少年の日々

はじめて考えるときのように

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嬉しかったこと

2005年07月30日 | Weblog
TUTAYA系(?)の大手チェーン店では、自店の社員PAから作文を募り出版社の力も借りて一冊の本を作っている。

その本のテーマは「職場で嬉しかったこと」なんだけれど、様々な年齢層からなる作文は非常に面白くて、文章力のレベルが一目瞭然、素人だからできる格差に注目しすぎていたら内容はどうでも良くなっていた。

100名近くの作文を短時間で一気に目を通したのだけれど、みんな大体書いている内容は同じで、「お客様からのありがとうの言葉」「仲間・同僚との出会い」「やりがいのある仕事」「社員割引」に分けられる。わずか4パターン。

そのなかから最優秀賞も選ばれる。書いている内容は同じだから、何がポイントになりかというと文章力と具体性。

同じ「お客様からのありがとうの言葉」でも、

商品が見つからずに困っているお客様を案内して「ありがとう」を言われた。
と書くよりも、

木更津に住んでいる孫のためのプレゼントに絵本をプレゼントしたくて来店されたおばあちゃんに、自分が小さいころ読んでいた「星の王子様」を勧めたら「私も自分の娘(孫の母親)が小さいころに買ってやったことがある」といわれて、売場で本の内容で盛り上がった。

って書いたほうが差別化が出来ていい。どうせ言いたいこと同じなんだから。

なーんて添削をする気持ちで読んでました。穿った読み方しちゃったな。
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保坂和志×柴崎友香

2005年07月29日 | Weblog
今月の文藝に保坂和志と柴崎友香の対談が載っていて、最近小説からめっきり遠ざかっている僕は例によって衝撃を受ける。

保坂の言うことはいつも一貫していて、その一貫性に対して飽きがこないのが不思議だ。
たぶん、本質とはそういうものなのかもしれない。

彼自身が同じことをいつも言い続けることが出来るのも、それが本質だからであって、いつまで追い続けても追いつけないものなのであって、やっぱり飽きないんだろう。

小説と言うものはその空間にある出来事を丹念に言葉で書き表そうとするところにあるのならば、やっぱり小説に起承転結なんていらない。
だって、僕らの生きている世界それ自体に起承転結は付きまとうのであって、その世界を描写しようと思うこと自体が起承転結になりうるし、意識的にそれをつけることは世界の描写に反する(とはいいすぎだけど)。

僕が生きるこの世界というやつは、なんて魅力的なんだ。
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NUMBER GIRL~風景(イメージ)~

2005年07月28日 | Weblog
ナンバーガールのアルバムの中では『NUM-HEAVYMETALLIC』が一番好きです。

このアルバムを聴いていて思うのは、このバンドが風景(イメージ)をものすごく大事にしているところで、音がその風景(イメージ)を引っ張ることはあっても、風景(イメージ)が音に引っ張られることはない。

これだけ確固たるものを思い描いているからこそナンバーガールというバンドが驚異的なのだ。

僕ら常人は、たぶん色々なものから風景(イメージ)うを受け取って、意識的にか無意識的にかそれを目指したり、手に入れようと必死に生きている。

その風景(イメージ)を手に入れるために必要なことは、和音とかコード進行ではなく、それをさらに強く、さらに貪欲に描くことだ。

ちょっとでも「いいな」って思えるものがあればすぐに飛びつく。
それはしかたがないんだけど、そうじゃないだろう。
自分が描く風景(イメージ)があるなら、それを手に入れるために必死で描き続ける。忘れそうになったら、言葉に残してもいいし、写真に写してもいいし、音に響かせてもいい。

それは決して現実逃避じゃない。
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今日の日はさようなら

2005年07月25日 | Weblog
週末なんでバーベキューをしたり、電車が地震で止まったりした。まったくもって、最近は色々なことが起こっている気がする。それでも、がんばらにゃあね。

人士という波に飲まれた時、僕はいったいどう行動できるだろうか。
もちろん、そこにはさまざまな要素が絡み合っていて、僕自身の力ではどうしようもないことも出てくるだろう。だからこそ、そういう日のために準備をしていく。大事なものを守るために。
人間はだれしも自分のことしか考えていないだろう。自己満足で生きているだろう。だからこそ、みんな生きていける。
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ジョンレノン

2005年07月18日 | Weblog
ジョンレノンは僕の周りにたくさんいて、テレビの中だったり雑誌の中だったり街角に流れる音楽であったり、とにかくありとあらゆるところにいた。

それでも、僕の中にジョンレノンはいなかった。

散々彼の音楽を聴いて、音楽の授業ですら扱われていたのに、僕の中にはいなかった。

ジョンレノンミュージアムに足を運び、彼の人生に少しだけ触れ、彼の生きた時代を知り、彼の苦悩を共有する。
その時、やっと僕の中にジョンレノンが存在した。

人の存在とか、認識とはそういうものなのかもしれない。
僕の周りにはありとあらゆる情報が溢れている。
こうやってパソコンを開けば勝手に僕の目に入ってくる。
でも、その背景にいったいどれだけの人間の想いや感情が入り組んでいるのかは分からない。
だから、そんな情報は右から左に流れてしまう。

僕の中には、今後の人生、いったいどれくらいの人が存在するようになるのだろうか。
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