2017年12月20日、いわゆる「大湖地方問題」に関する大きな出来事があった。フランスの司法当局が公判を行なっていた事件について、新しい方向性が示されたのだ。その事件とは、1994年に80万人もの人々が命を落としたルワンダ虐殺。争点は、この惨劇の引き金となった事件に、誰が関与していたのか、という点である。
経緯については長くなるので、AFPが20日に報じている記事を参考にしながら辿ってみたい。
(RFIウェブサイトより)

ルワンダ虐殺事件。1994年4月6日、ジュベナル・アビャリマナ大統領を乗せた航空機が墜落されたことをきっかけに、政府当局にも近いフツ族過激派は、ツチ族を殲滅(exterminer)せよとのメッセージで大虐殺を開始。1990年以降、ツチ族を主体としたルワンダ愛国戦線(FPR)が、ウガンダからルワンダ北部に進出し、フツ族とツチ族の緊張が高まっていた。仏軍は「アマリリス作戦」らを発動、五百人規模の空挺部隊が千数百人の在留外国人を国外に退避させた。
6月22日、国連はフランスに対し、人道的目的のための軍事介入マンデートを承認した。いわゆるトルコ石作戦である。2500人規模の部隊を展開し、南西部に人道的保護地域(Zone humanitaire sûre: ZHS)、FPRの侵入を認めないゾーンを設定した。これに対しFPRはは、仏軍作戦が旧仏政権の体制維持を目的とするもので、虐殺の首謀者への支援に他ならないと強く反発した。仏軍部隊は7月4日にキガリを解放し、虐殺は収束した。
その後、フランスがルワンダの虐殺に関与していたのではないかとの疑義が内外からかけられると、1998年3月、フランスは議員ミッションを組織。12月、「フランス政府はルワンダの虐殺には関与していなかった(nullement impliquée)ものの、戦略レベルでの誤算、国家行政の不機能の点で、一定の責任が残る」と報告した。これに対し、ルワンダ政権は「フランスは虐殺の首謀者」として強く糾弾した。
2006年11月17日、フランスのジャン・ルイ・ブルギエール判事は、FPRの旧リーダーであるポール・カガメ大統領を、アビャリマナ・大統領機撃墜暗殺事件に関与した疑いで、「ルワンダ国際刑事法廷」(Tribunal pénal international pour le Rwanda: TPIR)において訴追することを勧告した。あわせて9人の側近に対して逮捕状に署名した。ルワンダ政府は直ちにフランス政府と断交。三年半にわたる不協の時代を迎えた。
2010年1月、ルワンダ側の報告書が公表され、1994年4月にはフツ系の過激勢力"Hutu Power"によるクーデターが発生したと結論づけた。3日後、仏政府機関がまとめた報告書が発表され、大統領機撃墜は、当時の政権側にあったカノンボ駐屯地から発射されたものと結論づけた。仏側のそれまでの主張と一致しないこととなる。
2014年3月、フランスにおける初の公判判決。旧大統領警護隊のパスカル・シンビカングウァに、懲役25年の刑が言い渡された。現在、控訴審にある。
2016年7月、凄惨な虐殺が行われたカバロンド村の村長2名が人道に対する罪、虐殺に対する罪に問われた裁判で、仏当局は終身禁固を言い渡した。控訴審は2018年4月に開始される見通しである。
2017年11月、司法当局はルワンダ系仏人クロード・ムアイマナ氏に対する公判を開始。虐殺のタイミングで傭兵を海外から送り込んだ「虐殺共謀罪」を罪状としている。
そんな流れの中、2017年12月20日、対テロ犯罪担当のジャン・マルクエルボ、ナタリ・プー両判事は、アビャリマナ大統領機撃墜事件についての調査を中止するよう通告した。本件裁判は検察に差し戻され、訴追対象となっているポール・カガメ大統領の7人の側近について、公判の継続か、結審かが再度判断される。
これまでも『ぶら★アフ』でも繰り返し述べてきたが、大湖地方ではウガンダ、ルワンダ、コンゴ民主共和国と、米英のアングロ・サクソンと、フランス・ベルギーのフランコフォンの間で、勢力・利権争いが行われてきた。ウガンダの現ムセベニ政権、ルワンダのカガメ政権とも、アングロ・サクソンの支援によって成立した政権であると考えられている。
そう入った中、虐殺への関与をめぐる両勢力のつばぜり合いも行われてきた。アングロ・サクソン側はフランスの虐殺への関与を突けば、フランスはアビャリマナ大統領機撃墜への関与について疑義を呈して対抗した。今回公判が結審となれば、大統領機撃墜事件へのFPRの関与を証明することはできなくなり、ルワンダ虐殺問題に関する加担論議の方向性を変えることになる。
(おわり)
経緯については長くなるので、AFPが20日に報じている記事を参考にしながら辿ってみたい。
(RFIウェブサイトより)

ルワンダ虐殺事件。1994年4月6日、ジュベナル・アビャリマナ大統領を乗せた航空機が墜落されたことをきっかけに、政府当局にも近いフツ族過激派は、ツチ族を殲滅(exterminer)せよとのメッセージで大虐殺を開始。1990年以降、ツチ族を主体としたルワンダ愛国戦線(FPR)が、ウガンダからルワンダ北部に進出し、フツ族とツチ族の緊張が高まっていた。仏軍は「アマリリス作戦」らを発動、五百人規模の空挺部隊が千数百人の在留外国人を国外に退避させた。
6月22日、国連はフランスに対し、人道的目的のための軍事介入マンデートを承認した。いわゆるトルコ石作戦である。2500人規模の部隊を展開し、南西部に人道的保護地域(Zone humanitaire sûre: ZHS)、FPRの侵入を認めないゾーンを設定した。これに対しFPRはは、仏軍作戦が旧仏政権の体制維持を目的とするもので、虐殺の首謀者への支援に他ならないと強く反発した。仏軍部隊は7月4日にキガリを解放し、虐殺は収束した。
その後、フランスがルワンダの虐殺に関与していたのではないかとの疑義が内外からかけられると、1998年3月、フランスは議員ミッションを組織。12月、「フランス政府はルワンダの虐殺には関与していなかった(nullement impliquée)ものの、戦略レベルでの誤算、国家行政の不機能の点で、一定の責任が残る」と報告した。これに対し、ルワンダ政権は「フランスは虐殺の首謀者」として強く糾弾した。
2006年11月17日、フランスのジャン・ルイ・ブルギエール判事は、FPRの旧リーダーであるポール・カガメ大統領を、アビャリマナ・大統領機撃墜暗殺事件に関与した疑いで、「ルワンダ国際刑事法廷」(Tribunal pénal international pour le Rwanda: TPIR)において訴追することを勧告した。あわせて9人の側近に対して逮捕状に署名した。ルワンダ政府は直ちにフランス政府と断交。三年半にわたる不協の時代を迎えた。
2010年1月、ルワンダ側の報告書が公表され、1994年4月にはフツ系の過激勢力"Hutu Power"によるクーデターが発生したと結論づけた。3日後、仏政府機関がまとめた報告書が発表され、大統領機撃墜は、当時の政権側にあったカノンボ駐屯地から発射されたものと結論づけた。仏側のそれまでの主張と一致しないこととなる。
2014年3月、フランスにおける初の公判判決。旧大統領警護隊のパスカル・シンビカングウァに、懲役25年の刑が言い渡された。現在、控訴審にある。
2016年7月、凄惨な虐殺が行われたカバロンド村の村長2名が人道に対する罪、虐殺に対する罪に問われた裁判で、仏当局は終身禁固を言い渡した。控訴審は2018年4月に開始される見通しである。
2017年11月、司法当局はルワンダ系仏人クロード・ムアイマナ氏に対する公判を開始。虐殺のタイミングで傭兵を海外から送り込んだ「虐殺共謀罪」を罪状としている。
そんな流れの中、2017年12月20日、対テロ犯罪担当のジャン・マルクエルボ、ナタリ・プー両判事は、アビャリマナ大統領機撃墜事件についての調査を中止するよう通告した。本件裁判は検察に差し戻され、訴追対象となっているポール・カガメ大統領の7人の側近について、公判の継続か、結審かが再度判断される。
これまでも『ぶら★アフ』でも繰り返し述べてきたが、大湖地方ではウガンダ、ルワンダ、コンゴ民主共和国と、米英のアングロ・サクソンと、フランス・ベルギーのフランコフォンの間で、勢力・利権争いが行われてきた。ウガンダの現ムセベニ政権、ルワンダのカガメ政権とも、アングロ・サクソンの支援によって成立した政権であると考えられている。
そう入った中、虐殺への関与をめぐる両勢力のつばぜり合いも行われてきた。アングロ・サクソン側はフランスの虐殺への関与を突けば、フランスはアビャリマナ大統領機撃墜への関与について疑義を呈して対抗した。今回公判が結審となれば、大統領機撃墜事件へのFPRの関与を証明することはできなくなり、ルワンダ虐殺問題に関する加担論議の方向性を変えることになる。
(おわり)