鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

いよいよ今年も押し迫り、

2014-12-30 15:03:58 | 思いつくまま

 西暦2014年、平成26年もあしたでお仕舞です。 本当に今年も押し迫ってきました。

  

 というわけで?ことしをちょっとだけ振り返ってみます。

             

   

 本当は今年の鮎釣りの報告もしなければならないのですが、去年に続いて2年連続報告しておりません。 日々の釣行はかなり詳しく書いているので、それでいいかなんてかってに思ったりしているようです(他人事のようで)。

             

 

 それはそれとしまして(こう書くと私が常日頃から親の仇のように取り扱っている誰かさんのような「はぐらかし」となってしまうのが気が引けるところです)、やはり今年で引退を表明している『仙台フィルと第九を歌う合唱団』のことが一番充実していたかななんて思ったりします。

 書き出すとまた長くなるので、嫌われないように写真を中心とします。 ポスターも5枚も溜ってしまいました。 これは貴重な財産、証拠品となってしまいました。

 2010年12月23日の公演。 生まれて初めての大観衆を前にしての合唱でした。 この時の緊張感は忘れられません。 小泉先生の指揮だったんですね。

 

 私にとっての2回目の公演は2011年12月20日と21日の連続公演となりました。 この年忘れもしない、忘れようとしても忘れられない 3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した年です。 M9.0なんていう巨大地震とそのごの大津波、そして福島原発の爆発、いまだに尾を引いています。

 この年は会場の関係で、1回の公演ではなく2回公演するということになりました。女性陣は数が多かったので1回だけ、男性陣のみ2回出演という誠に変則的な演奏会でした。

                  

 2011年はサントリーの1万人の第九に仙台からも参加ということもありました。佐渡裕先生とも練習のとき肩を組んで歌いました。 いわゆる”佐渡練”を経験しました。

 3回目は、2012年12月22日です。この年にはいつも使っている県民会館(東京エレクトロンホール宮城)が演奏会場となりました。小泉先生は私にとっては2回目の指揮となります。

 

 4回目は2013年12月21日で、指揮者は仙フィルの常任指揮者 パススカル・ヴェロ先生でした。 フランス人らしいベートーベンの解釈に則り、重苦しくない演奏となりました。発音も巻き舌を使わなかったし。 ただいろんな注意事項は英語(フランス人ですが)で話すので、なかなか分かり辛かったです。

                  

 そして5回目、引退の年となる2014年平成26年は12月20日の演奏会でした。指揮者は飯守先生で、先生の独特の?解釈がユニークで、そういう解釈もあるのかと話しに感心しながらの練習を思い出します。 

 またこのポスターは二重の意味で貴重なものとなりました。 最後ということとポスターの上の合唱団の写真ですが、これだけ大きいのでひとり一人の顔が分かるのです。出演している人だけでなく、知人が見れば分かります。

 こういう写真は主催者が希望する人には優良で差し上げますと、積極的に言ってくれればいいのですが、そういう要望が声にならなかったからなのでしょうか、私たちがお願いするまでは写真を分けてはくれませんでした。 著作権が主催者、楽団側、合唱団側やソリストも含めて、なにかと面倒のようなのです。 でも2枚は購入できました。

 

 最後は今年の「せんくら」の指揮者だった山田和樹先生と仙台市長の対談です。これは新春市長対談「マエストロと共に音楽の世界へ!」という仙台市政だよりのトップ記事です。

      

 A4版で4ページもの記事ですが、こういう記事にしては珍しく最後までスラスラ読み進められました。懐かしさがあり、あの時のマエストロの話を思い出しながら読んでいきました。

 「せんくら」では、もう2度とこういう経験はできないでしょうが、第九を子どもたちと歌ったこと、そして大人の合唱団はシャッフルして、ごちゃまぜの配置にしての演奏だったということです。

          

 その時のことをこう話しています。

 『子どもたちには未来を託したい、何かを残したいという気持ちで、合唱や吹奏楽などの指揮をしています。子どもって本当にピュアな存在で、何かをしてあげようと思っても、結局、僕が力をもらい、勉強もさせられています。昨年10月の仙台クラシックフェスティバル(せんくら)で、締めくくりの「第九」の指揮を引き受けた際、子どもたちのコーラスを入れてほしいと無理を申しまして。』

 『僕は初参加でしたし、オリジナルなものをと思って、「人類みな兄弟」という歌でもあることだし、大人のパートもソプラノ、アルト、テノール、バスと分けず、ごちゃまぜに配置して、パートも世代も越えた仙台スペシャル版の「第九」をお届けで来て良かったです。』

 市長は、あれは新機軸でしたね、素晴らしい演奏でした、と言っていました。市長はあの時いたのかなあ~なんて思ったりして・・・・。

 第九は私の人生において、かなりの大きな部分を占めることになるのではないかと改めて思っています。何と言っても60歳過ぎての挑戦ですから。

 第九に興味がおありの方は、それぞれの年月日の前後の記事を見ていただければ、そのときのnewoneの感想等がわかりますので、嬉しいしありがたいです。

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