少年の日々

はじめて考えるときのように

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渋谷は炎上するか、渋谷は炎上するか

2008年09月23日 | Weblog
土曜日に渋谷の街を歩き、阿部和重が『インディヴィジュアルプロジェクション』の中でトラックを突っ込ませるまでにいたった“狂気”のようなものを肌で感じた。

その“狂気”はもちろん僕自身の“狂気”でもある。

僕を取り巻く環境が僕の“狂気”を醸成し、それに呼応して渋谷の街そのものの“狂気”を可視化させた。

普段の生活の中でふと“狂気”という言葉に収束しえない(そもそも言葉にならない)、なんといか、漠然として捉えどころのない感情が芽生えてやるせなくなることは誰にでもあって、それ自体はとくに珍しいことではないと思うのだけれど、その感情が“狂気”という明確な形に現れるために必要な要素の一つに『渋谷』というものが当てはまることを改めて実感し、また、それを文学という形に昇華させる筆力を持つ人間が作家となるのであろうと、アスファルトに座る疲れた顔をした初老の男性を見ながら漠然と考えた。

藤原新也がデジタルカメラで渋谷の街を撮った写真を観たとき、やはり同じような“狂気”を感じた記憶があるが、デジタル信号に変換された街が明確な意思をもってそこに存在し、雑誌という媒体を通して僕の中の“狂気”を喚起した。


ある作品が、その芸術性を発揮する瞬間というものがあって、それはまさにその作品に触れた人間が言葉に表すことができない“何か”を明確に自覚し、圧倒的な暴力性をもってその“何か”を表層に引っ張り出した時だ。

その瞬間、僕らは喜びを感じる。あるいは憎悪をおぼえるかもしれない。

その引っ張り出されたものは、僕らが感じるにはあまりにも茫洋すぎる。

しかし、その瞬間に立ち会うこと自分の中の新しい一面と出会うことができる。
それと同時に、自分の中の消化しきれない様々なものに対し、あるべき場所を指し示してくれる。

それは生きるということそのもので、そうした瞬間を繰り返すことで進化していく。

渋谷は炎上するか。渋谷は炎上するか。渋谷は炎上するか。
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全力坂

2008年09月12日 | Weblog
テレビ朝日に『全力坂』という番組があって、
東京都内の坂を女の子が全力で走る、
というとてもシュールな番組なのだけれど、
この時間に帰宅するとちょうど放送していて、
特に選んでいるわけではないが、
ザッピングしていて目に入るとついつい見入ってします。

これを企画した人はすごい。

アイデアとは既存のものの組み合わせ、とはよく言ったもので、
どこにでもある、
でも、
歴史を知っているとちょっと面白い「坂」にスポットを当て、
TVというメディアを使い、
その「坂」をどのように表現したら魅力的なのか考えたのだろう。

いや、かなり適当に考えていたかもしれないけど・・・

それか、ただ女の子の走る姿を撮りたくて、
でも普通に走っている姿を撮っても
意味わかんないから、
とりあえず「坂」に目をつけたのかもしれない。

どこにアイデアが落っこちているか分からないけど、
それを具現化することの難しさは日々仕事をしていると痛感する。
誰しも考えているけど、それを実行しようとすると
誰も実行できない、ってこともある。

それに、自分が面白いって思っても、
周りの人はぜんぜん面白くないかもしれないし・・・

うーん、日々アイデアをアウトプットできる
「アイデア体質」に取り組むために、筋トレをしよう。
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啓発されたビジネス書

2008年09月10日 | Weblog
だいたいビジネス書と小説を週に1冊ずつは読むようにしていますが、
流すようにビジネス書は数を読めば読むほど流すようになってくる。

そんなビジネス書の中に、いつも机の引き出しやら棚に差しておく本が
何冊かあるので、まあ、挙げてみるか、思った次第です。

・『考具』加藤 昌治
・『畑村式「わかる」技術 (講談社現代新書)』 畑村 洋太郎
・『戦略思考コンプリートブック』 河瀬 誠
・『TIME HACKS!』小山 龍介
・『パワポ使いへの警告 (講談社BIZ) 』榊原 廣

と、挙げてみると、仕事のやり方や、ものの考え方の本だな。
いやあ、まだまだ未熟な証拠です。

でもたぶん、経済知識や業界本は必要なときに読んで知識を
高める感じだからなぁ。心には残らない。
(先日恵比寿の有隣堂で『図解 SCMのすべてがわかる本 』石川 和幸も買ったが・・・)

かといって、自分の価値観を変えてくれるのはやっぱり小説だったりするのです。
そして、そこで得る考え方こそ、ビジネスに使える(本当か?)はず。

いや、ビジネスに使うというよりかは、生きることとビジネスに関わることが
かなり密接な年齢になってきているので、生きることを考えるとすべからく
ビジネスについても考えざるを得ないのです。

でも、ビジネスについて考えるっていても、それは別に人生がつまらなそうだな、
って感じではなく、もっと面白くするために考える。

社会と自分とのつながり。消費者でありながら、供給側でもあること。

視点を増やすことで、またいろいろと自分が変わってくる。


ああ、なんか言っていること昔から変わっていないなあ。
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もののけ姫=Princess Mononoke

2008年09月07日 | Weblog
『あの娘を解き放て!あの娘は人間だぞ!!』

スタジオジブリ最高傑作(と僕が勝手に思っている)である、
「もののけ姫」を近所のレンタルショップで借り、
夕食を食べながら観た。

初めて「もののけ姫」を観たのは高校2年生の時。
当時17歳だった僕は現在28歳になり、11年間経っても
色あせないこの作品の素晴らしさを再度噛み締めた。


生きることと死ぬこと。
すべては生きているからこそ生まれる苦悩。恨み。
でも、生きたい。生きていれば、なんとかなる。

『獅子神様は、命を与え、奪いもする』・・・

エボシの庭にアシタカが招かれ、包帯に身を包んだ長が言った言葉。
「生きることは、まことに苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい」

サン(もののけ姫)がたたら場に乗り込み、エボシを殺そうとした時、サンは自らの死を顧みない。
「死などこわいもんか!!人間を追い払うためなら命などいらぬ!」

瀕死のアシタカはそのサンに向かって「生きろ」「そなたは美しい」という言葉を投げかける。

それぞれが、生きることについて、それぞれの価値観を持っているのだろうが、
それは現在生きているからこそ、生まれる価値観である。

アシタカの「生きろ」に集約されてしまうのかもしれないけど、
そのまっすぐな言葉はすべての起点となり得る。

根底に「生きること」に対する問いを保ちつつ、自然界との調和や
人間社会の政治についても考えさせられる。

「もののけ姫」は何度観ても新しい価値観を僕に植えつける。
(いったい何回観たのだろうか、ってくらい観ている)

次は久々にラピュタでも観るか。

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Q&A : 恩田陸

2008年09月04日 | Weblog
会社の先輩に借りて、初めて恩田陸の作品を読む。

都心の大型スーパーで起きたある事件について、
その事件に関わる人物に対して問いを投げ、その答えのみで
構築された作品だ。

風景描写や人物描写は一切なし。

普通、描写にはその作家の特徴が表れる。

真摯に風景を描写する作家もいれば、
メタファーを駆使して特徴を表現する作家もいる。

描写がないことで、作者の恣意が隠され、
登場人物のリアリティが増し、臨場感が増す。


と、そんな狙いで書いたのでは・・・?
と思いながら読み進めていたが、

描写が無くても作者の特徴は良い意味でも悪い意味でもはっきりと
作品に反映される(恩田作品に初めて触れたけど)。

事件の被害者、目撃者、その関係者がそれぞれの立場で
それぞれの意見を述べるが、

「人の記憶や印象なんて、そもそも当てにならないよ」

という姿勢が作品を面白くしている。


そりゃそうで、みんながみんな同じ場所にいて、
同じものを見たのに、それを言葉に置き換えたとたん、
全然違うものに変わる。

それは言葉の面白さそのものなんだけど、
言葉は「それを発した人」というフィルターなしには
僕らには届かない。
(ん、これは言いたかった言葉の面白さとはちょっと違うな。)

そのフィルターが、そもそもその人の経験であったり、
心情であったり、その場の雰囲気であったりして、
まさに十人十色なわけである。

だからこそ成り立つ作品であったのだけれど、
その人間の認識のあいまいさ、がメインテーマではなくて、
最後のほうはちょっと仕掛けを作って良く分からない展開に
なったのが残念。

ミステリー作品だからしようがないのかな。

■今日は夏休みだったので、美容室に行く。

■川越のB.1stにて『ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か :エリヤフ ゴールドラット 三本木 亮 (ペーパーバック - 2001/5/18)』を買う。

■同じく川越のB.1stにて『クロスイッチ―電通式クロスメディアコミュニケーションのつくりかた :電通「クロスメディア開発プロジェクト」チーム (単行本 - 2008/8/29)』を買う。』
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