柏原ヤス(総務・参議院議員)は婦人部の最長老、若い時代からの池田をよく知っている。
もう十何年になりますか。参謀室長時代だったと思います。地方指導で福島県郡山市へ行って、みんなである旅館に泊まった。
そこのおかみが会員だったが、経営不振で、いまにもつぶれそうな旅館だった。おかみが窮状を訴えると、会長は、
「フロ場が悪い。もっと立派にしなさい。温泉旅館にフロがなくてはダメだ。この旅館は必ずよくなる。がんばりなさい」
といっていた。そのとき、
「繁盛するようになったら、きっと泊まりにきますよ」と付け加えていた。
私たちは、そんなことを、すっかり忘れていた。
十余年たって、郡山へ寄ることがあった。すでに会長になっていて、行動にもいろいろ制約がある身になっていたが、その日は、自分で旅館を指定するんです。
どうして、そこに行くのか、私たちにはわからなかった。あとでいわれて思い出したが、参謀室長時代に約束した旅館だったんです。おかみは、たしか班担として健在でした。泣いて喜びましてね。
〔中略〕
こんな話もある。
池田の”秘書官”は中西(総務・庶務室長)だが、あるとき、腹痛で動けなくなった。池田はたまたま用事を頼むために、夫人に中西を呼ぶよう命じた。夫人は実情を聞いたが、中西は”まもなくよくなる”というので”いま電話中なので、まもなくきます”といって、その場をつくろった。
すると、まもなく、池田は夫人に「中西君はどうだい。大丈夫か」と聞いた。なんにも話していないのに、なぜわかったのか、と不思議に思ったが、あいまいな返事のまますませた。
夫人は、その後すっかり忘れ、夜遅くなって雑談をしていると、池田が「中西君はどのくらい悪いのか聞いてごらん」と突然いいだした。電話で容体を聞くと「大丈夫か、治ったか」といっただけで、また別の話になってしまったという。
夫人から直接聞いた話だが、私は神秘的な話だとは思わない。池田が中西をよく知っているからだと私なりに思う。だれよりも中西を知っているためだと思う。
洞察は、きびしい実践のなかから生まれるものだ。池田にこの話をしたら笑いながら「親は子供のことがわかるでしょう。あれですよ」といった。
《央 忠邦 著 「池田大作論」 P.264~269》
…………………………
『池田大作論』の「洞察」と題された章より抜粋。
我々リーダーは、「池田先生はすごい」と言っているだけでは駄目だ。
「先生の名代」というのであれば、その師の姿を一分でも体現しなければならない。
そうあってこそ、「弟子の姿を見れば、師匠の偉大さがわかる」ということに繋がっていくのだろう。
同じ本に、こんな池田先生の言葉が載っている。以前にも引用した部分だが、決意の意味も込めて再度引用したい。
非常に重い言葉である。
…………………………
「私はあくまで、恩師の指針を実現できるかどうかで、真の弟子か否か決まると信じてやってきた。」
もう十何年になりますか。参謀室長時代だったと思います。地方指導で福島県郡山市へ行って、みんなである旅館に泊まった。
そこのおかみが会員だったが、経営不振で、いまにもつぶれそうな旅館だった。おかみが窮状を訴えると、会長は、
「フロ場が悪い。もっと立派にしなさい。温泉旅館にフロがなくてはダメだ。この旅館は必ずよくなる。がんばりなさい」
といっていた。そのとき、
「繁盛するようになったら、きっと泊まりにきますよ」と付け加えていた。
私たちは、そんなことを、すっかり忘れていた。
十余年たって、郡山へ寄ることがあった。すでに会長になっていて、行動にもいろいろ制約がある身になっていたが、その日は、自分で旅館を指定するんです。
どうして、そこに行くのか、私たちにはわからなかった。あとでいわれて思い出したが、参謀室長時代に約束した旅館だったんです。おかみは、たしか班担として健在でした。泣いて喜びましてね。
〔中略〕
こんな話もある。
池田の”秘書官”は中西(総務・庶務室長)だが、あるとき、腹痛で動けなくなった。池田はたまたま用事を頼むために、夫人に中西を呼ぶよう命じた。夫人は実情を聞いたが、中西は”まもなくよくなる”というので”いま電話中なので、まもなくきます”といって、その場をつくろった。
すると、まもなく、池田は夫人に「中西君はどうだい。大丈夫か」と聞いた。なんにも話していないのに、なぜわかったのか、と不思議に思ったが、あいまいな返事のまますませた。
夫人は、その後すっかり忘れ、夜遅くなって雑談をしていると、池田が「中西君はどのくらい悪いのか聞いてごらん」と突然いいだした。電話で容体を聞くと「大丈夫か、治ったか」といっただけで、また別の話になってしまったという。
夫人から直接聞いた話だが、私は神秘的な話だとは思わない。池田が中西をよく知っているからだと私なりに思う。だれよりも中西を知っているためだと思う。
洞察は、きびしい実践のなかから生まれるものだ。池田にこの話をしたら笑いながら「親は子供のことがわかるでしょう。あれですよ」といった。
《央 忠邦 著 「池田大作論」 P.264~269》
…………………………
『池田大作論』の「洞察」と題された章より抜粋。
我々リーダーは、「池田先生はすごい」と言っているだけでは駄目だ。
「先生の名代」というのであれば、その師の姿を一分でも体現しなければならない。
そうあってこそ、「弟子の姿を見れば、師匠の偉大さがわかる」ということに繋がっていくのだろう。
同じ本に、こんな池田先生の言葉が載っている。以前にも引用した部分だが、決意の意味も込めて再度引用したい。
非常に重い言葉である。
…………………………
「私はあくまで、恩師の指針を実現できるかどうかで、真の弟子か否か決まると信じてやってきた。」
私たちが戸田先生のことを身近に感じられるのは、全て池田先生が折々に思い出を語って下さるからです。
池田先生と同時代に生きる私たちが、先生のことを語りぬく、また行動で示す、ことが本当に重要だと日々実感いたします。
さすが英知の学生部ですね。
私も頑張りますよ!