思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

洞察

2008-11-19 22:04:15 | 書籍引用
 柏原ヤス(総務・参議院議員)は婦人部の最長老、若い時代からの池田をよく知っている。
  もう十何年になりますか。参謀室長時代だったと思います。地方指導で福島県郡山市へ行って、みんなである旅館に泊まった。
  そこのおかみが会員だったが、経営不振で、いまにもつぶれそうな旅館だった。おかみが窮状を訴えると、会長は、
  「フロ場が悪い。もっと立派にしなさい。温泉旅館にフロがなくてはダメだ。この旅館は必ずよくなる。がんばりなさい」
  といっていた。そのとき、
  「繁盛するようになったら、きっと泊まりにきますよ」と付け加えていた。
  私たちは、そんなことを、すっかり忘れていた。
  十余年たって、郡山へ寄ることがあった。すでに会長になっていて、行動にもいろいろ制約がある身になっていたが、その日は、自分で旅館を指定するんです。
  どうして、そこに行くのか、私たちにはわからなかった。あとでいわれて思い出したが、参謀室長時代に約束した旅館だったんです。おかみは、たしか班担として健在でした。泣いて喜びましてね。
  
    〔中略〕

 こんな話もある。
 池田の”秘書官”は中西(総務・庶務室長)だが、あるとき、腹痛で動けなくなった。池田はたまたま用事を頼むために、夫人に中西を呼ぶよう命じた。夫人は実情を聞いたが、中西は”まもなくよくなる”というので”いま電話中なので、まもなくきます”といって、その場をつくろった。
 すると、まもなく、池田は夫人に「中西君はどうだい。大丈夫か」と聞いた。なんにも話していないのに、なぜわかったのか、と不思議に思ったが、あいまいな返事のまますませた。
 夫人は、その後すっかり忘れ、夜遅くなって雑談をしていると、池田が「中西君はどのくらい悪いのか聞いてごらん」と突然いいだした。電話で容体を聞くと「大丈夫か、治ったか」といっただけで、また別の話になってしまったという。
 夫人から直接聞いた話だが、私は神秘的な話だとは思わない。池田が中西をよく知っているからだと私なりに思う。だれよりも中西を知っているためだと思う。
 洞察は、きびしい実践のなかから生まれるものだ。池田にこの話をしたら笑いながら「親は子供のことがわかるでしょう。あれですよ」といった。

 
《央 忠邦 著 「池田大作論」 P.264~269》

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『池田大作論』の「洞察」と題された章より抜粋。

我々リーダーは、「池田先生はすごい」と言っているだけでは駄目だ。
「先生の名代」というのであれば、その師の姿を一分でも体現しなければならない。
そうあってこそ、「弟子の姿を見れば、師匠の偉大さがわかる」ということに繋がっていくのだろう。

同じ本に、こんな池田先生の言葉が載っている。以前にも引用した部分だが、決意の意味も込めて再度引用したい。
非常に重い言葉である。

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「私はあくまで、恩師の指針を実現できるかどうかで、真の弟子か否か決まると信じてやってきた。」