まずもってカメルーンの皆様にはナショナルデーのお祝いの言葉を述べたいと思う。
先に「祝・トーゴ独立記念日」と題する過去記事を書いているが、今回は「独立記念日」とは書いていない。そこがカメルーンの歴史の複雑な部分だ。
カメルーンは中部アフリカの「大国」といっていいだろう。少なくとも中部アフリカ経済通貨同盟(CEMAC)6カ国の中では最大の2,000万人を擁する。そこに200をこえる部族が共存する。「アフリカのるつぼ」とか「アフリカの縮図」と言われるのはその所以だ。
気候の面でも多様。南部は熱帯雨林でジャングルが広がるが、北に行くほど雨量が少なくなり、サバンナにとけ込んでいく。そしてこの北部、ナイジェリア、チャド、中央アフリカといった難しい国と国境を面しており、しばしば同地域の不安定化リスクとなる。
現カメルーンの国土の多くは、独立前、仏領カメルーンだった地域。他方、西部の一部は1885年のベルリン植民地再分割会議でドイツ領とされた地域(前出のトーゴと同じ、ということになる)。第一次世界大戦でドイツが敗戦すると、その領土の半分が仏、残り半分が英領となり、それぞれ信託統治領とされた。
仏領カメルーンは1960年1月にいち早く独立を果たす。その後、英信託統治領のカメルーンは住民投票により1961年2月に「西カメルーン」として誕生。同10月には西カメルーンとカメルーン共和国が連邦制を形成、「カメルーン連邦共和国」となる。さらに1972年5月に連邦制を廃止、カメルーン共和国が誕生する。この日、つまり5月20日がカメルーン連邦記念日、ナショナルデーとなった。
かくして旧仏領と旧英領、仏語圏と英語圏の共生(cohabitation)が始まる。感覚的に人口比や影響力などからみると、8:2くらいの感じだろうか。
さて、現代のカメルーン。この国は石油を産出する他、天然ガスの開発期待がますます高まる。先述の森林、包蔵水量も有効資源だ。さらにドゥアラの港は内陸国の公益の要衝ともなるなど、高い経済・開発ポテンシャルを持つ。
しかしなぜかわからないが、私の目には政策がダイナミックに動いている感じがしない。マクロ経済政策もあまりにパッシブな印象を受けるのはわたしだけだろうか。
カメルーンの現政権、ポール・ビヤ大統領が政権についたのが1982年。以降、ビヤ体制は実に30年をこえた。多様性の中で地縁・血縁がきわめて重要なこの国で、ビア大統領は長期政権維持のためのいろいろな政策を用いた。たとえば「三権分立」。大統領は南部の出身。他方、首相は旧英領、国民議会議長は北部、など、トロイカ体制を敷き、地域ごとに利益配分する。また定期的な「魔女狩り」により、政治的有力者の刈り取りを行なってきたとも言われる。長期政権による「安定」のもと、他方で社会の矛盾やひずみが蓄積されている懸念が残る。
近年では、健康問題がささやかれているのみならず、年のかなりの時期を海外、特にフランスで過ごしていると言われる。彼の実効力はどれほどなのだろうか。また急に政権が変わるリスクを織り込んでおくべきなのだろうか?すでに過去ログでもしばしば触れているが、そろそろポスト「ポール・ビア」体制を想定しておかなければならないとも思う。
日本人にとって、カメルーンといえばサッカーだろう。2002年の日韓共催ワールドカップではキャンプ地、大分県中津江村への到着が遅れに遅れ、話題を呼んだ。
アフリカでも「Les lions indomptables」(不屈のライオン)との愛称で呼ばれ人気を誇った。しかしここへきて急ブレーキ。今年のアフリカ・カップ・サッカー では予選敗退となったばかりでなく、こともあろうか、隣国の「サッカー小国」、ガボンにも敗退を喫した。いずれも協会の運営に起因する問題が大きいといわれ、同国のガバナンスの難しさを物語る。
ああ、私にとってはそんなに知識がある国ではないのに、なぜか話は止まらない。カメルーン国民の皆さんにお祝いのメッセージと敬意を表しつつ、この辺で。
先に「祝・トーゴ独立記念日」と題する過去記事を書いているが、今回は「独立記念日」とは書いていない。そこがカメルーンの歴史の複雑な部分だ。
カメルーンは中部アフリカの「大国」といっていいだろう。少なくとも中部アフリカ経済通貨同盟(CEMAC)6カ国の中では最大の2,000万人を擁する。そこに200をこえる部族が共存する。「アフリカのるつぼ」とか「アフリカの縮図」と言われるのはその所以だ。
気候の面でも多様。南部は熱帯雨林でジャングルが広がるが、北に行くほど雨量が少なくなり、サバンナにとけ込んでいく。そしてこの北部、ナイジェリア、チャド、中央アフリカといった難しい国と国境を面しており、しばしば同地域の不安定化リスクとなる。
現カメルーンの国土の多くは、独立前、仏領カメルーンだった地域。他方、西部の一部は1885年のベルリン植民地再分割会議でドイツ領とされた地域(前出のトーゴと同じ、ということになる)。第一次世界大戦でドイツが敗戦すると、その領土の半分が仏、残り半分が英領となり、それぞれ信託統治領とされた。
仏領カメルーンは1960年1月にいち早く独立を果たす。その後、英信託統治領のカメルーンは住民投票により1961年2月に「西カメルーン」として誕生。同10月には西カメルーンとカメルーン共和国が連邦制を形成、「カメルーン連邦共和国」となる。さらに1972年5月に連邦制を廃止、カメルーン共和国が誕生する。この日、つまり5月20日がカメルーン連邦記念日、ナショナルデーとなった。
かくして旧仏領と旧英領、仏語圏と英語圏の共生(cohabitation)が始まる。感覚的に人口比や影響力などからみると、8:2くらいの感じだろうか。
さて、現代のカメルーン。この国は石油を産出する他、天然ガスの開発期待がますます高まる。先述の森林、包蔵水量も有効資源だ。さらにドゥアラの港は内陸国の公益の要衝ともなるなど、高い経済・開発ポテンシャルを持つ。
しかしなぜかわからないが、私の目には政策がダイナミックに動いている感じがしない。マクロ経済政策もあまりにパッシブな印象を受けるのはわたしだけだろうか。
カメルーンの現政権、ポール・ビヤ大統領が政権についたのが1982年。以降、ビヤ体制は実に30年をこえた。多様性の中で地縁・血縁がきわめて重要なこの国で、ビア大統領は長期政権維持のためのいろいろな政策を用いた。たとえば「三権分立」。大統領は南部の出身。他方、首相は旧英領、国民議会議長は北部、など、トロイカ体制を敷き、地域ごとに利益配分する。また定期的な「魔女狩り」により、政治的有力者の刈り取りを行なってきたとも言われる。長期政権による「安定」のもと、他方で社会の矛盾やひずみが蓄積されている懸念が残る。
近年では、健康問題がささやかれているのみならず、年のかなりの時期を海外、特にフランスで過ごしていると言われる。彼の実効力はどれほどなのだろうか。また急に政権が変わるリスクを織り込んでおくべきなのだろうか?すでに過去ログでもしばしば触れているが、そろそろポスト「ポール・ビア」体制を想定しておかなければならないとも思う。
日本人にとって、カメルーンといえばサッカーだろう。2002年の日韓共催ワールドカップではキャンプ地、大分県中津江村への到着が遅れに遅れ、話題を呼んだ。
アフリカでも「Les lions indomptables」(不屈のライオン)との愛称で呼ばれ人気を誇った。しかしここへきて急ブレーキ。今年のアフリカ・カップ・サッカー では予選敗退となったばかりでなく、こともあろうか、隣国の「サッカー小国」、ガボンにも敗退を喫した。いずれも協会の運営に起因する問題が大きいといわれ、同国のガバナンスの難しさを物語る。
ああ、私にとってはそんなに知識がある国ではないのに、なぜか話は止まらない。カメルーン国民の皆さんにお祝いのメッセージと敬意を表しつつ、この辺で。
皆、現政権の老害を口にするものの、ポストの目途の立たなさに不安を感じています。老人が一掃されることを願いつつ、引き換えに起こるであろう混乱。正規軍(北部中心)と緊急介入部隊(大統領派の精鋭部隊)とが対立する懸念もあるようです。