高校生の時とかって、生きて過ごした時間が短い。
仮に“人生八〇年”と設定した場合、残りの人生は八〇-十七=六三年あることになる。
今の僕らは残り五六年。
単純に数字で解釈すると、六三年の方が可能性というか、選択肢は多く残っている気がするが、「今日は今日でしかない」という感覚は残り時間が多い若い子たちの方が強く持っている。
本当は、残りの人生が少ない僕達の方が毎日の時間を大切に過ごさなければいけないはずなのに。
これは、人生をより長く生きてきたせいで見えなくてもいいものまで見えてきてしまったからなのかもしれない。
先が見えないときは今を大事にするしかない。
しかし、先が見えるのならば、「未来」に向かって「今」を消化していかなければならない。おじいちゃんとかおばあちゃんがゆっくり生きているのは、見えている未来に対して上手く順応しているからなのだろうか。
煙草の火がほの暗い店内では妙に明るく見えて、綺麗だなぁと思ったけど、喫煙者がだんだん減って、こういった飲み会でも隣の席のおじさんが吸う煙草の副流煙に悩まされることもなくなるんだろう。
仮に“人生八〇年”と設定した場合、残りの人生は八〇-十七=六三年あることになる。
今の僕らは残り五六年。
単純に数字で解釈すると、六三年の方が可能性というか、選択肢は多く残っている気がするが、「今日は今日でしかない」という感覚は残り時間が多い若い子たちの方が強く持っている。
本当は、残りの人生が少ない僕達の方が毎日の時間を大切に過ごさなければいけないはずなのに。
これは、人生をより長く生きてきたせいで見えなくてもいいものまで見えてきてしまったからなのかもしれない。
先が見えないときは今を大事にするしかない。
しかし、先が見えるのならば、「未来」に向かって「今」を消化していかなければならない。おじいちゃんとかおばあちゃんがゆっくり生きているのは、見えている未来に対して上手く順応しているからなのだろうか。
煙草の火がほの暗い店内では妙に明るく見えて、綺麗だなぁと思ったけど、喫煙者がだんだん減って、こういった飲み会でも隣の席のおじさんが吸う煙草の副流煙に悩まされることもなくなるんだろう。