ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

荒れるトーゴ・もう1つの憲法問題(4)〜野党の新しい風

2017-10-22 08:00:16 | アフリカ情勢
野党支持者や市民のデモ、示威行為で荒れ模様が続くトーゴ。1992年の第四共和制憲法公布から25年、大統領任期の制限と、ニャシンベ一族による50年にわたる支配体制終焉を求める野党の示威行為はますます高まりを見せ、特にことしの8月以降、首都のロメをはじめ、全国でデモが発生してきた。


(ここまでのあらすじ)
荒れるトーゴ・もう1つの憲法問題
第一話 大統領任期問題
第二話 ニャシンベ一族の支配
第三話 政局の中で

前回、大きなデモ行動が組織されてきた背景は、トーゴの政局とも深く関係する、と述べた。この勢いには、ある新しい勢力が大きな原動力となっている。

少しトーゴの野党氏を振り返ってみたい。

90年代の民主化以降、野党の主導を担ってきたのは、初代大統領シルバヌス・オランピオの子息、ジルクリス・オランピオだった。25年にわたる亡命生活ののち民主化のための国民会議を機に帰国。野党連合「変革勢力連合」(Union des forces de changement : UFC)を組織すると、以降、野党勢力をリード。大統領選挙のたびに立候補してきた。

2010年の大統領選挙では、野党は長年UFCを支えてきたジャン・ピエール・ファーブル氏を統一候補としたが、ニャシンベ体制を崩すには至らなかった。

しかし選挙後に大きな政局の動きがある。開票結果に対する野党の講義が冷めやらぬ中、野党リーダーのオランピオ氏が、フォール・ニャシンベ大統領の政権与党に協力することを決定、UFCが入閣することとなった。これに対し野党が分裂。変革のための国民連合(Alliance nationale pour le changement: ANC)が誕生し、以降、今日まで野党の主流の流れをジャン・ピエール・ファーブルが主導することとなる。


そして今年にはいって、野党はこれまでなかった規模で反政府行動を刺激、過激化させている。8月には首都ロメならず、中北部や北部でも激しいデモが発生。9月にも勢いは揺るがず、仏紙'Le Monde'は9月7日の記事で「6日のデモ行動は、未だかつてトーゴの野党が組織したことのない規模で支持者を動員することに成功した」と述べている。そしてこの波は9月末のデモ、10月7日のソコデ事件、8日のロメでの反政府行動に続いていく。

今回の一連のデモの特徴は、その規模のみならず、地域的なところにも現れている。旧来、野党デモは支持層が多い首都圏で生じることが多かったが、今回、長く現職大統領の地盤となってきた北部で勢いを増していることだ。

一体野党に何が起きたのか。


それは野党にうまれた新勢力の隆盛だ。主導するのは・・「汎アフリカ国民党」(Parti national panafricain : PNP)なる勢力を率いる、ティクピ・アチャダムなる人物である。

メディア情報によれば、アチャダム氏は50歳。もともと野党「再生のための民主主義党」(Parti démocratique pour le renouveau: PDR)に身を置いていた。2007年、PDRが与党に傾倒したことに反発し、離脱。しばらく政界に姿が見られることはなかった。

その後、2014年にPNPを創設。PNPは現在、国民議会に議席はなく、大統領選挙への立候補の経緯もない。それどころか広く知られることもなかったのだが、2016年末頃から活動が観察されるようになり、頭角を現したのは実は今年に入ってからである。一説には、彼の大きな資金ソースが、旧宗主国ドイツにあるトーゴ人コミュニティからの送金だという。


PNPは、民衆を扇動し、抗議デモへの参画を呼びかけた。そして野党リーダーのジャン・ピエール・ファーブルに連携をもちかけ、大きなシナジーを生むことに成功した。アチャダム氏は、ムーブメントを首都のロメやその他の地域にも広げ、主流化させたかった。一方のファーブル陣営にとっても永遠の野党となりつつあり、新しい風が必要だった。2名の死者を出した8月の抗議デモは、2人にとっての闘争の勝利でもあった、とも報じられている。9月6日のデモが、10万人単位の動員があったことは歴史的であった。


PNPが注目されるのは、単に新旋風のインパクトという意味だけではない。ソコデ、カラ、サンサネ・マンゴなど、大統領のお膝元で地盤である北部に大きなムーブメントを巻き起こしている点も注目だ。これはなぜなのだろうか。


北部地域はニャシンベ一家の出身地であり、支持の地盤でもあった。しかし同国の開発は沿岸地域が先行し、近代的な商業港や、高層ビルがあるロメは著しく発展したが、大統領のお膝元は開発から取り残されてきた現状がある。

アチャダム党首は中北部のソコデ出身。そしてムスリムだ。トーゴでは北部になるほどムスリムの割合が多くなる。北部の支持を受けるべきバックグラウンドがある。

10月7日にソコデでイスラム指導者が勾留されたことに対する激しいデモが生じたが、この経緯も上記のコンテクストで捉えることができる。

(トーゴ北部に通じる国道)


両者の共通の政治目的は「打倒、ニャシンベ一族支配50年」。オリジナルの第四共和制憲法の即時発効を主張するが、現実的には2020年の大統領選挙だ。野党間でのライバリティもこれから出てくることが想定されるが、両者は「さしあたりの連帯と団結」で、アンシャン・レジームを打破させることで一致している。


小さなトーゴを大きく揺るがすムーブメントが、全国規模で起きつつある。今後、トーゴ当局は一層野党への対応に手を焼くこととなりそうだ。

(つづく)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。