ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

アフリカの航空事情(5)~最難関のコンゴ民生共和国(後編)

2013-05-08 07:30:25 | アフリカ紀行
「アフリカの航空事情」第四話に引き続き、コンゴ民主共和国のシビアな航空事情について。

お話した悲惨な国内線の現状から、われわれ外国人が国内移動に使える手段が非常に限られる。第一に国連や人道機関が飛ばすフライト。以前は、コンゴ国連ミッション(MONUC(当時)、国連PKO)が運航するMONUCフライトしかなかった。これは本当に大変だった。いつ乗れるかわからないし、行ったが最後、帰り便も保証されない。この特異な体験エピソードは、旅行誌『Dodo』で紹介している(→「旅行誌『Dodo』にエッセイ「コンゴにまつわるエトセトラ」掲載!」)。

(写真:国連機、西カサイ州カナンガにて)


それがダメなら。国連や欧米各国は、国内線での移動を禁止していた。例えば、南東部の銅鉱床が広がるコッパーベルトに位置するルブンバシに行くのに、ケニアのナイロビ経由で一泊かけて行く羽目になる。

あるヨーロッパの大使は東部北キブ州の州都、ゴマに行くのに、ナイロビ経由でルワンダのキガリに入り、陸路、国境の街ギセニからゴマに入っていた。

現在は別に人道関係者が飛ばすフライトがあり、そちらが利用できるようになったことから、まともになったと聞く。

変わって国の西部、キンシャサを中心とした近距離便。ここにはミニのプロペラ機、ほとんどセスナに近い航空便がマタディ、ボマ、バンドゥンドゥ、ンバンダカなど中核都市を結ぶ。当時はフィルエール(Fil air)、キンアビア(Kin Avia)などの小さな航空会社が、プロペラ機近距離便専用のンドロ空港をベースにフライトを飛ばしていた。地方側の空港は舗装されていないことが多く、滑走路というよりは整備の悪い運動場といった状況だ。また私は実際は体験していないが、あるシスターによると、国内線の中には、機内に生きた羊が同乗、というような便もあるとの話だった。

(写真:バ・コンゴ州のマタディ空港。滑走路というよりは草サッカー場。)



きょう最後の航空事情ネタ。エールフランスに見るコンゴの扱い。あるエッセイででボツとなったた部分をそのまま引用。

『そもそもコンゴ、ザイールの歴史の中で、外国人は手痛い経験をしてきた。この国をよく知るものは、いつ自分に牙をむいてくるか、不断に警戒している。例えばエール・フランスがそうだ。パリからキンシャサに飛行機がつくと、クルーは客を降ろし、自分たちはコンゴ川の対岸、コンゴ共和国の首都ブラザビルにわたってしまう。翌日、ブラザビル発、パリ行きのフライトに搭乗して本国に戻る。逆に、キンシャサ発便のクルーは、直前に向こう側から渡ってくる。こちら側のコンゴには、入国すらしないのだ。』

(この項、いったんおしまい)


「アフリカの航空事情」
第一話~横とびが大変!
第二話~エールフランスとアフリカ
第三話~難関!中部アフリカ
第四話~最難関のコンゴ(前編)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。