鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

もうたくさんです!

2008-07-24 22:45:27 | お知らせ

 なんでこうも東北地方に地震が多いのでしょうか。

 ここ1ヶ月では約2日から3日に1回の割合で地震が起きている感じなのです。 それだけ地震の回数が多いのです。

 仙台は震度3から4くらいですんでいますが、いつもっと強い地震が起きるのか考えたら不安で一杯です。

 

 同じ震度の地震でも、起きる時間帯によって人体に感じる怖さ、強さは違います。 日中ならある程度の揺れでも少しは余裕?をもって対応できるのですが、寝ているときの地震ほど体によくない地震はありません。

 阪神淡路大震災のとき、被害に合われた方たちはどんなに怖かったことでしょうか。 察するに余りあります。

 

 我家では、地震の揺れが大きいと感じたとき、1階にいたら2階に上がれといっています。 家が潰れても、2階なら1階よりも部屋の形状が残るだろうから、少しは助かる割合が高いだろうと思うからです。

 

 今日は、昨日も書いたように母の妹の告別式等が予定されていました。ところが今日未明の大きな揺れ、ガバッと起き出して思わずタンスを押さえてしまいました。妻は寝たまま怖がっていましたので、起き上がれといいながら。

 最初は縦揺れだったでしょうか、途中から大きな横揺れに変わったように感じました。 何しろ長い、こんなに長く感じたことは近年ない感じです。 それだけ恐怖心が長く続いたということになります。

 

 すぐテレビとラジオをつけました。仙台の震度はいくらだったか、震度4か5か。それによって着替えて出勤しなければならないからです。 震度5弱以上なら施設等の確認のために出勤しなければなりません。

 テレビでは仙台市青葉区は震度4、他の区も4であって、5(弱・強)ではないということがわかりましたので、一応待機態勢をとりながら寝ることにしましたが、なかなか寝られません。 眠りは浅くなります。

 

 そんな中、叔母の葬儀行事が執り行われました。 夫婦で出席。

 出棺経が8時45分、 出棺は9時半、 火葬が10時、約1時間半の後骨上げ、葬儀・告別式が午後1時から、49日までの法要が午後2時から、会食が2時45分から、という日程でした。

 そのため、普通に朝食をとった後、10時半に火葬場での昼食となり、さらに午後2時45分から会食ということで、いつもとは大幅に食事の時間が変わってしまいました。調子が狂います。

 

 叔母は満年齢では84歳ですか、これで母の兄弟姉妹は母ひとりとなってしまいました。兄、妹二人の、3人が亡くなってしまいました。 一番下の妹が一番早く亡くなってしまったのですが、そのほかの人たちは3人ともいわゆる老人性痴呆症(認知症)になってしまいました。 

 

 そこで思いました、母(満90歳)にはもっともっと長生きしてもらおう、目指すは100歳と。

 施設に入っていて、車椅子の生活で、自分では食べられず、意識もはっきりしているかどうか不明なのですが、今までどおり面会を頻繁にして、なんとか輝石ならぬ奇跡が起こらないか、賭けてみたいと思いました。 現実は甘くはないですが。

コメント (2)
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