少年の日々

はじめて考えるときのように

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猫に時間の流れる

2006年05月01日 | Weblog
久々に実家に帰ると家の外壁はほぼ完成していて、あとは内装を仕上げるのみになっていた。6月2日に引渡しらしい。

寝たきりになっていたミイが心配で、「今日もソファで寝ているのかな」と思っていたのだけれど、春の陽気につられてか、僕がバスで家に帰った時には庭に出て日向ぼっこをしていた。

「ミイちゃん元気かー?」と言って近づいておでこを撫でながら、猫には僕と会わなかった時間というものをどれだけ知覚できているのかという疑問が頭をよぎった。

それは「時間というものは言語によって認識されるものか」という疑問に他ならなくて、僕らは歳月を言葉に置き換えて認識しているが、言語を持たない猫は歳月を認識することができないのではないだろうか。
もちろん、夜行性である猫は一日のサイクルを感覚として捉えていて、昼は寝るし、夜は活動を始める。春には毛が抜け始めるし、冬には新しい毛皮が身体を覆う。
しかし、今日の活動が昨日の活動とどうちがっているのか、今年の春は去年の春と何が違うのか、過去形を持たない猫には認識出来ないと思う。

「久しぶり」と思うのはあくまで我々人間側の認識であって、ミイにはそんな感覚ないのかもしれない。
別にそれが悲しいというのではなくて、同じ時間を生きているはずの僕とミイの中の感覚の差異がなんとも不思議な感じである、という程度だ。
そんなことを言ってしまえば、同じ人間同士でも時間の流れる感覚は違っていて、「同じ時間」という捉え方自体間違っているのかもしれない。

何はともあれ、ミイはちょっと元気そうだったのが何とも言えず嬉しい。新しい家にも順応してくれるのを祈るばかりである。
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