中米・カリブ海に浮かぶハイチ。国家としての歴史は古く、ナポレオンの時代に抵抗勢力が仏軍を破り(ヴェルチエールの戦い)、1804年に黒人国家として初めての共和国となる。しかしその後の歩みは残念ながら混乱、内紛、貧困の中・・・そして今日に至っている。
このハイチに関して、アフリカニュースを見ていたところ、こんな情報が目に入った。
ハイチはアフリカ連合(AU)の正式加盟国とならず(VOAより)
Haïti ne deviendra pas membre de l’Union Africaine
え?どうして中米の国が「アフリカ」連合に加盟するか、問題になっているの?・・・そこには深い訳が。
熱帯に位置する小さな島をドミニカ共和国と半分に分けるハイチ。人口約1,100万人、カリブ海で唯一のフランス語圏だ。
ここに住む多くの人は黒人。その多くが16-17世紀頃、奴隷貿易によってアフリカ、特にギニア湾のダホメ(現在のベナン)から運ばれてきた。
ベナンの主要都市、コトヌから西に約40km、ウィダ(Ouidah)には、世界遺産となっている「帰らざる門」(La porte du non-retour)のモニュメントがある。現在ハイチに暮らす黒人の祖先は、このビーチから奴隷として運ばれていったダホメの人たちとされる。生活の慣習やブードゥーの文化など、文化を分け合う関係があり、ベナン人とハイチ人は兄弟だ、とお互いに考えている。実際、ベナン人の多数がハイチ人の「帰化権」に賛成の立場だという。
(参考記事)
祝・ベナン建国記念日
(ベナン・コトヌのホテルで見かけた絵。彼らはこれからハイチに向かうのだろうか。)
さらに、この国が重ねてきた混乱と内紛、そして現在の開発の問題は、さながらアフリカのそれ。いや、そのものである。2010年1月の大地震では甚大な犠牲と被害を生み、いまだ多くの痕跡が残る。先の大統領選挙も混乱の中で二転三転。この国がアフリカの同胞と考えられていることには相応の理由がある。
そんなことから、実はハイチは中米の国でありながら、すでにアフリカ連合のオブザーバーとなってきた。2012年1月のアフリカ連合総会では、ハイチ代表団が「アフリカ連合に加盟したいという強い意志を持っている」と発言。会場から喝采を浴び、同年6月のマラウィ開催となる総会で「域外全権準加盟国」(membre associé à part entière)の地位が可決されるのでは、との話も持ち上がった。
ハイチのAU加盟支援は、AU内で大きな発言力、影響力を持ってきたリビアのカダフィ大佐(当時)からも強く支持された。また、2010年の震災のあと、セネガルのアブドゥライ・ワッド大統領は、アフリカ大陸の中にハイチ人のための国家を建設すべきではないか、との意見も述べている。
そして今般もハイチのアフリカ連合への加盟といった期待や可能性がささやかれてきたのだ。
しかし掲出の記事の見出しのとおり、その見とおしは残念ながら当面閉ざされたようだ。記事はこう述べている。
アフリカ連合の総会事務局スポークスマンは、今次総会でハイチ加盟については議論されないと断言。「AUはそのような事実は承知していない。」これまでどおりオブザーバーの地位にとどまると複数メディアに対して示唆した。
AU憲章第29条では、第一項に「アフリカ国家のみが加盟することができる」と規定。スポークスマンはこの条項が見直されない限り、ハイチのAU加盟への道は開かれない、とした。
7月にルワンダのキガリで開催される次期AU総会で加盟が承認されるとの話が出ていた。
確かにアフリカの同胞が多くそこに住み、そして政治、経済、社会など多くの問題をアフリカの国々と共有するハイチ。加盟の可能性が議論され、またそれがある種の国によって望まれていることは十分理解可能だ。
他方、ハイチは難しい内政の問題と紛争を抱えてきた。国連ミッションが展開し、治安や行政機能の一部を代替し、また地震からの復興も十分進んでいない。現段階でハイチがAUに加盟すれば、大きな負担となることもまた事実。
フランス語にはこんなことわざがある。
'On reconnaît des vrais amis dans le moment difficile.'(まさかの友こそ真の友)
かくしてハイチは「オブザーバー」として、アフリカの準友達でいつづけることとなった。
(おわり)
このハイチに関して、アフリカニュースを見ていたところ、こんな情報が目に入った。
ハイチはアフリカ連合(AU)の正式加盟国とならず(VOAより)
Haïti ne deviendra pas membre de l’Union Africaine
え?どうして中米の国が「アフリカ」連合に加盟するか、問題になっているの?・・・そこには深い訳が。
熱帯に位置する小さな島をドミニカ共和国と半分に分けるハイチ。人口約1,100万人、カリブ海で唯一のフランス語圏だ。
ここに住む多くの人は黒人。その多くが16-17世紀頃、奴隷貿易によってアフリカ、特にギニア湾のダホメ(現在のベナン)から運ばれてきた。
ベナンの主要都市、コトヌから西に約40km、ウィダ(Ouidah)には、世界遺産となっている「帰らざる門」(La porte du non-retour)のモニュメントがある。現在ハイチに暮らす黒人の祖先は、このビーチから奴隷として運ばれていったダホメの人たちとされる。生活の慣習やブードゥーの文化など、文化を分け合う関係があり、ベナン人とハイチ人は兄弟だ、とお互いに考えている。実際、ベナン人の多数がハイチ人の「帰化権」に賛成の立場だという。
(参考記事)
祝・ベナン建国記念日
(ベナン・コトヌのホテルで見かけた絵。彼らはこれからハイチに向かうのだろうか。)
さらに、この国が重ねてきた混乱と内紛、そして現在の開発の問題は、さながらアフリカのそれ。いや、そのものである。2010年1月の大地震では甚大な犠牲と被害を生み、いまだ多くの痕跡が残る。先の大統領選挙も混乱の中で二転三転。この国がアフリカの同胞と考えられていることには相応の理由がある。
そんなことから、実はハイチは中米の国でありながら、すでにアフリカ連合のオブザーバーとなってきた。2012年1月のアフリカ連合総会では、ハイチ代表団が「アフリカ連合に加盟したいという強い意志を持っている」と発言。会場から喝采を浴び、同年6月のマラウィ開催となる総会で「域外全権準加盟国」(membre associé à part entière)の地位が可決されるのでは、との話も持ち上がった。
ハイチのAU加盟支援は、AU内で大きな発言力、影響力を持ってきたリビアのカダフィ大佐(当時)からも強く支持された。また、2010年の震災のあと、セネガルのアブドゥライ・ワッド大統領は、アフリカ大陸の中にハイチ人のための国家を建設すべきではないか、との意見も述べている。
そして今般もハイチのアフリカ連合への加盟といった期待や可能性がささやかれてきたのだ。
しかし掲出の記事の見出しのとおり、その見とおしは残念ながら当面閉ざされたようだ。記事はこう述べている。
アフリカ連合の総会事務局スポークスマンは、今次総会でハイチ加盟については議論されないと断言。「AUはそのような事実は承知していない。」これまでどおりオブザーバーの地位にとどまると複数メディアに対して示唆した。
AU憲章第29条では、第一項に「アフリカ国家のみが加盟することができる」と規定。スポークスマンはこの条項が見直されない限り、ハイチのAU加盟への道は開かれない、とした。
7月にルワンダのキガリで開催される次期AU総会で加盟が承認されるとの話が出ていた。
確かにアフリカの同胞が多くそこに住み、そして政治、経済、社会など多くの問題をアフリカの国々と共有するハイチ。加盟の可能性が議論され、またそれがある種の国によって望まれていることは十分理解可能だ。
他方、ハイチは難しい内政の問題と紛争を抱えてきた。国連ミッションが展開し、治安や行政機能の一部を代替し、また地震からの復興も十分進んでいない。現段階でハイチがAUに加盟すれば、大きな負担となることもまた事実。
フランス語にはこんなことわざがある。
'On reconnaît des vrais amis dans le moment difficile.'(まさかの友こそ真の友)
かくしてハイチは「オブザーバー」として、アフリカの準友達でいつづけることとなった。
(おわり)