少年の日々

はじめて考えるときのように

P.F.ドラッカー『イノベーションと企業家精神』_2

2010年11月22日 | Weblog

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ドラッカーのレポートその2

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ただ、イノベーションという言葉に対しては、私自身の先入観
(アインシュタインはそれを「18歳までにみにつけた偏見のコレクション」と言っているが・・・)で
「技術革新」というイメージが思い浮かんだ。

「技術」と「革新」が同時に出てくるため、当然「技術」が「革新」されることが
イノベーションであり、それは「セイの法則」にあるように「供給」主導の考え方だ。

 果たしてドラッカーは私をどの方向に連れていこうとしているのか、
不安と矛盾だらけの頭を整理しながら、真正面から真剣に本書と対話をしないと、

迷宮に誘い込まれ混沌とした世界にはまり込んでしまうのではないかという漠然とした感覚を、
初っ端から『イノベーションと企業家精神』は私に投げかけてきた。


 冒頭のセイの話に戻る。ドラッカーはセイの法則ではなく、
セイの規定する「企業家」について触れている。

なるほど、聞き慣れない企業家という言葉に説得力と信憑性を持たせるために
セイを挙げているにすぎない。

つまりはただの撒き餌であり、供給主導の思想を推しいたいわけでもないし、
ドラッカーが本質的に語りたい言葉はセイの言葉には無い。

それを念頭に置き、企業家はどのように定義されているかというと、大きくは4つ言われている。
 

①企業家はリスクを冒す

②企業家は秩序を破壊し、解体する者である。

③企業家は変化を当然かつ健全なものにする。
(変化を探し、変化に対応し、変化を機会として利用する。)

④企業家は、生産性が低く、成果の乏しい分野から、
生産性が高く成果の大きい分野に資源を動かす。

P.F.ドラッカー『イノベーションと企業家精神』_1

2010年11月21日 | Weblog

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会社の研修で書かされているドラッカーのレポート。
11月25日が研修初日です。

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本書『イノベーションと企業家精神』はフランスの経済学者セイの話で幕を開ける。

有名な「セイの法則」と言えば、

「経済水準の大きさを決めるのは需要ではなくて、供給である」
という供給優位の思想である。

供給が需要を決めることは古典派経済学の話であり、
それは当然ケインズ以前の話となる。

そこでふと、足元をすくわれる感覚に陥る。

ドラッカーと言えば、企業の目的は「顧客の創造」であり、
マーケティングとイノベーションによってそれを成し得るとしている。

マーケティングの話をするとコトラーに引っ張られてしまうが、
マーケティングに必要なのはターゲティングと市場細分化だ。

これは冒頭セイの法則の供給主導(言い換えればプロダクトアウト)の考えとは
ベクトルが異なる。

どのようにターゲティングを行い、どの市場に資源を投下すべきかを考えるのは
「需要」主導の考え方である。

ベクトルが違うにもかかわらず、セイの話が冒頭に出てくるとは、
私自身のドラッカーに対する認識自体に間違いがあるのだろうか?

「これは本ではない」展

2010年11月20日 | Weblog

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うらわ美術館にて、本日より「これは本ではない」展が開始しました。

Hyakunengo(100年後)_Projectでもみんなに考えてもらっていますが、

「本」とは何か、最近もっぱら僕の頭を占有しています。


さて、「これは本ではない」展は、うらわ美術館が集めている
ブックアートの作品を展示している。

「本」について、僕の頭の中にあるもやもやを取り払ってくれる

"何か"を期待しながら会場へ入っていった。


しょっぱなの「これは本である」という作品から非常に面白かったが、

問題は芸術家といわれる皆さんは「本」をどのように定義しているかだ。


僕が会場を歩いて読み取ったキーワードは

「情報」

「起点」

「拠り所」

「その人自身」

であり、本という概念を通じて、

作品を作る方々は、いろいろなものを表現している。


「本」とは何か、それは考え続けなければならないし、

答えなどないと思うのだけれど、

少なくとも、この美術展を見て僕が思ったのは、


人はそれぞれに「本」を持っている、ということだ。


「本」にまつわる記憶はさまざまだと思う。

たとえば僕は「本」というと、

読書感想文を思い出し、触るのも嫌だった。


大学時代からその反動で乱読しているが、

嫌いなものが好きになる、という感情を教えてくれたのは

「本」である。

また、新たな知識ややる気を与えてくれるのも「本」である。


そんな僕自身の些末な経験はいいとして、

やはり「本」というものには不思議な力があって、

個々人がその力をなんとなく感じている。

その力が個人を動かし、未知の世界へ連れて行く。


本の持つ力の、いままでにない感覚をこの美術展を通じて

知ることができた気がする。


それでも、頭のもやもやは、やっぱり残り続ける。

それでいいのかもしれない。


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