思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

「総括」の必要性

2008-11-08 23:57:52 | 書籍引用
最強の組織を目指す指揮官は「敗因」を分析する責務がある。

《あぁ、阪神タイガース 野村克也著 P.14》

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現・東北楽天ゴールデンイーグルス監督の野村克也氏が、阪神の監督時代を振り返って「何故結果を残せなかったか」を綴った書。
引用したのは、「まえがき」の一部。

他の著書でもしきりに述べられているが、野村監督は”プロセス主義者”である。
つまり、「どのような過程を経て勝ったか」が大事であり、「たまたま勝った」では駄目だ、ということ。
野村監督によれば、「ピッチャーの投げる球ひとつひとつに全て意味がある」のだそうだ。
野球は”見る専門”である私には、そこまでの事は判らないが。

ところで、今回のタイトルに『「総括」の必要性』と書いた。
ここでいう「総括」とは、ひとつの「戦い」を終えた後で行う総括のことである。

他の地域のことはあまりよく知らないが、最近我が地域の男子部では「総括」がないことが多いように思う。勿論、何らかの”反省会”のようなことはやっているだろう。
しかし、年間やもっと長期的な展望に基づいての「総括」が出来ている部は、ほとんどないだろう。それどころか、ひとつの戦いを終えても総括の場を設けていない組織が多数あるように思えるのだ。

私を育ててくれた先輩は、どんな些細なことであっても必ず総括の場を設けた。

どのように目標をたてたのか。
目標に対してどのように取り組んだのか。
その通り出来たのか。
できなかったのは何故か。
意識の問題か。
物理的な問題か。
もともとの設定の問題か。
次回の戦いに対して、それを踏まえてどのように取り組むのか。
とにかく徹底して話し合った。
それでなくては、戦ったことが次へと繋がらないのだ。
野村監督が言うように、最強の組織を目指すのであれば徹底した分析が必要なのである。

ピッチャーの投げる球とは、我々に即して言えば「今日一日の戦い」だろう。
「目標」に到達するために、今日一日をどのように戦うのか。
逆に言えば、今日一日の戦いが目標到達の一歩となっているかどうかである。

それは、単純に「積み重ね」という意味ではない。
野村監督のいう「全ての球に意味がある」とは、「前の球がああだったから、今投げる球はこうで、次に投げる球はこうなる」という具合に、全てが関連してくるのだ。

それを総括で分析し、次の戦いに備える。
これがなければ、「持続的な向上」は望めないだろう。