きのうの天気予報どおり、東京や横浜も含め東日本は南岸低気圧(私にはどうしても「弾丸低気圧」と聞こえるのですが)により大雪となっています。でも深夜の2時頃にはまだ雪は降ってはいなかったのです。5時30分頃で3センチくらいの積雪となっていました。
(9時25分頃)
その後はもう降るわ降るわ、大粒の雪が舞ってきます。こうなればもうお好きなだけどうぞ降ってください!というしかないですね。
でも昼前頃には雪から雨になってきて、そのおかげで雪も溶けはじめたりもしたのですが、また持ち直してきて?大粒の雪となってきました。
ずーと雪だけだたら乗らなかったのですが、雨が降ってきて雪は減っていきそうだと勝手に解釈想像して午後からのサークルには夫婦で車で行ってきました。
そしたらまた雪が一杯降ってきて、やっぱり車は止めた方がよかったかな思いつつ乗っていた次第です。愚かです。車で計測した外気温は1度でした。寒いです。
雪かきも午前・昼頃・午後遅くと3回しています。どちらかというと私よりも我妻の方が力があり、一生懸命やっています。ありがたいことです。だから頭が上がりません。
でもカメラマンの端くれ?としてはまだ荒らされていない状態の新設の河原を是非とも撮っておかないと気がすみません。 時に午前9時25分頃。 段差が全く分からないくらいに雪が降り積もり、更に降り続いていました。
八甲田山の雪中行軍の神田隊のことが少しだけ頭をよぎりました。こんなものではないのは重々承知のことですが、この前テレビで映画を見たもので、神田大尉の無念さが痛いくらいに伝わってきます。
暖冬暖冬と言われ続けて、さっぱり寒くならなかったのに、初氷も初雪も初積雪も遅かったのに1月の中旬後半になってようやく冬将軍の本領発揮というところでしょうか。
これだけ雪が降ってくれると、どうしても思い出してしまうことがあります。といっても忘れているわけでは全くありません。この大雪が、寒さがさらに強烈に思い出させてくれるのです。
忘れもしない、忘れようとしても忘れられない、2014年の冬です。 この歳は寒さもひとしおで、特に例年になく雪がたくさん降りました。
(サギが飛んでいき、カモのみ残されました。)
そのためということではないのでしょうが、1月23日に義母が、2月19日には実母が、そして3月2日には義父が相次いで、40日くらいの間に3人の親が亡くなりました。3人とも85歳を超えてはいましたが、そして彼らの息子娘たちも60歳を過ぎていたのですが、人の死というものをなかなかすんなりとは受け入れられないものです。
人は生まれた時もひとり、死ぬ時もひとり、そして誰しも必ずいつかは死ぬ、それが道理ですが未熟者故心が乱れてしまいます。後悔の念が完全に消え去るということはありません。 もうすぐ自分の順番になるというのに、・・・・。
雪というのは人をいろんな情感心境に誘いますね。 太郎を眠らせるだけではありません。