少年の日々

はじめて考えるときのように

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

アドルフに告ぐ(3)

2005年08月30日 | Weblog
読書経験が無いに等しい僕にとって「本との出合い」と定義されるものがどこまでが「本」なのか、それが分からない。それでも時間は刻一刻と過ぎていく。

頭が回らなくなってきたので、窓の外に目をやった。
まだ見慣れない6号館からの風景は僕に何かを与えてくれるかもしれない。
サークル勧誘のチラシがそこここに貼ってある。
中には隣の7号館の窓に一文字ずつポスターを貼り付けてあるものもあった。
7号館の
6階に「ド」
5階に「ル」
4階に「フ」
3階に「ィ」
2階に「ン」

「ドルフィン」と書かれたその文字を見て思い浮かんだのは村上春樹の「羊をめぐる冒険」。主人公が泊まったホテルが「いるかホテル」で、その後「ダンス・ダンス・ダンス」で様変わりするホテルだ。
コメント (2)

アドルフに告ぐ(2)

2005年08月28日 | Weblog
まずは言葉を切り分けて考えてみる。

「本との出会い」

僕が本と出合うのは書店であるけれど、それではあまりに芸がない。芸がないというか、僕はそこまで何かの出会いを求めて書店に通っていない。僕はただ漠然とした書店という空間の雰囲気が好きで本屋に足を運んでいるのだ。

出会い、といえば、別に自分から探したものでなくても、友人から借りた本でいい。高校の時に部室でまわし読みした本でもいい。でも、なんだろう。印象に残っている出会いって言えば『Bバージン』くらいか。でもゼミの試験に漫画はどうだろう。

「心象風景」

まず、意味が分からない。心象・・・心(?)の風景。心に浮かんだ映像?僕の心を揺さぶった作品?出会うことで生まれた新しい何か?

僕は本によっていったい何かを感化された経験があるだろうか。漫画ならいろいろあるな。でも漫画でいいのかな。
コメント

アドルフに告ぐ(1)

2005年08月25日 | Weblog
「本との出会いの心象風景について、具体的な作品を踏まえて書きなさい」

僕の目の前にある原稿にはそう印刷されていた。
30名程度が定員の狭い教室。窓には五月晴れ、いや4月だったかもし知れない。

まだ大学に慣れていない僕は、ゼミの試験と面接という言葉のイメージに気おされていたけれど、一年間予備校であたためた期待と不安の入り混じった感情をうまく空を流れる白い雲に映し出してその場の空気をコントロールしようとしていた。

とにかく、読書なんて興味がない僕に課せられた題目を再度見つめ、シャープペンシルを一回転、人差し指と中指の間で回す。白紙のまま提出するわけにはいかない。
コメント

25年間の10冊

2005年08月23日 | Weblog
この日記を書く意味を問われた時、二年前だったらすぐに答えられた。
社会人という境遇に少々僕は辟易してしまっているのだろうか。
いや、僕が辟易しているのは社会人という境遇ではない。
たぶん、僕の人生に対してだろう。

まあいい、とにかく、僕がこの日記を始めた時“書くこと”そのものに興味を抱いていた。日々浮かび上がってくる言葉は新鮮で、学生時代に命じられて言葉を並べる行為とは“質”が違っていた。

言葉が僕の身体を通り抜け、画面上に刻まれていく時、僕は僕としてその場から消える錯覚に陥る。
この世界と同等のものとして、僕は世界に取り込まれる。
僕は僕ではないし、僕を取り巻く世界はもはや世界ではない。
全てを網羅している。網羅されている。
一体感。

文章を書くとは、僕にとってそういうものだった。

それが今、行為自体に意味はなくなり、言葉を並べることは僕にとって何にも生み出さない、惰性の状態に陥っている。

だから、ちょっと振り返ってみたい。
それなりに真剣に、当時の自分を思い出す作業と、忘れる作業を同時に行ってみたい。

その過程で、僕が生きてきた25年間の10冊を挙げていく。
その10冊をもとに、書評ではなく、当時生きた自分を書いてみようと思う。
とにかく、10冊。

『アドルフに告ぐ』手塚治虫
『心の処方箋』河合隼雄
『さようならギャングたち』高橋源一郎
『スティルライフ』池澤夏樹
『スプートニクの恋人』村上春樹
『プレーンソング』保坂和志
『メメント・モリ』藤原新也
『モモ』ミヒャエル・エンデ
『若きウェルテルの悩み』ゲーテ
『はじめて考えるときのように』野矢茂樹

さあ、始めてみますか。
コメント (2)

モモと星の王子様

2005年08月11日 | Weblog
ミヒャエル・エンデの『モモ』とサン=テグジュペリの『星の王子様』に共通するのは「大事なものは目には見えないんだよ」ということ。

僕たち大人はいったい大事なものをどこにおいてきてしまったのだろう。

「大人は数字で物事を表さないと理解できない」
だから
「灰色の男たち」のインチキな計算にもだまされるんだ。

数字はとっても客観的だ。-4千万の損失は-4千万の損失でしかない。
その過程にいったいどんな問題が生じたかは表現できない。

だけど、今はその過程こそが大事な時代である。

その過程でいったいその法人なり個人なりがどの程度成長できるかが問われる。
僕は自分に問うてやるさ。
コメント