鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あれから1000日

2013-12-04 15:00:13 | 思いつくまま

 そうかあ、あの日から1000日となるのですか。自分としても何かそんなに経ったのかと思うと同時にまだ1000日かという気持ちが混じっています。 震災遺構は復興整備のために取り壊されていますが、各市町村で1か所分は震災遺構として整備するのであれば国の援助が受けられるということですが、決定が遅かったし、維持経費については対象外とか。

 一方では土木工事であればどんなことでもOKなのか、宮城県では松島湾のひとつの島について、人も住んでいない島の津波で壊れた防潮堤をナントなんと何と20億円もかけて新しく建設するそうです。その話を聞いて呆れてしまいました。公共土木工事であれば何でもOKという構図が見て取れて、いかにも自民党の知事らしさに虚しい気持ちにさせられます。

 

 忘れないでほしい。

 ここで多くの命が失われたことを

 忘れないでほしい。

 生きたかった命がここで絶たれたことを

 忘れないでほしい。

 ここで亡くなった多くの遺族がいることを

 忘れないでほしい。

 津波はまたくるのだということを

 忘れないでほしい。

 ここであった現実を

 

 伝えてほしい。

 生きるために、今自分がどうすべきか

 伝えてほしい。

 失った命を 家族を守れずくやしい思いの人間がいることを

 伝えてほしい。

 震災で命をなくしてはいけないということを

 伝えてほしい。

 今は そして今日は 今日しかない、明日は 数分後は 何もわからないという現実を

         釜石市鵜住居地区防災センター」で奥さんを亡くした遺族(男性)のメッセージです。

 

 たった1000日前に巨大な地震が、想像を絶する津波が、「安全であった」原発の事故が発生したのです。 思い出したくないという心理もあってでしょうか、忘れたいという気持ちは仕方がないのかなあとも思いますが、やはり日本列島に住む日本人として忘れてはいけないことと思いますので、そのためには震災遺構はきちんと残し、後世に伝えていくべきです。 記録や記憶だけではいつしか埋もれていきます。 きちんと震災遺構を残し、小学校から授業の中で継承していくように努めるべきだと思います。 それが全国、世界からの支援にも報いることになるものと信じます。

 

               (午前11時頃の様子です。)

     

 きのうのパンダサケは”隠れ家”にはいませんでした。 死んでしまったのかと悲しくなったのですが、生きていました。

 

 左岸の隠れ家から、右岸へチに移っていました。

              

 残ったのはたったの1匹ですが、マイペースで浮かんでいるようです。

 

 

 


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