少年の日々

はじめて考えるときのように

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5 years

2007年06月12日 | Weblog
五年という月日が僕にもたらすものはたくさんあって、たとえば僕の細胞は新陳代謝を繰り返しまったく新しい身体になっているし、履きつぶした靴は靴箱からいつの間にか消えた。

僕を形作る環境はすべては移り変わり、その渦の中で、いろいろなものが去っていった。


それでも僕が僕として存在しているのは、紛れもなく『記憶』というものが、昨日の自分と今日の自分を結び続けているからだ。


そうなると、僕という存在は『記憶』というあやふやなものでしか立証することができない。
明確に在り続けることは不可能だ。


だからこそ、僕は絵美と記憶を共有し続けてきたのだろう。

彼女と出会い、多くの場所を訪れ、共に過ごし、疲れたら眠り、ともに明日を迎える。

その繰り返しが僕の存在そのものなのかもしれない。

五年もの月日を、その記憶なくしては存在しえないのだろう。

そして、これからもその記憶を共有し続けていき、僕は僕で在り続ける。
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