ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

アフリカからヨーロッパを目指す移民~難民映画祭'HOPE'を振り返って

2015-10-06 07:30:47 | アフリカ情勢
先日の難民映画祭'HOPE'、上映のあとにトークをさせていただいたが、きょうは少しその補足を。


【お礼】難民映画祭『HOPE』上映&トークにお越しいただきましたみなさま、ありがとうございました

アフリカ人の知人からシェアを受けたアカウントに、アフリカから欧州に押し寄せる移民問題を描いた風刺画が掲載されていた。この問題の一面を端的に表現している。



アフリカからヨーロッパに、大量の不法移民が押し寄せていることがメディアで報じられている。その多くが欧州に新たな生活の糧を求め、一縷の希望を胸に、命をかけて北を目指す。

しかしその過酷な旅は、映画でも見たとおり、極めて長く、辛い道のりで、途中力尽きて命を落とす人々も少なくない。また陸路で地中海を目指すにはいくつもの中継地を経ていくわけだが、そこには国籍ごとの縄張りがあり、カネと暴力が支配する。パスポートやビザのない密航者にチョイスはない。ゲットーに身を委ねることとなる。なんのために祖国を出てきたのか。

そしてなんとかヨーロッパ領たどり着いても、少なからずの人が国境警備当局に収容され、ほどなく無財のまま再び出発地に送り返される顛末となる。なんとも痛ましい。

この話、昨日今日始まったような新しい話ではない。もう何十年も同じようなことが繰り返されてきた。ヨーロッパの各都市にアフリカコミュニティが存在し、そのなかにはこのようなルートを辿った人も少なくない。そして彼らの収入が、アフリカの家族や村を支えている。ウエスタン・ユニオンなどヨーロッパからアフリカへ携帯電話のSMSで簡単に送金ができるサービスが発達しているのはこのような背景からだ。

しかしそのルートはこれまで変遷を経てきた。15年ほど前は、モーリタニアやセネガルの海岸から、ピローグと呼ばれる小さな船にギュウギュウ詰めのまま、アフリカに最も近い欧州、つまりモロッコ沖のスペイン領、カナリア諸島を目指した。

これに対し、フランス始めヨーロッパの協力を得て、アフリカ西岸の取り締まりが強化された。またカナリア諸島の水際も警備で固められていく。

次第に出発地はギニアビサウ、ギニアと南下していく。また目標地点もジブラルタルのスペイン領に向けられる。当然、その航路は長くなり、さらに危険で厳しいものになっていく。

そのうち、大西洋を渡り、アメリカ本土を目指す無謀な旅も試みられるようになったと報じられた。


そして最近では、警戒の厳しい海岸ルートではなく、国境管理が困難なサハラ砂漠を超える内陸ルートを多くの移民がたどることとなっている。この地域はただでさえ気候が厳しい上に、近年ではイスラム急進派の活動が活発化し、地域の治安が極めて不安定となってきたゾーンである。

主要なルートもいくつかあるが、メインには、アフリカ大陸西岸やギニア湾岸から砂漠地帯、ニジェールのアガデズ、アルジェリアのタマンラセットを経て、アルジェリア領を縦断。モロッコには入り、スペイン領メリリャを目指す。

また無秩序がデファクトとなっているリビアは新しいルートだ。南部はアルジェリア系イスラム武装勢力の、また北部はイスラム国系の勢力の拠点にもなっており、欧米による国境管理の直接支援も及ばない。そして地中海を渡り、イタリア沖を目指す。

そう、このルート図。


トークに参加いただいた方から、「彼らは移民か、難民か」との問いをいただいた。非常にいい質問すぎて、私には答えられない。正確にはUNHCRなどにも話を聞いてみたい。

上述のとおりヨーロッパを目指すアフリカ人の流れは絶えることなく続いてきた。彼らは経済的な「移民」として扱われてきたことが多かったと思う。しかし2012年頃からはマリ内戦、サヘル危機、ボコハラムなどの暴力から逃れる人々、とのニュアンスが変わってきた。しかし経済的移民の性格も同時に帯びているし、そもそも伝統的な経済的移民の流れも絶えることがない。この辺の区別は現実的には大変難しい。


映画HOPE'はアフリカからヨーロッパを目指す人の流れについて、改めて深く再考させられる名画だったと思う。

(おわり)

10/25(日)札幌で難民映画祭'HOPE'上映、終了後ンボテ飯村のトークがあります。ぜひお越しください!
UNHCR難民映画祭ウェブサイト

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。