鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

豊齢学園修学旅行 その1

2012-11-15 23:52:09 | お知らせ

  きょうもあと10分を切りました。

 今週はなんといろいろなことがあったのでしょうか!!! 衆議院解散発言、横田めぐみさんが拉致されて35年、桜井センリの死、森光子の死、三宅久之の死、めまぐるしい今週です。

 豊齢学園の会津若松方面の修学旅行も無事終了しました。

 そして、買ってきました。

          

          

 

 

 会津に行って新選組とはこれ如何に? でも大いに関係があるのです。 かの土方歳三も会津に入って、西軍と戦っているのです。

 近藤勇のお墓もあるのです。

 会津若松の修学旅行、あす以降お知らせします。

 何とか間に合った。 新しいソフトの自動更新に時間がかかりました。

 それでは、この辺で。


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お早うございます!

2012-11-14 06:14:59 | お知らせ

  お早うございます。

 実は、きょうとあすの1泊2日、豊齢学園の修学旅行の日なのです。 朝早く仙台駅前集合となっています。

 そうそう、行先は福島県の会津若松です。 楽しみにしていました。 風評被害で観光客等が大幅に落ち込んでいる会津若松ですが、我々200名前後の学園生が行くことによって少しでも潤い賑やかになってくれればいいなと思っています。

 小学校の修学旅行以来ということではなく、仲間との鮎釣りやがまかつの鮎釣り大会で会津大川へは何回か行ってはいますが、大人数での修学旅行でいくのはこれで2度目ということになります。

 会津若松の報告はあす以降に行います。

 それでは、・・・。


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街なかの紅葉、黄葉

2012-11-13 21:14:24 | お知らせ

  きょうのお昼過ぎの様子です。 写真特集といきます。

 まずはメインストリートの青葉通りの様子です。 けやき並木です。

 

 

 

 次は大橋からの風景です。

 

 ちょうど坂の頂点付近に国宝の仙台城大手門があったといいます。 7月10日の空襲で焼失してしまいました。 第2師団の駐屯地だったのでは仕方ないですか。

 

 

 地下鉄東西線の橋梁工事の様子。 連結しようとしています。

 

 連結する部分の拡大です。 きょう地下鉄東西線の新型車両が市長により公開されましたが、本当に東西線が地域のためになるのでしょうか? どう考えても最初から赤字路線になるのが見え見えです。仙台市の財政にとって大きなお荷物になることでしょう。  一日の乗客数だって水増ししていたはずですし、こんな経済状況の下、地下鉄の駅ができたからといって、そんなに人口が張り付くなんて無理があります。

 何よりも、すでに地下鉄南北線が開通しているのに、南北線と東西線が相互乗り入れができないことが致命的です。 南北線とは走るところが違うと言っても、同じ地下鉄同士、互いに乗り入れが可能になるように設計すべきでした。 今更何を言ってもはじまりませんが、・・・。

 

 巨大なマンションが威圧しています。

 

 下の写真は国際センターから二高へ通じる道路ですが、ここに聳え立っている木の眺めが絶景です。 本当によく整備されているというか、実際には高すぎるので何もしていないのでしょうが、それにしても綺麗に高さが揃っているのには、いつも感心させられています。 とねりこ?

 


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11月も中旬に、

2012-11-12 21:53:33 | 思いつくまま

  もういつしか11月も中旬に入っていました。 天気予報でも山沿いに出かける場合には、冬タイヤを装着するようにと言っていましたが、その時期になってしまいました。 まもなくスタッドレスタイヤに交換しなければなりません。 確か去年も11月の中旬にタイヤ交換をしていると思います。 早く交換しておけば、突然の雪や凍結にも何とか対応出来ますので。

 きょうも雨模様の一日でしたが、午後からは部分的に青空が見えたりする、変な天気でした。 何とも中途半端な天気ということです。

 

 きのう夜の第九合唱の練習は厳しかったです。 12月の本番まであと一か月と10日になってしまったので、先生としてももしかして焦って?いるのかもと思ったりして。 ということは我々歌う方の側の歌がまだまだということで、先生に心配を掛けているということにもなります。

    

 30分の発声練習のあと、「合唱」の練習に入りました。  795小節からの練習となったのですが、 歌詞は Deine Zauber,deine Zauber binden wieder,binden wieder,was die Mode streng geteilt. Alle Menschen,alle Menschen,alle menschen werden Brüder,wo dein sanfter Flügel weilt.(あなたの奇しき力は、時の流れが厳しく切り離したものを、再び結び合わせ、あなたの柔らかい翼の留まるところ、すべての人びとは兄弟となる。)・・・・・と続くところを、全て U(ウ)の発音で歌ってくれというものでした。

                                

 先生の狙いは、発声においてきちんと息がでているかどうか、各人に確認させるためのようでした。 ちゃんとお腹から発声しているかどうか、重心を低くして腹回りから声を出しているのかどうか、それを再確認させるのが目的のようでしたが、私としては歌いにくのなんのって、・・・・。 しかも、スローテンポで歌うのです。

    

 でもこのような歌い方をさせられると、いつもの歌い方がいかに雑な発音に基づいて歌っているのかが嫌でも分かってしまうような気がしました。

 さらには、重心を低くしてお腹から声を出すということを意識してもらうために、こんどは椅子を持って歌わされました。 重心を感じて、腹の底から声を出すように心がけてもらうためです。 そして出来れば歌っている最中に、抱えている椅子に先生が力を加えても動じないようにしてほしいというのです。実際に、一番前にいる私と隣の人の椅子に、先生が両手を置いて力を加えるという実演をして見せただけでしたが、いかに歌うことにおいて腹筋が大切か、重心が大切か、思い知らされました。

                        

 おまけに、テノールの歌い方がなっていないということで、列ごとに 806小節 のAlle Menschen,の Al の A の発声をさせられました。音程は、ハ長調でいうとオクターブ上の”ファ”です。

 最前列の我々は5人いたのですが、テンデンバラバラだということで、先生が目の前に来て、手を振ってひとりひとり発声させられたのです、みんなの前で。 初めてのことです。 あせった、困った、緊張が走ります。

   

 でも、嫌だ!というわけにもいかず、3番目に声を出しましたが、下から上がってくるのではなく、最初から高い音を捉えて出すようにといわれました。 こういうことは発声練習のときに、何度も言われていることなのですが、・・・。 みんなで一緒に声を出すときには、きちんと出していると思うのですが、ひとりひとりとなると、なかなかそうはうまくはいかないのですね。 現実は厳しいです。甘くはありません。

                            

 いつになったら、このシラサギのように大空に空高く飛翔できるのでしょうか?

 

 写真はいずれもきのうの午後撮ったものです。 サケは牛越橋から撮りました。 産卵床を掘っている、掘ろうとしている写真が撮れました。


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1年8か月

2012-11-11 22:36:27 | 思いつくまま

  今街中や自宅周辺で一番目立つもの、それは落ち葉です。 とくに仙台市内のメインの道路のケヤキ並木は、日を追うごとに落葉が多くなってきています。 ケヤキの落ち葉は肥料としてかなり有望とか聞いていますが、集めるのは大変ですね。 家の周りは梅の葉や柿の葉が目立ってきました。 落ち葉掃きはこれからが本番です。

                

 きょうは11月11日日曜日。 去年の3月11日から1年8か月が経過しました。 ”忘れないこと!”が大切であるということはいろんなところで語られています。

 みなさんもそうだと思っていますが、きょうの朝日新聞をみると、地元版は別として全国版での東日本大震災から1年8か月過ぎたということについて触れた記事は、福島県須賀川市の「松明(たいまつ)あかし」と岩手県陸前高田市での旧市役所庁舎等の解体の記事だけです。

 忘れないためにはどうしたらいいのでしょうか。記憶では風化していく恐れがありますし、文字や映像として記録していくことが大切なのはいうまでもないことでしょう。 学校教育等においてきちんと語り伝えていくことも、とくに被災した地元では大切なことと思います。

 でも、やはり一番のものは被災した具体的な物体を後世に残し、伝えていくことであろうと思います。 永遠のモニュメントとして、きちんと整備して残していく、そして具体的に伝え続けていくことが重要です。

 でも、現実には、陸前高田市のように被災した市役所庁舎や市民会館を解体していくというのが大きな流れのようです。 その建物の中で被災し亡くなった家族がいる場合には、とっても辛いことだろうと思います。 個人的には100%とはいかなくても、50%以上は被災した家族等の気持ちに寄り添うことができるかと思っています。

 宮城県の南三陸町もそのようです。 南三陸町の防災庁舎を残すべきか解体すべきか、町長は10月中に解体すると決定したようですが、町長が被告として訴えられたこともあり、現場検証する必要があるために旧防災庁舎はまだ残されています。

 家族が亡くなった建物等を見るのが辛いからという理由で、解体してもいいのでしょうか。 解体すべきなのでしょうか。 残された家族としては、亡くなった人を思い続けていくことでしょうし、思い続けていくべきです。それがある意味理不尽な死を強制された人々に対する弔いですから。 悲劇、惨劇を早く忘れてしまいたい、ということなのでしょうか。 まさか忘れたいということではないと思います。 

 辛くても、どんなに辛くても、辛いからこそ、墓碑ともいうべき建物等を残すべきではないか、そしてその辛さ、悲しさとともに残された生を生き続けることが、残された人たちの生きるべき姿ではないでしょうか。 身近な親族に被災して亡くなった親族がいない私が言うのは辛いし、おこがましいのですが、それでも象徴的な建物は後世のために残しておくべきと考えます。

 いかに今回の地震の規模が巨大で、地震に伴う津波が巨大だったか、想定をはるかに凌駕する規模であったからこそ、それを確かなものとして残していくことが必要ではないかと、僭越かとも思いますがそう考えます。 

 壊すのは簡単でしょう。 でも人的な被害がなかった人たちにとっても、この建物で甚大な被害があったということを伝えていくためには、いや逆にそういう人的な被害がなかった人々に対してこそ、そういう象徴的な建物を残していくべきではないでしょうか。

 そのようなことを考えた次第です。

                     

コメント (2)
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澱橋工事再開?

2012-11-10 23:17:49 | 広瀬川

  きょうも飲んできまして、酔っていて疲れも出て眠くなりつつあります。

 きのうのことです。

 朝方豊齢学園に通学途中、澱橋を見てびっくりしました。 橋の上にはクレーン車がクレーンを伸ばし、川にはショベルカーが入っていました。

  朝9時45分ころの写真

 午後3時半過ぎ(40分頃か)にはこうなっていました。 

 

 土嚢のところを拡大するとこうなります。

 

 橋梁工事にしては土嚢を積むところがちょっと上流過ぎませんか? ショベルカーの左に見えるのは旧澱橋の橋脚の基礎の部分です。 

 これからまた注目していきます。

 きのうの広瀬川は増水(といってもたかが知れていますが)していて、分流もこのようになっていました。 

       

 こういう流れを見るのは久しぶりです。

 

 ところで牛越橋のサケはどうなっているか? 何か数は減ってきているように感じましたが、・・・。

 

 流れや風のためか、河原からは川の中の様子が分かりません。 それでまたしても橋の上からの撮影です。 左岸側の浅瀬に群れとなって泳いでいました。

                

 眠い、きょうはこの辺で失礼します。


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マトコケシ展覧会

2012-11-09 21:16:44 | お知らせ

  きのうの午後ですが、亀井美術館にて「マトリョーシカ大博覧会in SENDAI」を見てきました。 マトリョーシカ自体に興味があるというわけではなく、いわゆる 『マトコケシ』 に興味があったわけです。

            

 何でも「マトコケシ」というのは、日本のこけし工人たちがこけしの木地を挽いて、ロシアのマトリョーシカ作家に渡し、絵付してもらったこけしをいうそうです。

 マトリョーシカは日本の組子式こけしを元に作られたということを知っていましたか? 私は初めてしりました。 明治時代に、箱根の塔ノ沢温泉にあったロシア正教の避暑館の神父が、箱根の名産品である七福神の組子人形をロシアに持ち帰り、それがマトリョーシカの元になったということです。 ロシアにおいて、七福神が農民の少女に変化したというわけです。

 写真は記念写真としてならOKということでした。 いずれもガラス越しの写真ですが、綺麗に撮れていたと思います。

                        

    

                   

 こけしにも鳴子系とか遠刈田系とかの系列があるように、マトコケシにもアーティスト系とかポポロフメイデン系とか7,8種類の系列があります。

 これは入り口にあったマトコケシです。これだけはガラス越しではありません。

  

          

 

         

 何ともユニークなアーティスト系のマトコケシです。

           

 日露合作、日露融合のこけしができるようになったのですから、日露の国境問題も民間協力により、双方にいいように解決してほしいものです。


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鍋まつりと干し柿と

2012-11-08 22:43:31 | お知らせ

  きのうは最高気温が19.7度ととても暖かかく、かついい天気だったのに、きょうは午前中は雨模様、午後からは晴れたものの風が強くなってきたり、おとといは一日中雨でした。何とも不安定な天気が続いています。 いつまで続くのでしょうか。 もう暦の上では”立冬”を過ぎたのに、・・・。 きょうは家の周りの虫の鳴き声が聞こえなかったようです。

 きのうはいい天気に誘われて、メディアテークに寄ったついでに市民広場にも寄ってきました。 「仙臺鍋まつり」が行われていたからです。 これも夕方のテレビのニュースで知ったのですが。

 

 ””笑顔咲くたび 伊達な旅 伊達美味 仙臺鍋まつり 十三種類の味くらべ””と銘打って、6日と7日の二日間実施されたものです。

 宮城県内のというか仙台地域の「自慢の鍋」を一堂に集めて、好きな鍋を食べることができるというもので、面白い企画だと思います。

 

 仙台の芋煮、亘理町の鮭のアラ汁、松島町のかき鍋、七ヶ浜町のボッケ鍋、大和町の舞茸汁、大郷町の米粉すいとん汁、大衡村のキムチ鍋等が安く食べられます。 もちろん量は少ないですが。 器は小ぶりながら、一椀100円から200円というものです。

 

 それで行ってみたのですが、すごい人人人、人で溢れかえっていました。 だからそれぞれのところは長蛇の列です。

 

 私としてはそんなに長いことならんでまで食べるつもりはないので、広場から出ようとしたら、端の方のテント、山形のテントが目に入りました。山形といえば山形風芋煮、幸い大して並んではいないので、山形の芋煮を食べて帰る気になりました。 しょうゆ味、きのこが入って、牛肉の芋煮はさっぱりとして美味いものです。 300円と他よりは高かったのですが。

 

 まあすごい人出でした、昼頃ですのでなおのこと。

 

 そこで、帰宅して食べたのがこれです。 最初に干した柿が食べ頃になっていました。

                   

 

 どうですか? 美味しそうに見えませんか? そうなのです、甘いのです、美味しいのです。商品になるかどうかは疑問ですが。

 大きな柿ですので、中は固くはならずにトロッ(ドロッ)とした状態です。 固いのは固いなりに美味いのですが、中身が柔らかいのもまた美味いものです。 渋柿が熟していく過程で、柿全体がトロッとした甘柿になることがあります。 それと同じような感触、食感です。


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マトリョーシカ大博覧会inSENDAI

2012-11-08 22:38:11 | お知らせ

  きのうのJ1の結果、残念ながら悔しいけど、ベガルタ仙台はセレッソ大阪に負けはしなったものの引き分けに終わってしまいました。 結果的に何とか引き分けに持ち込んだだけということになってしまったけど、やはり悔しいですね


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文化財レスキュー展

2012-11-07 15:40:13 | お知らせ

 きょうは、きのうの雨の一日がウソのような暖かい一日でした。 家にいるのがもったいない陽気でした。

 きのうから明日までの三日間開催されている「東北学院大学 文化財レスキュー展in仙台」を見てきました。 開催場所はメディアテーク1階です。

  

 去年の東日本大震災で大きく被災した宮城県牡鹿半島の、とくに鮎川を中心とした民俗文化財のクリーニング作業が終わったものを展示しています。

 ここまでくるのが大変で、その作業の様子は会場のスクリーンでも見られますし、たくさん貼られているポスターでも分かります。 何と言っても牡鹿半島の歴史を物語る貴重かつ重要な資料ですので、このような作業は全国から専門家等の協力を得て可能となったわけです。 「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会」が結成され、文化財レスキューに乗り出したということです。

 東北学院大学では、旧牡鹿町の民俗・考古・地学資料を保管することになり、大学の博物館に搬入し、大学生等が中心となってクリーニングを行ったというわけです。(東北福祉大学では町史編さん資料を保管したりして、大学ごとに分野を分けています。)

 地味な仕事ですが、後世に伝えていくためにもとっても大切な仕事です。 展示品の中から私が興味を持ったものを紹介します。 ただ、正式名称が書かれていませんので、名前ははっきりしません。 想像してください。

 一番気に入った、面白いなと思ったのはこれです。 かなり大きいものです。 竈神かなと思うのですが。

 

 何ともひょうきんな表情に癒されるのではないでしょうか。 愛らしい顔つきともいえるでしょうか。 

 

 頭の上から見たものです。

 

 牡鹿半島、鮎川といえばクジラ、捕鯨です。 捕鯨船の銛(もり)でしょう。

 

 これは何でしょうか? 竹製品ですが、とても大きいです。 きのうのテレビのニュースでは魚を採るためのものとか言っていましたが。

 

 

 

 一見すると小型の大砲のようにも見えますが、手押しの消防車です。

 

 これも結構大きいものです。直径50センチくらいですか。 何かの保温用の容器のような気がしますが。

 

 これは家庭用の薬箱。

 

 これも消防に関するものでしょうか?水鉄砲の原理ですね。 漁業で使うものではない感じですし。 明治32年1月に購入したと書かれています。1899年ということになりますか。 左下の紙が「カルテ」というもので、パソコンでデータ管理しているそうです。 でもそのものの名称は記入されてはいません。

 

 知っていましたか、一字一石経を。 初めて知りました。

 

 説明文には一つの石に一つの漢字と書かれていますが、そうでないものも半分はあったように思います。

 

 

 会場内にはご覧のような学生がたくさんいて、展示品を見に来たお年寄りにいろいろ事情聴取していました。 聞き書きをするように学校から指示されているようですが、とってもいいことだと思います、両者にとって。

 

 写真ばかりとなってしまいましたが、間もなく11日がやってきます。 改めて3月11日のことに想いをいたすとともに、このように”くらしを未来に伝える”べく努力をしている人々がいるということを忘れないようにしたいと思った次第です。


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雨の広瀬川

2012-11-06 15:50:06 | 広瀬川

  きょうは予報どおり朝から雨の一日でした。 時折強く降ったりもしました。 雨の割には寒くはないですね。 

 誰もいないだろうと思って出かけた広瀬川の散歩ですが、やはりいるのですね。 犬との散歩の人が二人、雨にもかかわらずランニングしている若い人もいました。

               (雨に煙る広瀬川流域の山々)

  

 雨もいいものです。 午前中テレビで見た日本映画 「雷桜」 のなかで拉致されて山の中で育てられた娘が、幹は銀杏、上は桜という大木の木陰で殿様と憩っているときに雨が降り出しました。 すると娘は、喜び勇んで雨の中に出ていき、雨を体中で受け取ります。 それを見ていた殿様に対して、言った言葉が 『なぜ、雨を嫌うのか?』 とうものでした。 それだけですが。

 

 上の写真は分流を本流の取水口?から撮ったもので、下は分流の上流側を下流から撮ったものです。 きのうはまったく乾ききっていた分流ですが、すっかり生き返っています。その証拠に、上流から歩いてきたら、きのうまで水が流れていなかったのに、小魚がたくさん泳いでいました。

                   

 これは分流の下流域の様子ですが、20センチ前後の魚が5匹前後泳いでいました。泳ぐと水面に波紋ができています。

 

 魚以外には、まずはミミズです。 これはかなり大きいものです。緑地帯の方に行こうとしていましたが、お節介かもしれませんが元に戻してやりました。 緑地帯では子どもから若者たちが駆けずり回っていますから、いつ踏みつぶされてしまうかわかりませんので。

                       

 またいました、ウミネコが、2羽も。 

 

 そして、毎度お馴染みの シラサギです。 このシラサギが写真を撮る前に佇んでいた場所には、後で分かったのですがサケが群れているようです。右岸側なので直接見ることは無理ですが、堤防から見ていたらずいぶんとサケがジャンプしていましたし、追い駆けっこもしているのが分かります。 人が寄りつけない右岸側ですので、いいところにサケが終の棲家を見つけたものです。

                        

 最後は何の鳥かは分かりませんが、上流から流れてきました。 両親と3羽の子どもたちのように見えましたが。

  

 雨の河原の散歩はいいものです。風がなければですが。

 むかしむかし、長男が赤ん坊の時、よく背中におんぶして傘を差しながら河原を散歩したことを思い出しました。 雨だからといって、一日中家の中にいるのは嫌だったのですね。 だから雨だろうと外の散歩は欠かせませんでした。 懐旧談です。


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牛越橋下流のサケ

2012-11-05 21:47:39 | 広瀬川

  きょうは何とも冴えない、朝から雲の多いどんよりとした一日でした。 まあ、風がないだけましでしたが。 きょうも写真、サケの写真を見ていただきますが、川の写真を撮るときは晴れの日ではなく、曇りの日の方が反射がなくて撮りやすいですよね。 でもそれは一眼レフとか高級なカメラなら自然条件も最大限に活かせるのでしょうが、どこにでもあるデジカメではあまり関係ないようですね。

 下の写真は分流を上流の本流側から撮ったものですが、途中は伏流水となっているようです。

          

 その上の本流側には生きたサケは見当たらず、死骸だけがありました。

 

 これは渇水で水溜りのようになってしまった牛越橋の下流の流れですが、ここをサケたちは終の棲家として泳いでいます。 対になって寄り添いながら泳いでいたり、産卵床を掘っていたり、孤独に浸っていたり、サケたちはそれぞれの生き方で生きています。

 きょうは動きのある写真が撮れたので、ご覧になっていただきたいです。

 

                

 こんなにも近くにまで寄ってくれたサケもいました。 感謝です。 痛々しい姿ですが、迫力があります。

    

 この付近の川底の石は決して小さくはないのです。 これが分流の川底なら小石も小さいのですが、ここの川底の石はサケにとっては大きいように感じるのですが。

                

 これでは体が傷つくでしょうね。 痛くないのか? このように自分の身を犠牲にして産卵床を造ったのですから、パートナーを見つけて無事産卵、受精が行われることを願わざるを得ません。

 

 写真は午後4時前のものですが、月曜日なのに上流右岸で芋煮会をしているグループがありました。

              

 でも下流側ではなかったので、周りはとっても静かです。 聞こえてくるのはバシャバシャというサケが出す音ばかりです。(橋を通る車の音は聞こえますが。)

 

 あと何日生きているのか、・・・。

 

 そうそうこの写真を撮っての帰りの堤防で見てしまいました、雪虫を。 2匹見ました。 雪虫は何とも可愛いものですが、いよいよその季節になるのですね。

 でも、家の周りの虫たちは健気にもまだ鳴いています。 いつまで鳴き続けるのか? いつまでも鳴き続けてほしいとも思いますが、それでは虫たちに可哀そうです。 散り際は大切ですから。

 


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これは何でしょうか?

2012-11-04 23:10:08 | お知らせ

  きょうの第九合唱の練習は、きょうもです、厳しかった。  きょうも最初から最後まで一通り歌い通したのですが、それぞれのパートに対する注文が細かく、かつ厳しく、とくに人数が少ないテノールには殊の外厳しいと思ってしまいました。

 それだけまだまだの出来だということなのでしょうが、心して掛からなければと思った次第です。 それだけ先生は熱心に指導してくださっているのですから。

 でも、一番前に陣取っているということは正直辛いことでもあります。 先生がすぐ目の前にいるのですから。  それでも、合唱が下手な者は前にいて、後ろから聞こえてくる音に合わせて歌うという先生の教えを頑なに守っている身としては、これも試練、これからもそうしていくつもりであります。

 

 ということで?、眠くなってきました。 これは何でしょうか?

 

 そうです、きのうから使っていますが、湯たんぽです。 小さめのものですが、それでも効果は抜群! 足が暖かいということは、とってもありがたいことです。 安心して眠ることができます。

 

 それにしても不思議です。 お湯を入れただけなのに、朝まで暖かさが継続するのですから。 電気毛布などを使用するなら、この湯たんぽの方が遥かにエコで、利用価値も多いと思います。 

 寒がりのみなさんは、この際湯たんぽを使ってみましょう!!


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牛越橋真下のサケたち

2012-11-03 21:42:55 | 広瀬川

  きょうは文化の日となっていますが、本当は「憲法記念日」なるはずだったのですね。 きょうの朝日新聞の記事で分かりました。 11月3日は新憲法の公布の日だからとのこと。

 もともと新憲法は11月1日に公布され、半年後の5月1日施行のはずが、5月1日はメーデーのため3日に変更され、そこから逆算して11月3日が公布日となった。 そのうち衆議院が5月3日を憲法記念日にしてしまったため、新憲法は文化的な憲法であるということから「文化の日」としたとか。 11月3日は明治節で、そのためこの日を祝日にすることにGHQが反対したが、文化の日ならいいだろうとなったということです。

 風が強い一日でした。

 午後から河原の散歩に行きましたが、強風のために水面が波立ち、なおのこと水面下は見えにくくなります。 この前サケの写真を撮ったところに行ってみると、何と若者が水面に向かって石を投げているではありませんか。 水面をジャンプさせるような石の投げ方には見えなかったのですが、私が近付くと離れていきました。 でも、サケの姿はどこにも見えませんでした。

 

 全くいなくなりました。 鯉は見えましたが。

 

 ちょっと近づいただけですぐに察知して逃げていくサケですから、石を何度も投げられたらいなくなって当然です。

 その代り?陸に上げられた砂まみれのサケの死骸が見つかりました。

 

 上流へ向かいました。きょうは牛越橋まで行ってみるつもりでした。 そしたらまた見つかりました。 今度は骨だけの死骸です。 鳥たちにきれいに食べられたのでしょうか。

 

 強風にもかかわらず、きょうも牛越橋の前後では芋煮会の若者たちが一杯集まり、にぎやかでした。 

 

 

 橋の真下の流れの様子は川沿いからでは波立ってよく見えませんでしたが、橋からはよく見えました。 いずれも橋の真下から下流の様子です。

 

                       

      

 たくさんのサケが群れていましたが、サケの観察をしている人は3,4人しかいなくて、後の人たちは芋煮を食べるのに忙しかったようです。 もったいないと思うのですが。

     

 下の写真は橋直下のテトラポットを越えようとしている2匹のサケです。

            

 アップするとこうなります。

                 

 ここのサケは全体に型も大きいし、かなり体が傷ついています。 十数匹いますので、無事にカップルをつくって産卵してほしいものです。


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立冬!間近

2012-11-02 21:16:44 | お知らせ

  寒い一日でした。 晩秋というよりももう冬間近という最高気温でした。 仙台での最高気温は12度とか。 寒いはずです。 きょうの豊齢学園には小雨が降り出したということもありましたが、自転車では寒すぎるのでバスで行きました。 首にはきちんとマフラーを巻いて。

 あとはいつ手袋をするか、いつコートを着るかですが、いつものことながら11月は季節の変わり目ということで、この時期は体が寒さに慣れていないために、特に寒く感じるということが言えるのではないかと思います。 寒さが続けば、体が寒さに慣れてくるので、それなりに寒さも我慢できるのですが・・・。

 

 まあ、寒さは重ね着や厚着をすればそれなりに我慢ができるのですが、我慢できないのは、またしても起きた沖縄の米兵による暴行傷害、住居侵入事件です。

 きょうの午前1時頃というから、真夜中です。 そもそも今米軍関係者は夜間外出禁止令により、午後11時以降は外出できないのではないですか! 単に外出しただけではなく、酒を飲んで酔っぱらった上での乱暴狼藉です。 断じて許しがたい!! 

 この前婦女子強姦事件が起きたばかりというのに、またしても夜間禁止命令に違反して、酒を飲んで暴れるということは、二度とこういう事件を繰り返さないという米軍司令官の謝罪会見は全く生かされていないということです。

 残念ながら米軍はいまだに沖縄を占領しているという意識でいるということの表れではないでしょうか! 日本人を、沖縄に住む人々を見下しているとしか考えられません。 しかも日本政府は、口ではアメリカに抗議しているふうでも、本当に沖縄の人々の苦しみ悩みを実感として持ったうえでの抗議とは思えません。 沖縄の米軍基地の縮小をまじめに考え、外国への移転や国内への移転を必死になって取り組もうとしているとは考えられません。

 オスプレイの配置後も自由気ままに沖縄の空を飛びまわっているようですし、約束は守られません。日本政府はアメリカに強硬に文句は言えません。米軍あっての日本という意識でしょうから。

 やはりこうなれば沖縄の今後の目指すべき方向性は、沖縄の自主自立、さらには日本からの独立です。 まずは中国における香港のような存在を目指すべきです。 そして、沖縄(琉球)は日本、韓国、中国等と等距離外交を展開していくのです。 もちろん非武装を宣言し、永世中立を国是として。 夢物語でなくなればいいのですが。

 

 そうそうようやく渋柿が食べられるようになりました。 干し柿ではなく、焼酎による渋抜きの柿です。

 

                  

 焼酎による渋抜きを施してから9日目です。 ただ、確かに食べられはするのですが、甘さは感じられません。 渋は抜けたのですが、甘さが出ていないのです。 もう少し経てば、甘味が出てくるのでしょうか。


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