おはようございます。
ちなみに、主人の祖父母はまだ健在です。
主人は、祖父がご飯時に一番最初にテーブルについて、孫の分の肉まで食べてしまう、祖父の肉が一番大きいという逸話を話してくれました。また祖母の作る食事は、朝から晩まで鰈を煮たか焼いたか、鰈を焼いたか煮たか、味付けは醤油しかなかったと言っていました。
そんなエピソードが、人を幸せにしていく要因なのかもしれません。
ちなみに、私は現在主人の母と喧嘩しています。それは、再三の無遠慮な主人の母の態度が私の沸点を超えたことにあります。
ですが、孫と祖父母ということでは、私は引き離すつもりはありません。
どんな祖父母であれ、そんな曹祖父母であろうと、血は繋がっているのです。そして、親にしては気に入らないことでも、気に入ることでも、他愛もないエピソードが子供たちの心の栄養になっていくのです。
私は何を言ってもやはり主人の母をある意味尊敬しています。過去に、何度も自分から折れて絆を繋いできました。ですが、今は自分が前に立ってやらなくても、主人が親として目覚め、子供たちに自分の親について継承していけることでしょう。私はその後ろで、黙って見ていればよいのです。
ってか、肉の話ですが、私の祖父母の家では、子供は子供のテーブルと言うのがあって、ちゃぶ台を出してきて、セットして、決して親たち大人のテーブルには邪魔をしませんでした。なので、肉は、従兄弟と兄との間の争奪合戦でした。
ある日の夕方、祖父が、「アイスクリームを買ってやるからおじいちゃんと散歩しよう」と言いました。私と兄は喜んでついていきました。アイスクリームもですが、祖父と散歩するのは楽しかったのです。
ですが、従兄弟たちは言いました。
「クソじじい。アイス買ってくれなくていいから、金だけ置いてけ」
「早く出てけ」
私は瞬間固まりました。今でこそ、この言葉は、本家と分家のやり取りや、揉め事で大人の使う言葉を真似ただけだとわかりますが、当時そんな口を目上の人にたたくのは、ショックでした。
主人を選んで。結婚する際、主人のうちに挨拶に行きました。とてもざっくばらんでした。そして主人の弟たちはきちんと祖父母のお世話をそれなりに焼いていました。決して、口汚く罵ることはありませんでした。
「はいはい、おばあちゃん、俺それやるから」
「いいから座っておきなよ、いいって。大丈夫だよまかせなよ」
嫁いだ先がこの家庭でよかったと思いました。いい息子達を育てた義母、義祖父母。ですから、きっと色々なエピソードを子等にくれることでしょう。怒りも悲しみも喜びも驚きも、人生に大事な栄養です。
ちなみに、お盆の習慣をきちんと私に継承してくれたのは祖父です。白樺の皮を燃やして、お迎え火を焚くこと。方言がきつい祖父母との会話で私はよく、母に、
「どうしよう、おじいちゃんとおばあちゃん、宇宙人になっちゃった。」
って泣き悲しむことがありましたが、祖先を敬うことの大事さを教えてくれていた気がします。
なんでこの話書くまで忘れていたんでしょう。
とても思い出せて、心が今温かくなりました。
この話はこの辺でよろしくお願いします。
tomo
ちなみに、主人の祖父母はまだ健在です。
主人は、祖父がご飯時に一番最初にテーブルについて、孫の分の肉まで食べてしまう、祖父の肉が一番大きいという逸話を話してくれました。また祖母の作る食事は、朝から晩まで鰈を煮たか焼いたか、鰈を焼いたか煮たか、味付けは醤油しかなかったと言っていました。
そんなエピソードが、人を幸せにしていく要因なのかもしれません。
ちなみに、私は現在主人の母と喧嘩しています。それは、再三の無遠慮な主人の母の態度が私の沸点を超えたことにあります。
ですが、孫と祖父母ということでは、私は引き離すつもりはありません。
どんな祖父母であれ、そんな曹祖父母であろうと、血は繋がっているのです。そして、親にしては気に入らないことでも、気に入ることでも、他愛もないエピソードが子供たちの心の栄養になっていくのです。
私は何を言ってもやはり主人の母をある意味尊敬しています。過去に、何度も自分から折れて絆を繋いできました。ですが、今は自分が前に立ってやらなくても、主人が親として目覚め、子供たちに自分の親について継承していけることでしょう。私はその後ろで、黙って見ていればよいのです。
ってか、肉の話ですが、私の祖父母の家では、子供は子供のテーブルと言うのがあって、ちゃぶ台を出してきて、セットして、決して親たち大人のテーブルには邪魔をしませんでした。なので、肉は、従兄弟と兄との間の争奪合戦でした。
ある日の夕方、祖父が、「アイスクリームを買ってやるからおじいちゃんと散歩しよう」と言いました。私と兄は喜んでついていきました。アイスクリームもですが、祖父と散歩するのは楽しかったのです。
ですが、従兄弟たちは言いました。
「クソじじい。アイス買ってくれなくていいから、金だけ置いてけ」
「早く出てけ」
私は瞬間固まりました。今でこそ、この言葉は、本家と分家のやり取りや、揉め事で大人の使う言葉を真似ただけだとわかりますが、当時そんな口を目上の人にたたくのは、ショックでした。
主人を選んで。結婚する際、主人のうちに挨拶に行きました。とてもざっくばらんでした。そして主人の弟たちはきちんと祖父母のお世話をそれなりに焼いていました。決して、口汚く罵ることはありませんでした。
「はいはい、おばあちゃん、俺それやるから」
「いいから座っておきなよ、いいって。大丈夫だよまかせなよ」
嫁いだ先がこの家庭でよかったと思いました。いい息子達を育てた義母、義祖父母。ですから、きっと色々なエピソードを子等にくれることでしょう。怒りも悲しみも喜びも驚きも、人生に大事な栄養です。
ちなみに、お盆の習慣をきちんと私に継承してくれたのは祖父です。白樺の皮を燃やして、お迎え火を焚くこと。方言がきつい祖父母との会話で私はよく、母に、
「どうしよう、おじいちゃんとおばあちゃん、宇宙人になっちゃった。」
って泣き悲しむことがありましたが、祖先を敬うことの大事さを教えてくれていた気がします。
なんでこの話書くまで忘れていたんでしょう。
とても思い出せて、心が今温かくなりました。
この話はこの辺でよろしくお願いします。
tomo

ほんわか暖かい、いいお話です。
子供の頃の思い出、愛情豊かなおじいちゃんとおばあちゃんの思い出、胸がキュンとするような懐かしい香がします。
両親も愛情を注いでくれますが、祖父母の愛情はまた違うなんとも言えない優しい愛情ですよね。^^
私は母方の祖母しか身近にいませんでした。母方の祖父、父方の祖父母は皆、遠い所で暮らしていて会う事も話す事も出来ませんでした。私という存在は、人から聞いたり、写真を見たりしたくらいでしか知ることができませんでした。
でも、母方の祖母は小さい時からよく遊びに連れて行ってもらいました。同じ大阪だということもあり、年に何度も訪れ、祖母の隣に住む従姉妹とも大の仲良しで遊びに行くことは私にとって最高の楽しみでした。
祖母は物語をよく話してくれました。物語の中からいろんなことを教えてくれました。人としての大切なことを教えてくれた祖母のことは私の大切な思い出になっています。
私が中学生の時に亡くなりましたが、大人になって『辛い』と感じていた時にそっと眠っている横に立ち背中をさすり歌を歌ってくれ、頬にキスをしてくれたことがありました。誰だか見えませんでしたが、祖母だったのではないかと思っています。
また、夢の中に私の可愛がった猫と一緒に現れて私の腕を取り何度も何度も「守っているからね!ずっとずっと守っているからね!」と言ってくれました。
今も思い出すと心が暖かくなり「ありがとう」という言葉が浮かびます。
一度も会うことができなかった祖父と父方の祖父母もきっと肉体を離れた今は心で会うことが出来ているんだろうなと思います。
目に見えなくても絆はしっかりと繋がっているんだと思うのです。
今は姑と同居をしていますが、姑は子供たちをとても可愛がってくれています。きっと、子供たちも大人になり自分で生活するようになった時、おばあちゃんから受けた愛情を思い出し、それが心の宝物になって豊かに生きていってくれると思っています。*^^*
今回のコメント、長くなってごめんね~。
そうそう、バイト先のコメント返し、どうもありがとうです。バイトのお仕事はとってもフレンドリーな日本レストラン(食堂)の下っ端をやっております。^^
どんな祖父母であれ、確かに愛情はあるわけで。どう表現するかが難しいのですよ。
私もこのコメントを読んで、GWに主人の実家を訪ねようという決心がつきました。
バイト先に関してのコメントですが、最後は私の文章じゃないです。私を通して書きたい人が勝手に書いたようです。
・・・でも、まぁ、いいやあ。^▽^
「頑張って下さい」って書いてくれましたものね。はい!どうもありがとうございます。頑張ります。(*>ω<*)ノ ハイッ
それから驕らず、卑屈にならず、自分のいいところを伸ばして働いて下さい・・・という言葉もとても心に残りました。どうもありがとうです!人と接する時、自分の心のバランスを上手に保ちながらいい気持ちで人と接していたいと思うこの頃でしたので、大切に心に留めています。^^
ゴールデンウィーク、美味しいお土産持ってどうぞ楽しく過ごして下さいね。
あ、でも、まだもうちょっと先の話かあ。(●´ω`●)ゞエヘヘ