海神奈川吹奏楽部愛好会ブログ

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8寝台列車銀河あかつき さよならの旅

2008年01月02日 21時48分46秒 | 銀河あかつき

第8章 京都私鉄めぐり


2007/12/24 梅小路蒸気機関車館を出て山陰本線の高架に沿って丹波口駅までコ★ジコさんとぶらぶら歩いてゆく。高架の向こう側は市場のようである。コ★ジコさんと市場で働く人相手の定食屋に入りうどんちゃんこの昼食。650円とお安いのに(『リーズナブル』という表現は嫌いだ)じつにうまい。食が進み御飯もおかわり自由なので3杯も食べてしまった。
 同店を出て丹波口駅からモハ113に乗り京都駅に戻る。コ★ジコさんは疲れたので静岡に帰ると言うので京都駅のコインロッカーに預けた荷物を引き出したところで解散とする。コ★ジコさんは新幹線乗り場へ、私は近鉄電車乗り場へと散ってゆく。鉄分濃い男達の別れは淡泊なのだ。



 単独行動になり行先も決めてないので初乗り区間だけ乗車券を買い近鉄の普通電車に乗りこむ。桃山御陵前の駅名に惹かれるが古墳に関する資料は何も持ってきていないのでまたにした。上鳥羽口で特急を退避し竹田で京都市営地下鉄からの連絡をとり京阪乗換えの丹波橋で下車し路線バスでどこかへゆこうと思ったのだが同駅には路線バスがない。がっかりして一昨日も乗った京阪電車に乗り換えることにして連絡通路を歩き京阪の特急で中書島へ。ここで京阪宇治線に乗り換える。観月橋付近で宇治川の流れに沿い黄檗からJR奈良線と平行するルートで京阪宇治へ向かう渋い魅力を放つローカル線だ。



 京阪宇治駅は京浜急行の浦賀駅のような感じのたたずまいで駅前をJR奈良線の宇治川の鉄橋が通っている。しかしJR宇治駅は対岸にあるという配置になっている。当初はJR宇治駅まで歩いてJR奈良線に乗るつもりでいたけれど、駅前ロータリーに京阪宇治バス「240A 近鉄大久保駅」ゆきが止まっていてマイクで
「近鉄大久保駅ゆき発車しま~す」
と告げるので衝動乗り。JR宇治駅、宇治市役所を経て住宅街に分け入り、宇治植物公園を通る。立命館宇治高校停留所は校内のバスロータリーに入るのに驚いた。祝日なので高校生の乗降はなかった。JR新田駅前の踏切で少し渋滞した。踏切の先に近鉄電車の高架が見え大久保駅も近そうだと思ったら次の停留所が終点の近鉄大久保駅であった。


 近鉄大久保駅から普通で京都駅に戻るとかなりの遅れのトワイライトエクスプレスが大阪に向かってゆくのが見えた。京都駅ではビスタカーをスナップできた。



 なんとなくまた山陰本線の湘南色のモハ113に乗り嵯峨嵐山へ。駅前にSL館なる展示施設ができていてそれがあると知っていて来たわけではないのでめっけもんだ。館外にD51 51、館内にC56 98、C58 48、D51 603(前頭部)、若鷹号(小形蒸気機関車)、人車がある。トロッコ嵯峨駅に付属する施設らしく入館無料。今日はなんとも蒸気機関車づいている日だ。


 同館を出て商店街を歩いていると「長慶天皇陵」なる看板が出ている。時間もないので立ち寄ることはしないが家に帰ってから「歴代天皇知れば知るほど」(所功監修 実業之日本社)で調べたところ長慶天皇は第98代で南北朝時代の1368-1383年に在位(異説もある)とのこと。中世の天皇陵だから信頼してもよいのかな?(宮内庁の古代の天皇陵治定はまるで信用できない)チャンスがあれば京都の宮内庁が天皇陵だと言い張っている古墳めぐりをしてみたい。


 薄暗くなってくる中有名な渡月橋を渡り阪急嵐山駅へ早足で向かう。JR嵯峨嵐山駅から約25分で踏破した。阪急嵐山駅で桂ゆきに乗ると車体前面の行先が方向幕ではなくサボで表示されている。中学生のとき本で見た阪急電車のサボだ。撤去された運転台スペースに乗って桂に向かうと戦時中の鉄材供出で上り線を撤去した後が色濃く残っている。桂で河原町ゆき特急に乗る。阪急電車と言ったら京都線の転換クロスシートの特急だ。烏丸で降りて京都市営地下鉄四条駅に乗り換える。地下鉄の京都で降りJRに乗り換える際に地下にJR改札があることに気付いた。



エピローグ


 JR京都駅で精進弁当とビールを買って新幹線のぞみ36号の自由席に乗り東京駅に向かう。私の乗った車両は8割くらいの乗車率でC席にすわれた。A席は埋まっているがB席は空いている。私はビールとお弁当を食べながら過ごす。列車公衆電話から自宅に電話をするが今時テレホンカードで新幹線から電話を掛ける人もほとんどいないのだろうな。

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7寝台列車銀河あかつき さよならの旅

2007年12月31日 01時39分42秒 | 銀河あかつき
第7章 梅小路蒸気機関車館

2007/12/24 京崎駅から京都市バスに乗って梅小路公園までゆく。よその町で路線バスに乗るのは楽しい。停留所を聞けばどこにゆくのかは透けて見えているが、梅小路蒸気機関車館である。開館まで少し時間があるので梅小路公園のチンチン電車やJRの線路を見て過ごす。


 かつての二条駅舎の入口を入り館内の蒸気機関車に関する展示をまずは見る。投炭練習機の本物が置いてある。扇形庫にゆくと歴代の蒸気機関車が転車台を要にして止まっている。夢中で1台づづ正面から撮影してゆく。太陽の回りもよくフィルムがどんどん無くなってゆく。大雨の降った一昨日来なくて正解であった。かつで山口線のSLやまぐち号で活躍していたC58 1が御召仕様になっている。休憩所として50系客車も止まっているがこれは50系客車唯一の保存車であろう。


 11時にSLスチーム号の運転がある。これは蒸気機関車がトロッコ車2両を連結して片道500mの線路を往復するのだ。本日の牽引機関車は東海道線で超特急つばめ号を引いていたスワローエンゼルことC62 2号機だ。片道500mの線路なのでスピードは出せないが複線化の進む山陰本線の下をくぐり推進運転で梅小路公園の端までゆく。そして前向きで乗り場まで戻る。わずかな距離ではあるが本物の蒸気機関車の走りを味わえたのはよかった。
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6寝台列車銀河あかつき さよならの旅

2007年12月31日 01時00分55秒 | 銀河あかつき
第6章 上り寝台特急あかつき

2007/12/23 長崎駅でキハ66・67、キハ200などをスナップしていると空にはおぼろ月が出ている。817系が車内保温のため3つあるうちの真ん中だけドアを開けている。九州の電車にもこういった機能はあるんだなぁと思う。


 寝台特急あかつき号が入線してくる。京キトの車両なので今朝乗ってきたのと同編成だ。上りのあかつきはソロがとれたので個室に収まる。昨夜コ★ジコさんが乗っていた上段の部屋は車両限界により天井が丸くなり圧迫感があったが下段は四角い断面が確保されているので過ごしやすい。長崎を出発するがさっそく浦上でかもめ39号と交換する。長崎駅のホームを空けるためなんだろうけれど出鼻をくじかれるダイヤだなぁ。A寝台個室シングルDXに乗っているコ★ジコさんのところにゆく。さすがにA寝台個室は広く洗面所とコンセントがある。このオロネ14 300番台は改造車なので国鉄オリジナルのオロネ25よりも部屋が広い(1.8倍くらいはあるだろうか)。隣室との境にドアもありコネクティングルームにもなる。旅の成功を祈ってビールで乾杯する。しばらく鉄分濃く語り合ったあとコ★ジコさんが眠そうなので自室に引き上げる。そうしたらソロのナンバーロックが不調で開かず車掌を呼んでマスターキーで開けてもらうと
「廃車寸前の車両なもんで…」
と言い訳しているところにあかつきの末路を見た気がした。肥前浜で白いかもめと交換し、肥前山口では常磐線から姿を消した415系鋼体車を見られた。佐賀を出ておやすみ放送が流れた。


 鳥栖に接近し寝台特急なは号との併結のために10号車のデッキを目指す。寝台特急あかつき号は3番線に着き一度ドアを開けた後博多方に引き上げて1番線に止まっている寝台特急なは号の前に連結するのだ。それを多くの鉄道ファンたちが群がって撮影する。この光景は昭和の時代はみずほ号、平成に入ってからはさくら・はやぶさ号で展開されていたものだが客車の分割・併結も門司の富士・はやぶさ号と鳥栖のなは・あかつき号だけになってしまった。上りあかつき号の機関車が門司まで引いてゆくから下りあかつき号の機関車も「あかつき・なは」の合同ヘッドマークだったのだ。なは号は熊クマの所属であるが昨夜と同じ編成であった。なは号が関門トンネル最後の24系寝台車となりそうだ。鳥栖を出発するとき、ホームで普通電車を待っている家族連れがソロにいる私に向かって手を振ってくれたので盛大に手を振り返して応えたら小学生の娘が笑い転げていた。これも寝台列車ならではだ。


 門司でED76からEF81 400番台に付け替えられる。それを鉄道ファンたちは撮りまくる。下関ではカマの先頭がホームからはみ出しているがEF66への付け替えを撮りまくる。こうして門司と下関でブルートレインの機関車付け替えをしていたことも近く伝説となるだろう。

 上りは厚狭・宇部・新山口と下りが深夜で通過していた駅にも止まる。今夜も洗面所で歯を磨きヒゲを剃り、入念に手を洗って時間稼ぎをしながら携帯電話を充電した。そのかいあって翌24日の夜家に帰るまで携帯電話の電池は十分にもったのであった。

2007/12/24 目が覚めると岡山-姫路間を走っている。外はまだ真っ暗で満月が列車と同じスピードでついてくる。サンライズ瀬戸・出雲とすれ違う。西明石でおはよう放送があり夜が明けると今日は晴れ。三ノ宮駅前に気温8度と掲示してあり外は寒そうだ。大阪で4分泊まり先頭に立つEF66を撮影できた。4番線に銀河が止っているのが見えた。新大阪で遅れてきた寝台特急日本海2号とすれ違う。羽越・北陸本線で大雪でも降ったのだろうか?

 終点の京都駅に着き機関車と最後尾のなは号電源車などを撮る。寝台特急あかつき号の一夜も終わってしまった。


 関西発のブルートレインは今回の旅行で初めて乗ったけれどこれが最後になりそうだ。あかつき・なは号ともに普通のB寝台車は2両しか連結しておらずその他はすべて個室とレガートシート車だ。廃止騒ぎが始まる前はB寝台車2両でも十分な旅客数しかなかったのだろう。寝台特急という移動手段はもはやわが国では死に体のようだ。車両の老朽化に加え整備新幹線工事の進展もあり残された寝台特急にも明るい要素がない。最後の客車寝台特急はどれになるのだろうか?

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5寝台列車銀河あかつき さよならの旅

2007年12月29日 22時06分40秒 | 銀河あかつき



第5章 島原鉄道のキハ20

2007/12/23 長崎9:30の白いかもめ12号自由席に乗る。ゾーン券で自由席に乗れるのだ。シートは革張りでゴージャスである。さきほどあかつきで走ってきた同じ路線とは思えないほどかもめはもうスピードで諫早まで走り抜ける。

 諫早駅で下車して島原鉄道のフリーきっぷを買う。加津佐まで片道2060円、島原外港まで片道1470円だから加津佐を往復する私とコ★ジコさんはありえないようなお買い得なフリーきっぷにびっくり。諫早駅前には最近建設が決まった長崎新幹線を求める立て看板が相変わらず建っていた。
 諫早駅から南島原駅までJR九州キハ125型と同形の島原鉄道キハ2500で南島原駅にゆく。その昔博多から島原鉄道に直通するディーゼル急行もあったんだよなぁと思いながら乗る。車窓に買収劇の舞台となったベスト電気の店が見える。南島原駅では構内で自由に撮影ができるという島原鉄道の粋な計らいでワム80000&ヨ8000救援車や国鉄一般色、首都圏色、島原鉄道ネコヒゲ塗装などのキハ20の撮影を楽しむ。

 南島原12:18の加津佐ゆきは国鉄一般色と首都圏色のキハ20 2連による運行。キハ20の煙突部分の背もたれが厚くなっている様子などなつかしい国鉄一般型気動車の風情と走行音を味わう。南島原駅まで乗ってきたキハ2500に比べれば鈍重な走りであるがこれぞ国鉄気動車だ。車掌が検札にくる。車内補充券はパンチ式のもので昭和の鉄道風景がこんなところにも残っている。

 折り返しの加津佐駅構内も大撮影会になっていて2連のキハ20を撮りまくる。加津佐は海辺の集落である。加津佐で向かいのボックス席に茶髪でホットパンツをはいたギャルが乗ってきたがキハ20には似合わない。やはり清楚な黒髪の少女でないと。干潮を迎えたようで下り列車では海だった所が干上がって船が着底している。ものすごく干満の差が激しい海だなぁと思う。島原を出てキハ20が直結で走る姿はなかなか素晴らしい。車窓に悪名高い諫早湾の水門が見える。


 諫早16:25発の長与回り長崎ゆきに乗る。車両はキハ67だ。転換クロスシートの素晴らしい車両だ。東園付近の海がきれいで電化前にここで急行雲仙など撮ったら素晴らしかっただろうなと思う。本川内ではスイッチバックの旧線の線路がそのままいまだ残されている。
 長崎駅に戻ると改札前広場でどこかの大学の金管アンサンブルがクリスマスソングを演奏している。そうか! 明日はクリスマスイブだ。鉄道研究にのめり込む余りすっかり忘れていた。鉄分だけで長崎まで突っ走って来たけれども思わぬところで吹分を補給できた。
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4-2寝台列車銀河あかつき さよならの旅

2007年12月29日 22時00分39秒 | 銀河あかつき
第4章 下り寝台特急あかつき その2



 3:55に起きて上段寝台を抜け出し首からカメラとストロボを下げて狭い寝台車の通路を1号車のデッキへ行進する。同じことを考えている鉄が4人先着していた。コ★ジコさんは来ない。下関に着きドアが開くとばらばらと前方に移動してここまで引いてきたEF66を撮り同機に代わってEF81 400番台が連結される。関門トンネルを鉄分濃い男達と一緒に1号車のデッキで過ごし門司ではEF81 400番台に代わりED76が連結されるがカマはホームから外れている。ED76側面の真っ赤なJRマークが印象的だ。来年(2008)3月に廃止される寝台特急なは・あかつきに続き2009年3月に寝台特急富士・はやぶさも廃止の公算が高いので寝台特急の電気機関車を下関と門司で交換する光景も東北本線黒磯駅のEF65 1000番台とED75の交換のように過去のものとなろう。寝台車もさることながら旅客会社の機関車の絶滅が心配される。

 6月に寝台特急富士・はやぶさに乗りに行ったおりに宿泊した博多を過ぎるとなんかなつかしい。

 鳥栖で熊本ゆき寝台特急なはと長崎ゆき寝台特急あかつきに分割する。これにはコ★ジコさんも起きてきた。寝台特急なはが熊本へ去ったあとにED76が連結される。単独運転となる寝台特急あかつきも「なは/あかつき」の合同ヘッドマークだ。鳥栖から周遊きっぷ長崎佐賀ゾーン券に入る。
 かつて寝台特急さくらが佐世保編成を分割した肥前山口を過ぎる。海から昇る朝日が美しく今日は晴れそうだ。海沿いのカーブで大きく左に曲がると赤い機関車が青い客車を引いている様子が見える。湯江で白いかもめ6号の交換待ち。そして市布では白いかもめ1号に追い抜かれ、長崎目前の現川で10分停車し白いかもめ8号と817系普通の交換待ち。なんのとのどかな特急である。浦上ではかもめ10号が交換待ちしていた。
 長崎駅に着き大撮影会が始まる。ED76や最後尾のレガートシートにカメラを持った鉄が群がる。長崎運転所からやってきたDE10が最後尾に付きED76ごとあかつきを引き上げてゆく。そしてED76を切り離し客車を洗浄線に押し込んだ。
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4-1寝台列車銀河あかつき さよならの旅

2007年12月29日 00時28分27秒 | 銀河あかつき


第4章 下り寝台特急あかつき

2007/12/22 京都駅で山陰本線113系、はるか、ワイドビューひだ、スーパーはくとなどをスナップして過ごす。コ★ジコさんとホームで寝台特急はな・あかつき号を待っているのだが夜の京都は寒い。EF66のプッシュプルで寝台特急はな・あかつき号が入線してきて後部のEF66が切り離されると多くの鉄道ファンたちが撮りまくる。寝台特急出雲が廃止になったときの東京駅のようなフィーバーではないが廃止が近付くにつれ盛り上がりも加速するのであろう。
 新大阪で特急サンダーバード44号の接続をとるため7分停車。大阪でも6分停車する。大阪で子供連れで乗っているお父さんから家族で乗ったが寝台が離れたということで相談を受け9号車の3上から同じ車両の6上に移動する。向かいの5上下はさわやかな若いカップルである。若い女性連れで寝台特急に乗るとはめずらしい。
 三ノ宮でポートライナーの屋根に電飾がついているのに驚いた。関西人は新交通システムまで電飾してしまうとは。明石海峡大橋を案内する放送が入る。コ★ジコさんら鉄と10号車のミニロビーで憩う。ロビーにあるカード式公衆電話で自宅に連絡をするが、携帯電話が普及したいま列車のカード式公衆電話を使う人も少ないであろう。姫路でおやすみ放送が流れる。

 今回の旅はホテルに泊まらず寝台列車三連泊である。よってブログ書きに使用している携帯電話をホテルで充電することができないから発信する時以外は電源を切って節電している。しかし現在の鉄道研究旅行は充電式の電子機器が多くなり洗面所のコンセントにデジカメ?の電池や携帯電話を差したまま置いてあるのを見掛けたが盗まれることはないだろうが水を掛けられる心配がある。だから筆者はヒゲをそり歯を磨く間だけ洗面所のコンセントに携帯電話をさして充電することにした。それゆえ誰も待っている人がいないのをよいことに入念に手を洗いヒゲをそり歯を磨いて時間かせぎに努めた。そして関門トンネルでの機関車交換に備え23時に寝た。
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3寝台列車銀河あかつき さよならの旅

2007年12月29日 00時26分50秒 | 銀河あかつき


第3章 京都に向かって

2007/12/22 交通科学博物館で15時過ぎまでまったりと過ごしコ★ジコさんと大阪市営地下鉄に乗り本町乗換で御堂筋線淀屋橋まで乗車する。淀屋橋の地下通路を歩いて京阪の淀屋橋駅に出てなんとなく急行枚方市ゆきに乗り東福寺駅を目指す。途中香里園駅で後続の特急に抜かれた。コ★ジコさんは銀河で寝ていないのか爆睡している。枚方市駅で特急に乗りかえ二階建て車の下階にすわり丹波橋駅へ。ここで普通に乗り換えて東福寺駅に着いた。京阪の改札を出てJRの改札をsuicaで入ると103系がすぐに来た。モハ102に乗って桃山にゆく。

 桃山駅は1年前に柳本古墳群を見にいったおり奈良線に乗り大変に風情のある駅なので一度下車してみたかったのだ。木造の古びた上屋が大変によい雰囲気の駅で電車よりもキハ20やキハ58が走ってきたらとてもよく似合う駅だ。すでに日没後なので駅構内でスナップ撮影をするのみで京都に103系で引き上げる。
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2寝台列車銀河あかつき さよならの旅

2007年12月29日 00時21分12秒 | 銀河あかつき


第2章 交通科学博物館

2007/12/22 JRで弁天町まで行っても別途乗車になるので私の発案でコ★ジコさんとともに大阪市営地下鉄御堂筋線に本町まで乗車する。同地下鉄に乗るのもすんごく久しぶりなので楽しい。本町で24901という横浜市営地下鉄によく似た第三軌条方式の電車に乗り換えて九条ると地上に出る。片側4車線の道に車が全然走っていない。弁天町に着き交通科学博物館の開館まで時間があるので小雨が降っていることもあり弁天町バスターミナルで時間をつぶした。

 10時を回り交通科学博物館が開館する。入館するとクリスマスの記念カードをもらえた。国鉄のリニアモーターカー実験車両ML-500に昭和の鉄道少年たちは萌えるのである。東海道新幹線22-1もその奥にある。0系なんて東京駅から姿を消してこのかた初めて見たなぁ。EF52型電気機関車のデッキに立つ。デッキ付き電気機関車のデッキに立つのは中学生の時南武線のED16型を見て以来の夢がかなう。ビジネス特急こだま号に使われたクハ151型や東海道新幹線22-1の運転台にすわり記念撮影する。館内の展示を見ていると雨足が強まってきて午後から京都の生め小路蒸気機関車館にゆくつもりでいたが中止する。221系のシミュレーターにすわるとなぜか走っているのが中央本線の国立付近。221系の運転台から国立駅のホームを見るのは違和感がある(笑)
 第2展示場にゆく道路を渡るための歩道橋が屋根なしでひぇ~っと思いながら傘を差して渡りDD13、DF50、DD54を見る。DF50とDD54は生まれて初めて現物を見るディーゼル機関車だ。DD54は寝台特急出雲の牽引機であったがいろいろと不具合があったようで短命に消えた機関車だ。DD54の運転席にすわり記念撮影する。

 プラットホームプラザの80系電車1次車とキハ81はつかり、C62、D51、マロネフ59、スシ28、230形蒸気機関車などを撮影した。蒸気機関車の時代にはなくてはならなかったホームに設置されている洗面所が保存してあるのがポイント高い。ナシ20のレストランでカツカレーを食べる。食堂車をそのままレストランにしている点が好ましくテーブルもナシ20の跳ね上げ式の物を使用しており大変素晴らしい。
 ミュージアム探検ツアーの案内放送がありコ★ジコさんと集合場所にゆく。今日は雨降りなので館内の車両を中心に見て回ることになりまずは東海道新幹線ビュフェ合造車の36型の転換クロスシートにすわってガイド役の女性職員の説明を聞く。この灰色と青のモケットの転換クロスシートは筆者が子供の頃乗った新幹線のイメージそのままのシートであり、肘掛けの下から引き出す小形のテーブルがなつかしい。そしてビュフェ室内でかなり旧式な冷蔵庫や電子レンジ、スピードメーターの説明を受ける。EF52型電気機関車のデッキから車内に入り機械室を見られた。とても狭くて写真は撮れなかった。そして硬券の印刷機で入館記念券の印刷体験がある。用紙と版木をセットしてハンドルを手で回す(工場では電動だった)と硬券の入館記念券が印刷されて積み上がる仕組みだ。入館記念券に日付印字機でカチャッと日付を刷りパンチを入れるとミュージアム探検ツアーは終了した。
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1寝台列車銀河あかつき さよならの旅

2007年12月29日 00時18分42秒 | 銀河あかつき


プロローグ

 お友達のコ★ジコさんが廃止の決まった寝台特急にあかつき号乗って九州に行くと連絡があった。当初私はそれを聞いて「ふ~ん」としか思わなかったが、のちに私も同じ列車に乗りたくなり同行を志願。寝台番号を教えてもらいコ★ジコさんは下りあかつき号がB個室寝台ソロ、上りあかつき号ががA個室寝台シングルDXであるので同じ車両に乗るべく川崎駅のみどりの窓口にゆくがコ★ジコさんが乗るあかつき号の個室寝台は下りがすべて売り切れでB寝台の上段、上りはB個室ソロがあるので迷わず買い京都までの足はこれまた廃止が決まった寝台急行銀河のA寝台を志願したが売り切れでB寝台の上段となる。銀河のA寝台は昨秋乗っているのでよしとしよう。廃止の決まった列車でなおかつの三連休である。B寝台の上段でも乗れるだけでも幸せである。乗車券は周遊きっぷ長崎佐賀ゾーンを使用。ゆき券は東海道・山陽・鹿児島線経由、かえり券が鹿児島線・山陽・東海道・京都・新幹線経由。東海道新幹線を経路に含むけれど601キロを越えているので2割引である。

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第1章 下り寝台急行銀河号
2007/12/21 今回は当初コ★ジコさんは22日の新幹線で京都入りする予定だったけれど筆者が下り銀河に乗ると通知すると彼も同じ列車に乗ることに決めた。二人は同じ号車だがそれぞれ別の区画の上段だ。

 19時頃コ★ジコさんからこれからこだま586号で静岡駅を出ると連絡があり同列車の東京着に合わせて20:23発の東海道本線普通で川崎駅を発つ。コ★ジコさんと落ち合う地点を具体的に電話で話さなかったのでかれは自由席で来るだろうと予測し東海道新幹線南乗換改札口の前で待っていると20:56果たしてコ★ジコさんは現れた。鉄分濃い男達の集合に言葉は不要なのだ。コ★ジコさんとマリン党の宴会でおなじみの八重洲地下街「花月」に行って前夜祭。普段コミケ時期の夜にしか同店に行ったことがなかったのですいているイメージでいたが三連休前の金曜日でサラリーマンたちでほぼ満席であった。


 東海道本線10番線に上がると寝台急行銀河はすでに入線していた。出発が23時と遅いのでコ★ジコさんとはそれぞれに撮影したら乗り込んで寝る事を申し合わせ撮影に入る。24系寝台車に乗るのもこれが最後かもしれないなと思いながら撮影する。今夜は三連休前の金曜日でさよなら乗車の鉄道ファンが殺到しているので寝台急行銀河は8両に増結しているのに満員。筆者の乗る区画も向かい合わせの上下が埋まっている。客車B寝台の上段に乗るのは数年前函館から日本海4号に乗ったとき以来だ。客車B寝台の通路の情景などに昭和の香りを感じる。
 東京駅を出発。発進時の衝撃が客車列車ならではだがこういった体験もいつまでできるのだろうか。客車列車自体が絶滅の危機だ。時間も遅いのでもう寝るよりない。通路の折り畳みイスで地元川崎駅通過を確認してから上段の寝台に入る。重心よりも高い位置にいるのでふわふわとした揺れを感じる。夜中にいくつかの駅に停車したのを感じた。向かいの寝台で大いびきが聞こえる。


 2007/12/22 米原6分停車は寝坊したので車内で過ごした。大津の手前でおはよう放送が入り
「今日は12月22日土曜日です…」
という出だしにこういった夜行列車特有の車内放送もいずれ聞けなくなると感じた。京都-新大阪間で内側線を走る221系快速に抜かれた(涙・後にどこかの駅に停車しているおりに抜き返した)
 大阪駅に着きホームでコ★ジコさんと合流。(よって彼が銀河に乗っている姿は一度も見ていないので推理小説なら彼は何らかのトリックを使いアリバイ工作をしているところであろう)コ★ジコさんと寝台急行銀河を筆頭に大阪環状線103系高・低運転台車、201系、キハ181系かにカニはまかぜ、681系サンダーバードなどを1時間以上に渡って粘りスナップした。
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京都から東京駅に着く

2007年12月24日 20時08分26秒 | 銀河あかつき
のぞみ36号は定刻に東京駅に着きました。あとは東海道本線で川崎に帰ります。

21日夜からの今回の旅の書き込みをお読みいただき、またコメントいただきありがとうございました。
いずれ海神奈川鉄道研究会で詳細なレポートを載せるつもりです。
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私は鉄欲の権化

2007年12月24日 19時03分45秒 | 銀河あかつき
京都駅で買った精進弁当を食べました。大変においしい駅弁でした。
精進料理とはお坊さんが食べるものであり五戒を守り生活するものなのでしょうが、私はビールを飲みながら食べていたのでさしずめ鉄欲の権化というところでしょう。
東京まであと1時間です。
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京都私鉄乗り歩き

2007年12月24日 18時05分50秒 | 銀河あかつき
梅小路蒸気機関車館を出てからどうしたかというと、同館から山陰本線丹波口駅まで歩き、京都駅に戻る。

そして近鉄電車に乗って丹波橋駅へ。ここから路線バスに乗りどこかへゆこうと思ったらこの駅には路線バスがない!
仕方なく京阪電気鉄道に乗り中書島乗り換えで京阪宇治に向かいます。
京阪電気鉄道の宇治線は渋い魅力を放つローカル線で黄檗でJR奈良線に接し、京阪宇治駅の目の前をJR奈良線の鉄橋が横切っているけれどもJR奈良線の宇治駅は宇治川の対岸という意地悪なレイアウトでJR駅まで歩いてゆくつもりで駅前に出ると近鉄大久保駅ゆき京阪宇治バスがいて衝動乗り。
宇治市役所を経て住宅街を抜けてJR奈良線新田駅を通り近鉄大久保駅に着きました。近鉄電車で京都駅に戻ります。

京都駅から山陰本線の嵯峨嵐山駅へ。駅前のSL館のD51、C56、C58を見学。ここにこのような施設があったとは知らなんだ。

渡月橋を渡りお土産に八つ橋を買って阪急嵐山駅に着きました。25分は歩いたろうか。同線には戦時中に単線化された名残がいまも濃い。
桂から特急で烏丸に出て京都市営地下鉄四条駅から京都駅に戻り新幹線のぞみ36号で東京に向かっています。
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梅小路蒸気機関車館に来ています

2007年12月24日 11時22分38秒 | 銀河あかつき
京都駅から京都市バスに乗り梅小路蒸気機関車館に来ています。
C62が引くSLスチーム号に乗れました。
蒸気機関車はいいですね。
写真はご存知デゴイチ
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三ノ宮を出発

2007年12月24日 06時57分20秒 | 銀河あかつき
寝台特急あかつき号は三ノ宮を出発しました。
東海道本線に入りいよいよ寝台特急あかつき号の旅も最終コースに入りました。降りるのが惜しいです。

今日はおととい行けなかった梅小路蒸気機関車館にゆきます。天気も晴れなので今日にして正解でした。
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姫路に向かって

2007年12月24日 05時48分50秒 | 銀河あかつき
目が覚めると寝台特急あかつき号は岡山から姫路に向かって走っているところでした。
サンライズ瀬戸・出雲とすれ違いました。
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