少年の日々

はじめて考えるときのように

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

失われた風景

2006年01月29日 | Weblog
久しぶりに実家に帰ると、それまで見慣れた家はあらかた無くなり、長年僕ら家族を支え続けてくれた柱がトラックに積まれ、生活の場であった土地を重機が踏みつけていた。

特に感傷的になるわけではないけれど、25年間暮らしてきた家が失われるという事実は、何かが欠落していくような感覚を僕に植え付ける。

駅からは遠く(原付で10分かかった)、周辺に商業施設があるわけではないので、帰路から家を望むことが出来た。あとカーブを二回曲がれば家に着くと、冷たい冬の風を受けながら遠くに浮かび上がる家を見て呟いていた。

その風景は、もうすでに失われてしまった。

時間が経つごとに、その風景は幻となり、新しい風景が当たり前のように僕の中に入り込んでくる。

やはり、新しい風景は新しい風景として、ごく自然に、昔からそこに存在していたかのように、僕の視界を侵すだろうが、そこには僕が生まれ育った家があったはずなのだ。
記憶と言うものは曖昧だし、人間の環境適応能力は悲しいほどに優れている。

だから、僕は言葉に残しておかなければならないのだろう。
コメント (2)

Zガンダム実写版を考えてみた

2006年01月27日 | Weblog
といわけで、実写版キャストを独断と偏見で考えてみた。

シャア・アズナブル=木村拓哉
カミーユ・ビタン=山田孝之
シロッコ=ガクト
エマシーン=深津絵里
レコア・ロンド=篠原涼子
フォー・ムラサメ=中島美嘉
カツ=伊藤淳史
ヘンケン艦長=阿部寛

とまあ、このくらいまで考えたんだけど、
アムロと、ブライトと、ファと重要なハマーンは誰がいいだろか?
コメント (8)

今夜はブギーバック

2006年01月26日 | Weblog
中学生の時に聴いていた音楽といえばQUEENだとか、ストーンズだとか、ビートルズやらツェッペリンだったので、当時日本の音楽シーン賑やかしていた人を僕は知らない。

小沢健二だって聞いていなかったくらいだから、もともと音楽に興味なんてなかった。それを言ったら読書だってほとんどしてこなかったのに、今は結構読むようになったのだから、僕は案外スロースターターなのかもしれない。

なんにせよ、本日地元のスーパーソフトボックスで小沢健二の『ライフ』を借りて聴いている。
同時代に、彼の全盛期に聴きたかった。
音楽それ自体は普遍的なものもあるかもしれないが、それを聞く人間はさまざまな要因で揺れている。感情はもうどうしようもないときがあるし、世間に蔓延る景気・不景気だって関係してくる。
バブルの時代に、神話が神話として存在していた時代に、小沢健二を聴いてみたかった。
(今聴いてもそりゃもうすごいんだけどね)
コメント (3)

MONONOKE JACARANDA TOUR最終日!

2006年01月24日 | Weblog
フジファブリックのワンマンライブに行く。最近はライブハウスに足を運ぶと、そのライブハウス全体に蔓延っている空気のようなものに興味を持つようになっていて、もちろん演奏や音も聴いているのだけれど、お客さんの笑顔であったり、スタッフの人の働きであったり、会場外で煙草を吸っている人達の会話の方に目が行く。

こういうイベントを企画立案して、運営すること自体、まあすごいことだが、何がどう作用してこういう雰囲気を創り出すことができるのだろうか。

僕らが日常を生きているとき、仕事をしているとき、大勢の人たちが一つのベクトルに向かって集中することはあまりない。表面上は勿論あるのだけれど、一人一人がやはり別々の方向に気持ちを向けている感じは否めない。

そう考えたとき、ライブハウスで起こっている現象は、音楽を純粋に楽しむ、だから独特の雰囲気が生まれる、ということではなくて、全員が全員、自分と言うベクトルの向けて、ある種内向的に意識を集中することから起こるのではないだろうか。

一人一人を自分という如何ともし難い存在に向き合わせるのが音楽であり、それが創り出す空間であり、また僕ら自身なのかもしれない。
コメント

マイ・ジェネレーション

2006年01月22日 | Weblog
ミリタリーパーカーを買ってしまった。

「踊る」の青島刑事が着る事で世間の認知度が上がった(?)パーカーですが、怖くてとても職場には着ていけません。フェルトの帽子も買ったから、良い感じです。

(名前に“頭”のつく)友人に「時計仕掛けのオレンジ」の主人公(マルコム・マクドウェル)に似ていると言われていて、聞き流していたのだけどこの帽子を被ると案外似ている。にゃー
コメント (3)