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マリ・歴史が変質させた部族間の関係〜農耕民と放牧民(7)

2017-06-21 08:30:52 | アフリカ情勢
毎年、乾季の終わりから浮きの初めにかけてのこの時期、話題になる物騒な風物詩の季節がやってくる。

農耕民と放牧民の衝突。

農耕民と放牧民
第五話 ニジェールで農耕民と放牧民が衝突
第六話 「混ぜるなキケン?!」季節の変わり目にご用心


外電情報が伝えるところによると、17日(土)、マリ中部、ブルキナファソ国境に近いコロという町の近郊で、伝統的な農耕民のドゴン族と、放牧を主とするプール族の衝突が発生。衝突は翌日まで及び、治安当局が両コミューンの間に緩衝部隊を配置して沈静化。31名が死亡、うち27がプール族、4人がドゴン族だと報じられている。


マリ中部では、歴史の中で放牧民のプール族、農耕民であるバンバラ族、ドゴン族などが、土地と水を分け合い暮らしてきた。しばしば限られた資源をめぐり、諍いが起きてきたが、大方は平和裡に共存してきたとされる。

以前は家畜という資産を有する放牧民の方が裕福であり、支配的階層となってきた。しかし近代的社会と国会形成の中で、開発の名のものに定住化と農業の近代化が進められ、土地所有の概念などが芽生えた。いつしか農耕民と放牧民の地位は入れ替わり、放牧民は周辺領域に追いやられていった。

映画'Timbuktu'(邦題『禁じられた歌声』)より、農耕民と放牧民の決闘のシーン)



そういった時代を経て、2012年、マリは混乱期を迎え、国家が南北に分断された。北部はイスラーム武装勢力に支配した。2013年に仏軍のサーバル作戦開始。武装勢力が掃討され、国土は再統一されるが、マリの新政権が誕生すると、統治の及ばない北部に、再び武装勢力が戻ってくる。

イスラーム武装勢力はかつての南北分断のラインを超えて影響力を及ぼし、アラブ系の外来勢力ではなく、マリ中部に先住民、つまり黒人にもジハーディストが生まれていく(「内製化」)。この背景にはフルベ系、プール族の現状への不満があると見られている。

そんな中、2015年から姿を現したジハード勢力が「マシーナ解放前線(FLM)」改め「マシーナのカチーバ」。プール系のアマドゥ・クファなる人物が指導者とされ、フルベ系、プール系に構成員が広がっているとされる。

地域の黒人の中からジハード勢力が生まれたことは、マリのコンテクストを大きく変えることとなった。

この武装勢力は、トゥアレグ系の「アルサール・ディーン」(Ansar Dine)、アルジェリア・イナメナスガス田襲撃事件を首謀したモクタール・ベルモクタール率いる「アル・ムラビドゥーン」と統合し、「ヌスラ・アル・イスラム・ワル・ムスリマン」« Nusrat al-Islam Wal Muslimin »(仏名: Groupe de soutien à l'islam et aux musulmans'、邦名 :イスラム・ムスリム支援勢力)を形成した。アルカイダ系と整理され、指導者はイヤド・アグ・ガリ、つまり前アンサール・ディーンの首謀者だ。


このような状況から、中部の農耕民には、放牧民がジハード勢力を支持し、援護しているかのように映る。農耕民は放牧民に対する反発を強めることとなり、放牧民への攻撃が見られるようになる。放牧民はこれに反駁・・・という構図が繰り返されつつある。特に水辺と緑が少なくなる乾季の後半や雨季入りの頃には緊張が高まるのだ。


水と土地をめぐる対立は、社会階層をめぐる確執となり、いつしか地域の治安、テロ勢力といったコンテクストに変質していった。

本来、住民に対する社会サービスを提供すべき地方行政官によれば、「統治の不在がジハード勢力を拡大し、住民間の不信感を高めることにつながっている」と嘆く。


歴史と文化の誉れ高いマリ中部地域。平和の中で再び部族が共存できる日々が戻って来るのは、いつになるのであろうか。少なくとも今日現在、残念ながら状況は良い方には向かっていないように見える。

(つづく)

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