動物界での共食いは珍しいことではないとネットの情報は伝えてくる。共食いの画像も映像も目に入ってくる。蛇が同じ蛇を飲み込む映像もある。多様な生き物の共食いを見ると、おぞましい気持ちになる。しばらく食がすすまなくなるような気分だ。現実は共食いなんだと意識させる。適者生存、弱肉強食という4文字熟語も並んでいるが、共食いはなぜかもっと奇抜で、一種嫌悪感をもたらすものを含んでいる。
共食いである。生き延びるために弱者を襲うのだろうか。2匹の小さなネズミがいて、そして食された後のネズミの毛の皮、目、尻尾などの塊があった。生きる事のおぞましさと美しさ、愛と憎悪、二律背反する実存なり存在のたゆたうこの世界に生きている。
愛らしいネズミのお母さんが赤子を食べる場面は、おぞましさとごく普通に見える光景に驚く。おいしい餌をただおいしそうに食べている姿が撮られている。類としての社会なり世界は、普段着のように共食いがあるのかもしれない。生きる事の宿命なり贖罪感が動物にあるかいなか、感情は哺乳動物に見られる。弔いをするチンパンジーの社会もある。ウシだって泣くのだ。死んだら死にきりではない人間社会の仕組もある。死んだら死を引き受けるのである。
撮る人の気持ち、ユーチューブにupする気持ちが理解出来ません。
残忍な人の心少し腹が立ちます!
みんなのブログからきました。
本当に凄いことだけど、
残酷ですね
その一方でチョムスキーが強調する人類史の明るい面もあります。氏は1920年代まで男性と同等の権利を持たなかった女性たちの自由・平等・人権の闘いの現在を1970年代に欧米では拡大したとよく事例に出しますね。しかし、共食いが生き物の属性としてあり続けるのは、否定できないですね。(否定したい願望は残りますが)、マクロとミクロに考えても、ですがー。その中で限られた生をどう生きる?と問われているのですね。
小さなネズミの共食いを始めて目撃して、衝撃でした。