少年の日々

はじめて考えるときのように

となり町戦争

2006年12月18日 | Weblog
書店の店頭で目について「文庫化されたんだ」と思い購入。
まだ50ページくらいしか読んでいませんが、
主人公がニュートラルな感じで、
自分の周りに起こる異変を当たり前のように受け入れ、
そこから物語が進んでいくところがカフカ的ですね。
村上春樹好きにも良いかもしれません。


まったく関係ないですが、大学時代の同級生と飲んだりしました。
みんなキャラ濃いです。

沼田は静かになった、と言われ、そんなもんだろうか、と考えてましたが、
確かに状況は変わっているし、頭の中で色々考える時期だということは、
ちょっと自覚しています。

社会人3年目。

良くも悪くも、一段落する時期で、もちろん転職のことを考えるやつもいるし、
仕事が落ち着いて趣味に力を入れだす人もいる。

自分はどうなっていくのか(どうしていくのか)、そりゃあ、考えています。

まあ、出版業界は、不思議と大好きなんで、その大好きな土壌で僕は何を
育てていくのか、楽しみながら、進んで行きたいです。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (新書)

2006年12月11日 | Weblog
最近読んで面白かった新書、「若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来」について書いてみます。
僕も入社3年目の若者ということで、題名に惹かれて手に取ったわけですが、本の主題は若者というよりは、「日本の年功序列」についてでした。

年功序列の会社が成立するためには、その会社が永遠に繁栄し続けなければならない。
成長が止まった時点で、「ポスト」が増えなくなるわけだから、課長予備軍・係長予備軍みたいな人たちがどんどん増えつづけ、空いたポストのもぐり込めた人はいいけど、もぐり込めない人たちは年齢給が頭打ちになり、昇給の見込みがなくなる。
ホワイトカラーエグゼクティブなんてものが浸透すると、残業代も無くなって、結局年功序列のレールに乗れなかった人たちにとって、この制度のせいで自分の実力(?)とは関係なく、決裁権を持つ大きな仕事ができずに終わる。入社当時は、30代で係長、40代で課長、がんばって部長・役員、みたいな道があって、その道を実際に歩んでいる先輩方がいたのに・・・。

と、まあ、悲観的なことを挙げればキリがありませんが、面白かったのは、この制度はレールに上手く乗れた人に取ってはとっても優しい制度ということと、それが今崩れかかっているという現状。

3年で辞める若者は、別に「年功序列」という言葉が頭にあって辞めたわけじゃないだろうけど、30~40代の先輩方に見られる閉塞感を敏感に感じ取っているだろう。また、50代の上司・先輩方の給与と働き具合の格差について。

年功序列に乗っちゃえば、思考停止してても給料は上がっていく。でも、思考停止するなって言われて就職戦線を戦ってきた若者にとっては、なんか、違和感がある。

あと、派遣社員の利便性についても触れている。年功序列の会社が多い中で、高給取りの社員が増えて、人件費を減らしたくても減らせないから、新卒採用枠を削って、派遣社員で回す会社が多数ある。そんなんじゃ、会社は発展していかないでしょ、と。

とにかく、面白かったので一読あれ。

実家にて

2006年12月03日 | Weblog
仕事で新規店の立ち上げがあり、その店が川越の実家から原付で15分のところに位置する。よって、僕は今、実家から現場に向かっている。久々に実家のPCのキーボードを叩くと、不思議と3~4年前の感覚が蘇ってくる。

さて、僕の実家は6月に新しい体で建ちあがった。古かった我が家を取り壊し、建て直しをしたのだから、僕の生まれ育った「家」は見る影もない。

だからといって、庭は相変わらず幼稚園のときに走り回った記憶を残しているし、空気は昔と変わっていない。風の冷たさも、ちっとも改善されない。

家というものは僕にいったいなにをもたらしてくれるのだろう。
新しい家には「僕の部屋」があり、僕は主として、その部屋に居る。はずなのに、その部屋は家族のPC部屋になっており、父と妹の衣服がクローゼットにかかっている。

別にそれがどうのこうの言いたいのではなく、僕が居ない僕の部屋というのは、独特の感覚を僕に与える。自分の名前がついたロボットを、他人に操られているような、また、鎖に繋がれた犬が自分の移動範囲を目いっぱい走り回っているような、よく分からないけど、そのような感じがして、とりあえず、今もなお落ち着くには程遠いと言っていい。

なんにせよ、僕が育った家はないのだし、僕はこれから自分が生きる家や、その家を育った家と呼ぶ子供を育てたい、と、よくわからないけど思う。
武蔵浦和に帰らにゃあね。