(母の庭のツワブキの葉の輝き)
≪ツワブキとガーベラ≫
例えばシェイクスピアの≪ハムレッ≫の作品に対して何千もの批評・論文が書かれているように、文芸作品についての批評は、多様に書かれていく。作家の手を離れて批評はなされていく。それでいい。そして批評もまたその中身の根拠が吟味されていく。それゆえに、作品と批評は車輪の両輪である。区分けされていくのである。戯言のような批評は面白いが中身に真実性がこもっていないかぎり、それもまた一時的には注目を浴びても淘汰されていく。そんなものかもしれない。わたしの論考もまた淘汰されていく。一つのパズルを入れただけだが、それをまた誰かが超えて新たな批評を成り立たせるのである。興味深い。批評されるということはそれがいい評価であれ、悪い評価であれ、注目を浴びているということなんだろう。それらを含めて作者は毅然としていたらいい。有象無象の批評には、次の作品でまた示していったらいい。受賞者冥利があるのかもしれない。そしてただ書き続けることだけなんだろう。どの文藝賞にもついて回る物があるのだろうけれども、興味深い。
(ピンクのツツジが咲いている!)