少年の日々

はじめて考えるときのように

ギャップ

2005年06月28日 | Weblog
一年前の僕は、24年間生きてきた影を背負って、
その上更に社会人という生き方を背負おうと日々踏ん張っていた。

背中はどんどん重くなっていき、足を引きずるように歩いていて、
「こんなんじゃないんだ、こんなはずじゃないんだ」
そう言い訳しながら、励ましながら、泣きながら生きていた。

今年の新入社員を見ていると、去年の僕みたいにそれまで生きていた影を引きずっているようには見えない。
「今」の自分の生き方を存分に楽しんでいるかのようだ。

なんでそんなに差ができたのか分からないのだけれど、
とにかく、僕はなんか違う生き方をしているのかもしれない。

同期にも似た様な奴がいて、去年はやっぱり似たように悩んでいた。
今年は新入社員の面倒を見る役を与えられ、去年の自分の二の舞にはさせないようにと思っていたら、
肩透かし、やっぱり普通に生きている。

うーん、なんだろうね。

社会人というものに、僕はもっと期待していたのかな。
現実と理想のギャップに辟易していたのかもしれない。

もしくは、本当はもっとやりたい事があるのに、
無理に「社会人」という選択肢を選んだのかも知れない。

就職活動を必死にやって、
そして自ら納得がいくものを勝ち取ったつもりでいたのに、
それは本心じゃなかったのか?
じゃあ、僕の本心はなんなんだ。

たぶん、今も納得していない。だからこそ苦しい。
去年ほどではないにしろ、今も苦しい。

だからこそ、ね、明日がいいものになると信じられるんだ。

スラムダンク/井上雄彦

2005年06月27日 | Weblog
すいません、白状します。
僕は井上雄彦を「バガボンド」から入った人間です。

ジャンプ黄金時代を小学生というジャンプ吸収時代に過ごしていたのに、ドラゴンボールも幽々白書も魁!!男塾も読んでいたのに、「スラムダンク」だけは読んでいなかったんですよ。

友人の引越しを手伝い、雑多なコミックの中から「スラムダンク」を全巻いただいた。
残りのコミックは友人宅とブックオフに。

そしてついに、昨日、「スラムダンク」デビューを果たしました。
山王戦、最後の桜木から流川へのパス。
流川から桜木へのパス。
泣いた。

今日、書店回りの際に「Switch」のスラムダンクの10日後に特集のやつ、買っちゃいました。
Switchの井上雄彦特集(バガボンド版)は買っていて、そいつも読み返してしまった。

それにしても、なんて濃度の濃い漫画家だ、井上雄彦。

これほどのストーリーを、これほどのスケールを、これほどのキャラクターたちをよくぞ生み出したものだ。

スポーツ漫画、嫌いです。スポーツ自体あんまり好きじゃない。
スポーツ×ギャグは結構好き。帯ギュ大好き。

話がずれた。

とにかく、僕は「スラムダンク」をやっと受け入れられる歳になったようだ。

遅い?

いいじゃない。

にゃあ

2005年06月23日 | Weblog
僕は頭の中がだいぶ変化したようで、こうやって文章を書いている姿勢自体が当時のものではない。

さて、それをよしとするか、それとも、どうだろう。

なんか、もっと大きいものが見えてきている感覚がある。

それにしても、ピアノの森は面白い。

身体が欲するタイミング

2005年06月21日 | Weblog
本というものは身体に入りやすい時と入りにくい時があって、例えば僕は今中公新書の『ギリシア神話』を読んでいるのだけれど、これは大学二年生の時に読んだら絶対身体に入ってこない。


ガイア(大地)とウロノスの子クロノスが、父ウロノスの陰部を切り取り罰した時に、ガイアから

「お前もいつしか実の子供に滅ぼされるであろう」

という予言を受け、妻レアとの子供(ポセイドンやハデス)が生れるたびに飲み込んでいたのだけれど、母親のレアがそれを疎んで我が子が生れた時に石とすりかえてクロノスに渡した。

クロノスは気付かずに石を飲み込んで、母レアは我が子をクレタ島でこっそり育てた。この子供こそ全能の神ゼウスであり、のちにゼウスによってクロノスは滅ぼされる。

っていうくだりなんて最高に面白く読んでいて(だいぶ端折っているけど)、その後ゼウスの女好きなところとか人間くさくて大好きです。


とまあ、面白いという事が書きたいわけではなく、こういった神話に興味を持ったのが最近で、友人の世界史の教師からミノタウロスの話を聞いた時に読んでみたいなあ、なんて考えて、昨日ブックファーストに行ったら新刊で出ていたからついつい買っちゃった。

こういうタイミングというか、身体が求めている出会いを満たした時に人は本(物)を欲する。
人為的にそのタイミングを作るのが広告であって、その広告を作る作業、というか、欲求のタイミングを見極める仕事ってすごく面白いような気がする。

学生時代に「花形のマーケティングで働きたいです!」なんて言っていた自分とは違う自分が見えてきているな。

六月五日

2005年06月16日 | Weblog
三年という月日について考えてみたいと思う。

一歳から三歳までの間に吸収するものは
残りの人生七十年かけても追い越せないくらいのすごい量らしい。

十九歳から二十一歳といえば、アイデンティティの確立にとても重要な時だ。
中学生も高校生も、三年経てば卒業する。

桜が三回咲いて散る。
会社で言うと、三年て丁度仕事を吸収し終えて、次のステップへ移る時期だ。

何はともあれ、三年経った。
僕も三つ歳を取ったし、君も三つ歳を取った。


この一年は、だいぶ立場は変わったし、心情の変化もいろいろあった。
一年前の六月五日、僕はボロボロだったし、絵美もかなり悩んでいた。
正直、もう無理だと思った時もあったけど、三年続いたのは、
たぶん、変わらないものがあるから続いているんだと思う。
ピンバッチを記念碑にして、これからも歩いていきたいね。