宗助と安井が出会っていたら、一体どんな会話が交わされたのか、そこにとっても興味があったのですが・・・・。)

               

       (さざ波が立っていて、川面に分流の木の影が映りません。)

  

 

 そして8日はダイエー仙台店の閉店の日でした。 1975年から仙台市の中央地区で営業を開始し、私もたくさん利用させていただいた者です。何と言っても創業者の中内功(力ではなく刀)の考え方や行動力に惹かれたものです。軍隊で苦労し、骨のある人でした。

 そのむかし(また出ました)、私が大阪での会社員時代には「ダイエー」とか「いずみや」をよく利用させていただきました。 あとなんて言ったかな衣料品専門店のニチイ?だったかな、庶民のための店が一杯ありました。

 今度はイオンとして営業を再開するそうです。 ダイエー仙台店は、あの東日本大震災のとき、二日後からでしたか店をオープンして手に入りにくくなっていた食料品を販売しました。長蛇の列ができたニュースを見たものです。

      

 

 同じく8日ですが自民党の独裁者はのたまわったそうです。「(大震災の)風化は政府としては絶対にない。福島を訪れるよう広く国民に呼びかけていく。イノベーション・コースト構想によって未来のエネルギー社会が開花しつつあると実感している。」とインタビューで答えていたそうです。

 なんと白々しいとしか感じません。一刻でも早く風化して欲しい、忘れてほしいというのが本音ではないのですか。 折角原発がなくてもやってこれたのに、次から次と原発を再稼働させようと躍起になっているのが現実ではないですか。 原発に頼らなくても電力の需要を賄うべく知恵を出してやってきたのに、それに水を差すかのように再稼働を進め、耐用年数が過ぎた原発でさえ20年も延命させようとしている。

 原発がなければやっていけないと言っているのは政府と財界と利権が絡む人たちだけでしょう。絶対に原発を止めたくないという裏には、やはりいつでも必要となった時に自前で原爆や水爆を作れるような技術を保持して行きたいということなのかと思わざるを得ません。とくに北朝鮮の脅威がある以上それこそ絶対に止められないのでしょう。

               

 原発については、5日の朝日新聞で 池澤夏樹が「東電の責任と倫理観」と題してこういうことを言っています。

 『原発事故については責任を明確にしない。これが3・11の直後からの国の方針。この前提に立ってことを処理するために「原子力損害賠償機構」という組織が作られた。国と電力会社十二社が同額ずつ出して東電の賠償費用の一部に充てる。同じような事故が起こった時、他の電力会社は同じように支援を受けることができる。  一見、電力会社は身銭を切っているように見えるけれど、それはそのまま電力料金に上乗せされている。彼らにすればまた事故を起こしてもこの仕組みに助けられるのだから、安心して再稼働に走れる。国民にとっては災厄でも、会社は大丈夫。・・・。東電はあの日以来ずっと嘘とごまかしを重ねてきた。・・・。原発という危険な施設を運転する資格と能力はこの会社にはない。他の電力会社にもない。東電はあの時点で破綻処理すべきだった、と環境経済学の大島堅一さんは言う。ぼくは、日本国民の再度の不幸回避を考えて、これに賛同する。』

 

 3月9日です。あの時、2011年の3月9日ですが、お昼頃に大きな地震がありました。マグニチュード7.3、仙台の震度は4でした。 そのときはこれが30年以内に来るだろうと言われてきた「宮城県沖地震」か!とほとんどの人が思いました。 震度5の宮城県沖地震は1978年の6月12日に発生しました。

 そしてよく3月10日の深夜から早朝にかけても大きな揺れが3回もありました。私の記録では午前3時、6時20分、6時25分となっています。9日から大きな地震が起きていたのです。でもこれがあの忌まわしい巨大地震の前兆とは分からなかった。だれもそのようなことは言わなかった。

 もしもあのとき、とか、タラ・レバを言っても始まらないですが、あの当時、次はもっと大きい地震が来るかもしれないと少しでも思うことができていれば、でも9日に大きな地震が起こったために、もう心配するような大きな地震は来ないだろう、溜ってきた地震のエネルギーも発散されたことだろうからもう当分は大丈夫だろう、そういう安ど感みたいなものがありました。

 かってに自分に都合のいいように解釈したりして・・・・ そして3月11日がやってきて、自然はそれでも足りないと思ったのか4月7日にもM7以上の大きな地震を起しました。

 

  

                       


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丸10年となりました、

2016-03-08 15:03:22 | お知らせ

 夜に雨が降ったようで、道路は濡れていました。 そして2階から見る東のビル群は霧で霞んでいました。 こういう落ち着いた幻想的な雰囲気は嫌いではありません。

 

 きのうほどではないですが、風もなく寒くはない。車からの外気温は12度ですか、きのうより3度くらい低いですが、問題はないです。

            

 

 でも明日からまた冷えてきて、雪も降るような天気予報となっています。本当に目まぐるしく展開する天気です。

    

 

 これもまた少し遅れてしまいましたが、報告とお礼です。実は3月3日は私のブログ記念日なのです。この拙いブログを始めたのはもう丁度10年前、2006年3月3日なのです。市民センターの事業に参加したことがそもそもの始まりです。

 

                      

 あれから丸10年が経っていました。8日で3,658日目です。 年ばかりでなく、歳もとるはずです。このGOOGLEのブログも使い勝手がよくなってきました。最初は写真は1枚しか掲載されませんでしたが、今は最大30枚まで一気に掲載可能です。

 

                       

 そういうわけで、3月3日のアクセス等をみるとこうなっています。 PVが2075PV,IPは731IPで、2。41万余のGOOGLEのブログの中で、自分でも信じられなかったのですが、549位となっています。これはたまたまのことなのですが、それにしてもわれながらすごいことだと驚いています。 これもみなさまがたのおかげです。ありがとうございます。

 

                 

 そして無料で掲載できる写真は一度に30枚まで、容量としては3GBなのですが、サムネイル表示では、全25,704枚もうこのブログは文章よりも写真のブログと化してしまいましたので、きょう8日現在で2.781GBを使ったことになっています。

 

 使用割合は 92.7%です。もうすぐ100%の使用となってしまいます。 その後はどうなるのでしょうか?有料の方で掲載しなければだめとなるのでしょうね。

 とうことでマンネリ化は避けられませんが、もうマンネリ化していますが、体が動くうちは、河原に行けるうちは、そしてパソコンが動くうちは続けていくつもりでいますので今後ともよろしくお願い申し上げます。 

                 

 認知症が深刻化するとか死亡または入院とかにならなければ更新は続くはずですが、長期にわたって更新がなくなった場合は、そのいずれかであるということになりますのでご承知おきください。 (でももう途中で何もかもが嫌になり投げ出すということも考えられます。)

 

 3日にこのような通知のハガキが届きました。

   

 キャスティングから鮎用品の予約受付と展示受注会開催のお知らせです。盛岡市と仙台市で開催しますが、仙台は南店で26日と27日に展示受注会が開催されます。でも盛岡では名人のトークショーがあるのに、仙台ではありません。

 なぜでしょうか?前には複数の名人連中がやってきて竿等のPRのほかにサインもしてくれました。まあこちらから色紙とペンを用意して持っていったのですが。ミーハーな私としては是非とも有名人に来てほしかったです。

 盛岡では、有岡只祐・福田和彦・廣岡保貴の3人がゲストとなっています。いいですね。廣岡さんといえば、その昔がまかつの全国大会が山形県の小国川で行われたときに、一緒に鎬を削った仲間?です。グループは別々で、当然決勝戦まで勝ち上がったのは彼の方でした。福田さんが優勝しました。

 

 またきょう久し振りに外出して釣具店に寄ってきました。そこで買ってきたものともらってきたものは以下の通りです。

 買ってきたものはDVD2枚です。そのうちゆっくり楽しみましょう。私は瀬田匡志さんが好きで、あの鮎のぶん投げ?釣法を何とかマスターしたいと思っています。

    

 そしてもらってきたのは、カツイチとバリバスのカタログです。目新しいものはないのですが、カツイチのREAYUは今後どうなっていくのか?興味があります。 何しろREAYU SYSTEMで「リール泳がせ」ですから・・・・。ここまで来ました。

  


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ちょっと遅くなりましたが、啓蟄 です。

2016-03-07 15:51:46 | お知らせ

 きょうの天気は予報どおりの展開と言っていいでしょうか。 16度まで気温は上がるということでしたが、お昼頃で15.2度を記録したようです。 車からの外気温も15度をしめしていました。

     

 風もなくぬるいといったような感じの空気で、春の霞を感じさせます。 5日は啓蟄でした。そのことを知っていて、5日のブログは啓蟄にしようと思っていたのに、すっかり忘れていました。こういうものなのです、歳を重ねるということは。

                   

 5日から19日までが啓蟄で、そのうち5日から9日までが「啓蟄初候」となります。冬籠りをしてる虫や生き物たちが顔を出すということです。 『蟄虫敬戸(すごもりのむしとをひらく)』  ちなみに10日からの「啓蟄次候」は 『桃始笑(ももはじめてさく)』  「笑」と書いて”さく(咲く)”と読ませるなんてなんと情緒豊かな感受性に富んだ表現でしょうか。

 

 そこいくと何ですかあの新国立競技場の”聖火台”の事件! これはもう問題ではなく、事件、それも仰天する大事件ですよ!募集要項にも書かれてなかったらしいですが、東京オリンピック開催のための国立競技場の建設でしょうが! 

 オリンピックと言えば開会式と閉会式を飾る聖火台がつきものというよりも、必需品、なくてはならないものでしょう。そのことを失念していた、関係者が全員忘れていたというのでしょうか。事務方も気がつかなかったのでしょうか。 まあ呆れて笑っちゃいますよね! 全く緊張感がない、緊迫感が感じられないお粗末極まりない事件です。世界の物笑いですよ。そこまで日本人の感性鈍くなり、すり減ってしまったのでしょうか。経済成長第一主義の陥穽に嵌ってしまいました。

     

 話しを元に戻して; 啓蟄だから、この時期のことでないのは重々承知のうえで、去年の9月11日の広瀬川の大増水のときの虫の様子、かって見たことのないくらいの増水にもかかわらず健気にも虫たちは必死に生きていたのです。大増水に耐えていたのです。

 そのときに採った小さい虫たちの姿を見てもらおうと思いました。 ずーと紹介しようと思いつつもそのタイミングがうまくいかずそのままとなってしまいました。 広瀬川の河原にはこんないもたくさんの虫たち、昆虫がいたのか!正直驚きました。

 だからその時撮った昆虫たちの姿をご覧になってください。写真は、下の堤防まで増水したときにその付近に流されないで耐え忍んだ植物、草の裏側等にくっついていたものです。その時は本当にこんなにいたのか、こんなに草とともに頑張りとおしたのかと驚き、感動しました。

 バッタやテントウムシは省略します。私にとっては普段見ないような昆虫が結構ありました。

  

                   

      

     

   

            

   

      

         

  

           

   

 これは珍しい!!!

    

 おんなじような昆虫があります。同じなのかもしれません。そのときはご容赦願います。でも彼らは健気にもあの大増水の広瀬川で生き残ったのです。耐えたのです。偉いです。


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吹奏楽の協演、共演、饗宴!

2016-03-06 15:54:21 | お知らせ

 きょうの最高気温は16度になるという予報だったのですが、実際はどうだったのでしょうか?とてもそこまでは上がらなかったように感じます。 雨が降らなくてよかったです。

             (午前10時過ぎ)

    

 午後からはどんよりとした曇り空となりました。風はまだ冷たく冬の服装で仲間との会食に出かけました。

             

  

 十分に間に合うようにバスで出かけたのですが、市役所・県庁前でバスはストップしたまま。乗っている人間は何が原因かわからないまま、イライラして乗っていましたが、そのうち2,3人ずつ降りはじめ、ついに私もこれでは歩いたほうが早いと決断し、降りて歩きました。

      

 信号待ちのときにある人が警官に聞いていました。答えは18日に天皇陛下が宮城県にやってくるために、その訓練をしているようなのです。東日本大震災から丸5年が経過しようとしているこの3月、天皇陛下が宮城県にやってくるわけです。

  

 (きょうは本当に久しぶりに広瀬川の分流でサギの姿を見かけました。今までどこに行っていたのでしょうか? 分流の上流域に佇んでいましたが、すぐに飛び立ちました。)

              

  (そうそう、分流のカモを見つけたので、きのう同様に驚かせないようにと少し遠回りしながら近付いて行ったのですが、あろうことか?胡桃のおばちゃんが西側からやってきて無造作に分流に下りてきたので2羽のカモは慌てて飛び去っていきました。残念 )          

 天皇陛下と言えば、この前風邪で入院されたというニュースを見ましたが、もうよくなっているのでしょうか。もう高齢だからあまり無理はしないでほしいと思うとともに、被災地に足を運ぶことに対してありがたいとも思います。

  (さらに上流の方の本流に大きな魚影を見つけました。きれいにはとれませんでしたが、真鯉ですね。50センチ以上はあります。)

             

 

 きのう東北福祉大学のけやきホールで市立国見小学校 「小萩吹奏楽団」の卒業演奏会があり、久しぶりに聴きに行ってきました。 この小学校の吹奏楽団は昔から有名で、朝練・午後練の成果を聴かせてくれました。

   (PR用のチラシ)                 (当日のプログラム)

   

 3年生から6年生まで27人で構成しているとか。 ちいさくてとってもかわいい子から逞しく成長している子までいます。 でも一生懸命練習すれば楽器を自分のものとすることができるのですね。

      

 こどもの才能というか、能力というのは本当にすごいものです。 思い返せば私の次男も小学校の時学芸会の発表会で”アコーディオン”を弾きました。 親としてはこの子のどこにそんな能力があったのか驚いたものですが、・・・・。

 

 オープニングとして「校歌」を演奏し、その後「BLUE RIDGE SAGA」と続きました。

 次は客演として、三条中学校の吹奏楽部の演奏です。 曲目は、「空も飛べるはず」と「SEKAI NO OWARIメドレー」でした。 こじんまりとした構成の吹奏楽部でしたが、実際にはもっとたくさんの部員がいるのかもしれません。

 

 さらに次の客演、第一中学校の吹奏楽部の演奏がよかったですね。さすが!!と感心しながら聞き入っていました。 彼らのほとんど?かなりの割合で「小萩吹奏楽団」の卒業生だと思います。 ベースのエレキギターも入っています。

 第一中学校は制服がなく私服通学のためでしょうか、楽団用の制服を持っています。

 

 演奏曲目は、「未来へのメッセージソングメドレー」と「ひまわりの約束」でした。指揮者の身振り手振りの様子がいかにも若々しくて、子どもたちと一体化しているような感じを受けました。 音楽はいいなあ~としみじみとつくづくと思いましたね。

 

 さらに盛り上がったのが小萩合奏団の現役とOB,OGとの混成合同演奏でした。総勢70名の第吹奏楽団です。 年齢は9歳か10歳から20代前半のみなさんによる演奏です、盛り上がらないはずがありません。

 

 演奏は① 「学園天国」 で否が応でも盛り上がります。独特の拍手がつきますからね。

          

 ② 「元禄」 初めて聞きましたが、日本風の旋律を取り入れながらも賑やかさ、活気が伝わってくるようないい曲でした。もっともっと広める価値がある曲です。                                                                                                                            

  

 ③ 「サウンド オブ ミュージック」です。 これは定番中の定番?ですが、じっくりと聞かせてくれました。

    

 以上が第一部ですが、それで十分に満足しましたので会場を後にしました。

 


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おめでとう!是枝監督!

2016-03-05 16:50:23 | 思いつくまま

 きょうは様子からはとってもいい天気になってくれそうだったのですが、期待を裏切るように午後からは曇ってきて風も出てきて気温も上がらない天気となってしまいました。 まあ雨が降らないだけいいですが・・・。

 

 午前中の天気がとってもよかったので、素晴らしい週末となるのかなと勝手に期待してしまったのですが。

          

 午前中は近くの高校に行ってお願いしたり、ごごからは大学のホールでの吹奏楽を聴きに行ってきました。 自転車で行きます。雪や雨でなければ自転車は何といっても便利です。小回りが利きますから。

 

 先々週かな、パンクをしてしまい自転車の後輪のタイヤをすべて取り換えました。釘や画鋲が刺さったようなパンクではなく、数センチにわたって破裂してしまったので、タイヤ交換と相成った次第です。

     

            (若いっていいですね~。)

 

 このブログで河原を散歩のついでにいろいろな変わった石や木の化石を拾ってきたことは既にお知らせしていますが、こういう素晴らしい化石を発見した人もいるのですね。羨ましい発見です。私も是非ともあやかりたいと思いますが、無理でしょうね。

 学区内の展示館に展示されていました。 魚の化石です。ちょっと写真が大きすぎました。

 実物もこんな感じです。持たせてもらったのですが重い、思っていたよりもずっしりと重いのです。 近くの広瀬川での発見です。 隣の町内会の人が発見して、寄贈しました。

 いいですね、わたしもぜひともこういう魚の化石を発見したい!貝の化石は一杯あるのですが、魚の化石は貴重です。川底の岩盤や崖をきめ細かく見て回らないと見つからないでしょうね。でも不可能ではないようですので、少しは期待して採集しようと思います。

 

 ところで是枝監督、おめでとうございます。 「海街ダイアリー」が日本アカデミー賞で4冠を獲得しました。 最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀撮影賞・最優秀照明賞を、「海街ダイアリー」で獲得されました。

               

                         (並び方が違いますね。)

 この映画は、お父さんの葬式の場面が宮城県白石市と丸森の山間の集会所を借り切っての撮影が行われまして、ほぼ一日の撮影でした。 その間4人の美少女と行動を共にしたということで、ミーハーな私にとってはこの上ない、かけがえのない貴重なエキストラの経験となっています。

    

 とくにお葬式ということで4人とも和服ではないですが、喪服を着用しています。黒ずくめの喪服はとくに女性を女性らしくしおらしく見せるものです。 美人でなくても美人に見えてしまうものですが、もともとが美人の女優さん方ですのでますます妖艶さが漂う感じと言っては言い過ぎかな。

                          

 でも、綾瀬はるかは最初はリュックを背負った旅行者として、慌ただしく葬式会場へやってくる場面の撮影がありました。それから喪服に着替えました。 暑かったもので、綾瀬はるかの差し入れのアイスが美味かったですね。

         

 実際に映画も見ましたし、テレビでも見ています。制作過程のドキュメントも見ています。そしてきのうでしたか、NHKEテレでの番組「ようこそ先輩」に、何となんとナント是枝監督が先生として出ていました。小学6年生を対象にカメラで見た街中の不思議を取り上げるという内容でした。

 ””カメラを通してみると肉眼で見たものとは違うものが見えてくる””といいます。我々としては観光地へ行くと自分の目に光景を焼き付けるのではなく、写真ばかり取っていると批判的に言われますが、監督の話しでは決してそういうことではないということになります。考えさせられます。

 

 【 きょうの嬉しかったこと 】

 

 きょうは嬉しかったです。広瀬川の分流を下流の方から歩いてきたのですが、そのときそこにいたカモ、5羽も居たのですが、1羽も逃げませんでした。

                 

 わたしから遠ざかって行ったりはしましたが、それでも慌てて飛び立つようなことがなかった!!これはとっても嬉しいことです。

  

   これからもそうあって欲しいのですが、・・・・。

                    

 

  

 

 

 


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三島由紀夫の最後

2016-03-04 14:34:33 | お知らせ

 きょうは午前中河原では風がちょっと強いかなと思う時もあったのですが、全体に爽やかで過ごしやすい日となっています。ありがたいです。

      

               

  

 

 そしてきょうの感動的な言葉から;「あさが来た!」からですが。 この朝ドラは最高ですね、「あまちゃん」と双璧を成すすばらしい朝ドラですね。 入院している父親から言われた言葉、

 

    『ええ娘やったで。 今は自慢の娘になりよった。』

                                   

 思わず朝からジーンときてしまいました。 もうすぐ終わりとなると思うとさみしいですね。

 

 今、朝日新聞には長期の連載記事としては、『プロメテウスの罠』 と 『新聞と9条』 がありますが、そのうちの「新聞と9条」からです。 その中で今は ”70年安保と革新自治体” を連載しています。 

 その「9」(2月27日掲載)から、三島由紀夫を中心とする5人の楯の会隊員が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監部に押し入り、益田総監を監禁したあと自衛隊員の前で演説をし、決起を促し、三島本人と楯の会の森田必勝の二人が割腹したという事件を扱っています。

 なんで「新聞と9条」に三島由紀夫が出てくるのかと最初は思いましたが、彼の言動と日本国憲法は密接な関係があったわけです。自衛隊の位置づけや扱いには憤懣やるかたなかったでしょうし、天皇についても「なでと皇(すめらぎ)は人となり給いし」という文言を覚えています。これは「英霊の声」だったかな。

 

 三島由紀夫の割腹の件についてはこのブログでも紹介したことがあります。2008年11月25日のブログです。11月25日が彼の命日だということで、決起を促した後、割腹自決したという事件を大きく扱ったアサヒグラフがあるはずだと古い書類や書籍等を探してようやく見つけ、その中の写真を3枚くらい紹介しました。

 今回あらためて憲法問題の一環として新聞が三島事件を取り上げ、写真も掲載したりしましたが、そのなかの写真を見て あれっ?何かおかしい? と思いました。この写真です。

        

 2008年11月25日のブログにもこの写真をアップしましたが、本当の写真は上の写真の左端下に割腹した二人の首が並べられていました。

 それで改めて1970年(昭和45年)12月11日号のアサヒグラフを探し回ってようやく見つけました。(いったん仕舞うと忘れてしまいます。)

        

 新聞記事(2月27日)にはこう書いてあります。「渡辺は隊員にまぎれ、総監室前の回廊へ入り込んだ。にらみつけてきた制服の一人に『総監は大丈夫だろうか』と話しかけたのが功を奏した。関係者と間違われたのか、楯の会の3人が総監室から連行される場に立ち会えた。『2人は死んだ』という声が聞こえた。とっさに眼前の机に飛び乗り、窓ガラスの割れた部分から手だけ室内へ差し入れてシャッターを1回だけ切った瞬間、『降りろ』と静止されたという。」

 そしてその「11」(3月2日掲載)には、『朝日は2人の首が画面左下に見える写真を同日(25日)夕刊1面に掲載。日経とサンケイも夕刊で遺体の一部が写ったコマを載せた。』とあります。 45年前は首のある写真も新聞に掲載されていたのです。

 解剖所見についてはこう記しています(その「10」3月1日掲載)。『短刀は刃渡り22.5センチ。解剖所見によれば、死因は頸部割創による離断。頸部は3回は切りかけ、右肩に刀が外れたとみられる11.5センチの切創。腹部は14センチの切創。深さ4センチで小腸に達し、左から右へ真一文字だった。』(福島著「資料三島由紀夫」2005年再訂)と。

 アサヒグラフでは、「傷は深さ5センチ、長さ13センチにわたり、真一文字だった。」と書かれています。

 

 あれから45年が経過していますが、これも社会の変化、国民の意識の変化ということになるのでしょうか。 いかなるものであれ死体や死骸は見せない、公開しないということ。 死亡事故・事件現場からの遺体等の搬出の場面もブルーシートで見えないようにして搬出しています。 もうこういうことは社会の暗黙の了解事項となっています。

 ことさら強調して死体等を見せることはないと当然思いますが、これでいいのかなとも思ってしまうところもあります。40,50年以上も前のことであっても、その時は掲載していても、すべからく死体は見せる必要はないし、見せるべきものでもないとしていいものか。

 全ての死を遠ざけていいのか、遠ざけるだけでいいのか、死の教育=命の教育でもあるはずで、ティーンエイジャー等による近頃のいとも簡単な殺人事件等を目にし、耳にする中で、あまりにも殺し殺されるということ、それが如何に惨いことであり悲惨極まりないか、そういうことを実感させることの重要性を痛感するのですが。 きれいごとではないということを実感することがきわめて大切ではないかと思います。

 わたしなんかは血を見ると貧血を起こしてしまう方なので、とてもじゃないけど大量の出血をしている現場なんか見られませんし、作られた映画であってもアップにされた生々しい殺人や傷害の場面はまともに見られません。今は少し耐性ができたようですが、かっては動物が狩猟のため槍で刺されて血を流している場面も見られませんでした。

 そんなニンゲンが言うのもなんですが、殺人、人殺しその極みの戦争での殺し合いがいかに無惨であるか、、もはや人間ではないそういうことをもっときちんと教えていかないければならないと思います。 

 太平洋戦争でのめちゃくちゃな万歳突撃の結果の累々とした日本兵の死体の写真等は見たくなくても見るようにしてきましたし、オキナワでの集団自決の惨たらしさ、ヒロシマやナガサキでの原爆による死傷者、近くではベトナム戦争でのいわゆるべトコン兵に対するとくに惨たらしい殺人等を現実に見せられてきました。またナパーム弾に焼かれた人々の悲惨さも目にしてきました。いかにニンゲンがニンゲンでなくなるか少なくとも頭の中では理解しているつもりです。

 でも今の青少年はどうなのでしょうか?子どもたちによる子どもたちの殺人事件、殺し方を見るとこれでいいのかと思ってしまいます。

 

 1970年11月25日のショックからもう45年が経過したのです。 本当に才能がもったいないなんて思うのは凡人だからでしょうか。

 

 同じアサヒグラフに、評論家の村上一郎が「或るひきうたー好敵手・三島氏の屍にー」という長文を寄稿しています。その中から。

 「戦後殺すだけに値する権力者はほとんど現れていない。三島氏は、それを憂憤すること深かった。」

 「男が、男でなくてはできぬのは、革命と反革命と戦争と惨殺とだけである。」

 「強い敵と切り結ぶこともできずに、自ら腹を切るほかなかった両氏は、まことに己より夭(わか)い人びとのなかでは、わが最大の好敵であった。」

 「わたしは、安ものながら日本刀を愛し、国に志ある者のひとりとして、三島氏、森田氏らの屍をふみこえて、日本の真の革命、とりわけ日本人の精神の革命のために、生死することを誓う。」

 45年前こういうことを言う人がいたのです。皆さんはどう思いますか。

 

 最後に、三島由紀夫の辞世の句です。

 「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜

 「散るをいとふにも人にもさきがけて散るこそ花の小夜嵐」 (は、正しくは十に廿の上下の字)

             


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桃の節句!

2016-03-03 15:44:54 | お知らせ

 きょうはきのうとは打って変わって暖かくなり、以後暖かい日が続くことになるということで喜んでいます。きょうの昼前の気温は11度とか言っていました。 

           (午前9時30分頃)

 

 ただ雨模様の天気とか言っていましたね。 確かに昼前にはパラパラと大粒の雨が降っては来ました。また昼をはさんで強風が吹きました。かなり強い風でした。

              

 

 でも総じて好天快晴の一日である(あった)といえます。 きょうは桃の節句、お雛様の日ですのでいい天気になってよかったです。

     

 

 同じ学区内にある展示館で”つるし雛”の展示をやっていたはずなので、その写真を撮ってきて、堤防の民家の庭先に咲いている桃の花とのコラボレーションにしようと考えました。ちょうど3月3日桃の節句にとっても相応しいと思っていたのですが、・・・・

 現実はそううまくは行かないようで、きょうからは写真同好会のみなさんの写真を展示していました。 それで再掲とはなりますが、2月の中旬にご紹介しました”かえり雛”の写真と桃の花のコラボとさせていただきます。

 

              

 

                

 

              

  

                  

  

              

   

 世の中の女性のみなさま、社会を日本を世界をいい方向に持って行くのはひとえにみなさまがたの双肩にかかっております。 男どもが道を誤らないように導くことができるのはみなさまがたです。よろしくお願いいたします。

 おとこは孫悟空、おんなはお釈迦様です、太陽なのです。


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シマノはすごい!

2016-03-02 14:55:29 | お知らせ

 朝方はよく冷え込んだようですが、日中になって日も差してきて明るく、まあまあの天気になりました。 あしたからはぐっと温かくなりそうで、それを聞いただけでも心は軽やかに嬉しくなります。

            (午前9時過ぎの様子です。)

  

 日が当たるところと日陰のところの対比というか、それは実にはっきりしているものです。

       

               

 

 きょうは分流にに鳥の姿を見かけました。 いつもより少し早かったからかどうかは不明ですが、分流全体でカモが5羽、からすが1羽、トンビが1羽という状態でした。トンビは上空を舞っていたものです。

        

 カラスの水遊び、なかなか見られない風景です。水は冷たいですよ。何を水中から引き揚げたのでしょうか?

        

 広瀬川分流に居た5羽のカモの分布は、最下流の細い流れに2羽、中間にこの1羽、もっと上流に2羽という状況でした。

    

 かなり近くになっても逃げないので喜んだのですが、やはり無理なのです・・・・。

                             

 上空にはトンビが悠然と羽を思う存分広げて、どうだすごいだろうと言わんばかりに旋回しています。

  

 飛ぶ、舞う姿はトンビが一番カッコいいかな。 

                   

 きのうのことになります。卒業式のあった高校の図書室にあった雑誌の内 AERA を手に取ってびっくり。すごい記事がありました。2月22日発売のNo,8ですが、「日本の強い会社」のランキングが掲載されていました。

 

 強い会社総合ランキングの一位はどこだったと思いますか? トヨタかなと思うかもしれませんが、No!No! 栄えある第一位は何となんとナントあの 『シマノ』 でした。 記事では自転車部品のメーカーで釣り具も取り扱っているという紹介。

        

 このブログで、アングラーの村田 基さんが世界のリールのほとんどはシマノ製品と言っていたと紹介しましたが、それだけベアリングの性能がいいのでしょう。 地味だけど会社として見た場合総合でトップということになるようです。

               

 一位はあくまでも「総合」で、「安定性」ではシマノは第7位、「収益性」では41位、「成長性」では50位には入っていませんでした。 でも「総合」では日本企業で第一位に「強い会社」となっています。 すごいですね。 嬉しくなりますね。

                        

 だからシマノは釣り業界において元気なのでしょうね。カタログ等からも勢いが感じられますし。何かひとり気を吐いているといってもいいのかも。

 

 下の2枚の写真はきのうアップしたものです。なかなかに感動的なシーンで、我ながらジーンときてしまいました。

    

 週刊少年ジャンプは私の愛読書の一つです。 もっとも目を通す漫画は5,6点に限られているのですが、その中でも「両さん」(こち亀)の次に楽しみにし、興味を持ってページをめくっています。 漫画だからと言ってバカにしてはいけません。アッと驚くような内容の深い漫画もあるのです。

 じつはこの漫画の2,3日前にこういう新書を買いました。  「生存教室」(集英社新書)です。 帯に曰く、「人気コミック『暗殺教室』に学ぶ、「完全管理社会」を乗り越えるための新たな教育論」と。 内田樹と光岡英稔(敬称略)の対談、内田は思想家であり、武道家で有名ですが、光岡(世界的な武術家)のほうは知りませんでした。内田の武道を基底にした考え方には大変に興味を持っており、これからも長く付き合って行こうと思っている人です。

      

        

 もともと「暗殺教室」に注目したのは光岡で、武道や教育にも通じるものがあると感じて内田にも読むことを勧め、それが契機で対談することになったものです。まだ第1章までしか読んではいませんが、同じ漫画を読むにしても、ここまでその深さに差があるのかと愕然としながら読んでいる次第です。

 だから漫画自体はもうあと3回くらいで終わってしまうようですが、この漫画からそこまで深読みできるのか、そうかあの場面はそういうことを言いたかったのかなんて過去の漫画を思い出しながら新書の方を読んでいるという有様です。

 でも大変納得することが多く、漫画の理解もより深まろうというものです。とここまで書いてきましたが、漫画を全く見ていない人には何を言っているのか皆目お分かりにならないだろうなと思います。 もう何年も連載している漫画なので、最初から読んでみてはどうですかとはなかなか言いにくいことではあります。 新書なら今からでも読めるでしょう。760円+消費税

 漫画の主題は、落ちこぼれのE組の担任教師の”殺せんせー”なる超生物を卒業までに倒すこと(倒さないと地球が爆発して滅んでしまう)、そのために殺傷技術に練達すること、中学生たちを学校で教育し成長させることという一見まったく相容れない課題と一風変わった学校生活をスリリングに描写した傑作SFコメディなのです。

 そういう漫画から、この著名な二人が「師を超えること、生きることの本質と古の身体の文化、生き残るための武術的知性とは何か」を縦横無尽に語っています。

 もし興味を持たれましたら是非漫画にも挑戦してみてください。 漫画でずーと読んでいるのは「こち亀」と「釣りバカ日誌」かな。 この2刷は「暗殺教室」よりも長い長い連載です。何か全く消化不良のままの紹介となってしまいました。

  


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