
(仲良しこよし)
新聞記事によると首里城の復元に33年間で240億円かかったとの事です。10億円は10倍で100億円。20倍で200億円。首里城再建は好ましいことだけれども、寄付、募金運動が燃え盛った火の勢いに負けずと立ち上がっています。首里城が普段着のように琉球王府から現在に続く沖縄の人々の誇り、アイデンティティ、大きな文化的遺産になっていたことが、念頭に浮かんできます。城を訪れた回数は少なく、ちょっと朱色のきらびやかな正殿、北殿、南殿に、写真で見る戦前の正殿とはかなり異なるイメージ(キャラ)ゆえに、歩を進めることに躊躇を覚え、斜に構えたくもなりました。なぜ?
うなぎ登りに膨らむ寄付金の有効利用の仕方は、万人の監視を受けている事になります。無意識の同調圧力ゆえではなく、素直な気持ちで寄付したいものです。同調圧力は義務感、強制、外からの「皆さんは?」的な空気を含め、貧しかった琉球王府時代への郷愁も伴っているのかもしれません。冊封使の記録した史録を読むと、琉球王国の貧しさがあふれています。そして尚先島には人頭税を課していた首里王府です。明治36年まで300年近くの歳月がたっていました。
首里城がソフトパワーで文化的遺産を保存継承し、後世に託す気持ちは多くの方々と共鳴できます。リアルな建造物は史書を読んで理解する事とは異なる立体感を味わうことができるのは事実です。城の復元(再現)が実在した歴史の記憶装置として生かされ、それが観光産業とリンクし、経済的に潤う仕掛けになっているのは、東西南北、世界的な現象で、不思議ではありません。単なる琉球(沖縄)ナショナリズムの牙城として美化するだけではなく、みすぼらしかった建造物〈城〉があったことも含め、歴史を掘り下げる契機になる不幸な出来事(火災による焼失)を止揚する文化運動になったらいいですね。すでにその方向に潮流としてメディアも先導しているのかもしれません。
主のいなくなったお城が歴史の最大の痕跡(象徴)になっている(くる)現象は歴史の修復ということになるのでしょうか。言語の修復もまた伴ってきたらいいですね。フランスのノートルダム聖堂の一部が焼失した時、世界のカトリック信者だけではなく、多様な人々が献金をしたと伝えています。聖なる祈りの場への思いの深さと信仰の歴史、大いなる物語の歴史(経緯)が改めてとらえ返されたのでしょう。首里城は近代においては聖なる祈りの場として、信仰の対象として位置づけられたこともありました。しかし、決して信仰を体現するものではありません。
すでに無き王府の財産を管理している財団は物に精神を入れ、文化財を保存継承する重要な役割を担っています。
さて、スーパーのレジ横に置かれた募金箱に釣り銭を入れるのもいいですね。無意識の同調圧力のような寄付行為ではなく、大義名分を果たすための寄付ではなく、日常の小さな空間で100円からでもできる寄付でも-。
そういえば『辺野古基金』はどうなっているのでしょうか。
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