鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

二本松少年隊

2007-01-16 22:54:57 | 提案・要望

 高橋 辰治  13歳

 遊佐 辰弥  13歳 

 徳田 鉄吉  13歳

 岡山篤次郎  13歳 

 成田才次郎  14歳

 木村丈太郎  14歳

 奥田午之介  15歳

 田中 三治  16歳

 上崎 鉄蔵  16歳

 根来梶之助  16歳

 小沢 幾弥  17歳

 大桶勝十郎  17歳

 岩本清次郎  17歳

 中村久次郎  17歳

 

 以上14名は、戊辰戦争のとき、土佐藩を中心とした薩長西軍が二本松藩領内に攻め入ってきたときに、大壇口にて戦い戦死した二本松少年隊員の名前と数え年の年齢です。

 

 二本松藩内各地に出陣した二本松少年隊は62名いたそうですが、大壇口に出陣した少年隊は、木村隊長、二階堂副隊長以下20名の少年たちで、20名のうち14名が戦死し、6名が負傷したとのことです。

 年齢は数え年ということなので、満年齢にすると12歳から16歳ですか、いくら元服は終わったとはいえ、現代でいえば小学校6年生くらいから高校1年生にあたりますか、彼らが火縄銃と百匁銃、刀で土佐藩、薩摩藩、長州藩の大人の兵隊と戦いました。戦わざるを得ないようになってしまいました。

 時代遅れの兵器を使い、古畳を胸壁として戦うこと二時間で敗れてしまったということです。

 

 会津白虎隊二番隊と異なるところは、切腹とか言う自刃ではなく、稚拙ではあっても戦って死んだ、殺された、誰に、直接は西軍に、二本松藩に。

 

 成田才次郎少年は、傷つき息も絶え絶えになりながらも城下に引き上げてきたとき、「敵兵をもう一人刺してからでないと死ねない」という必死の覚悟で、戦い済んだ城下を見回っていた十数人の西軍にふらふらになって近付き、油断があったのでしょう、その中の隊長らしき者を刺殺して息絶えたという話しが語り伝えられているそうです。

 明治元年7月29日のことです。

 

 最後にもう一度、戦死した少年たちの名前を書かせていただいて、ご冥福を祈ります。

 高橋 辰治 ・ 遊佐 辰弥 ・ 徳田 鉄吉 ・ 岡山篤次郎  ・ 成田才次郎 ・ 木村丈太郎 ・ 奥田午之介 ・ 田中 三治  ・ 上崎 鉄蔵 ・ 根来梶之助 ・ 小沢 幾弥 ・ 大桶勝十郎  ・ 岩本清次郎 ・ 中村久次郎  (合掌) 


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