少年の日々

はじめて考えるときのように

身体が欲するタイミング

2005年06月21日 | Weblog
本というものは身体に入りやすい時と入りにくい時があって、例えば僕は今中公新書の『ギリシア神話』を読んでいるのだけれど、これは大学二年生の時に読んだら絶対身体に入ってこない。


ガイア(大地)とウロノスの子クロノスが、父ウロノスの陰部を切り取り罰した時に、ガイアから

「お前もいつしか実の子供に滅ぼされるであろう」

という予言を受け、妻レアとの子供(ポセイドンやハデス)が生れるたびに飲み込んでいたのだけれど、母親のレアがそれを疎んで我が子が生れた時に石とすりかえてクロノスに渡した。

クロノスは気付かずに石を飲み込んで、母レアは我が子をクレタ島でこっそり育てた。この子供こそ全能の神ゼウスであり、のちにゼウスによってクロノスは滅ぼされる。

っていうくだりなんて最高に面白く読んでいて(だいぶ端折っているけど)、その後ゼウスの女好きなところとか人間くさくて大好きです。


とまあ、面白いという事が書きたいわけではなく、こういった神話に興味を持ったのが最近で、友人の世界史の教師からミノタウロスの話を聞いた時に読んでみたいなあ、なんて考えて、昨日ブックファーストに行ったら新刊で出ていたからついつい買っちゃった。

こういうタイミングというか、身体が求めている出会いを満たした時に人は本(物)を欲する。
人為的にそのタイミングを作るのが広告であって、その広告を作る作業、というか、欲求のタイミングを見極める仕事ってすごく面白いような気がする。

学生時代に「花形のマーケティングで働きたいです!」なんて言っていた自分とは違う自分が見えてきているな。