goo blog サービス終了のお知らせ 

志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

琉球歌劇やウチナーグチ台詞劇は面白い!アジア演劇はほとんどが歌舞劇ですね!アジアの中の沖縄芸能!

2018-11-03 12:33:29 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

琉球舞踊家・組踊立ち役の嘉数道彦さん、金城真次さん、上原崇弘さんなどが沖縄芝居の主役級で頑張っていますね!戦前の沖縄芝居の名優たちの再現かもしれませんね。戦後は組踊保持者で芝居の名優真喜志康忠さんがいますね。オールマイティーの芸能者魂ですが、スーパーエリートなんですね。後は観客の人気なんですね。

琉球舞踊、組踊、沖縄芝居(琉球史劇、歌劇)を組踊立役が主役級で演じる時勢ですね。この間、芝居の世界や舞踊を嗜んできた芝居役者に格差を生じていますね。近代の再帰に見えますが、現在の彼らの芸の鍛錬は場数こそ少ないが、質はよくなっているはずですね。洗練された戦後の手です。舞踊もそうですが、戦前と比べて造花のような綺麗な花になっていますね。泥臭さがなくなっていきます。それでは一般観衆から距離が出てしまいますね。劇場が綺麗になって劇場にあった格式、綺麗な造形(花)になっていきますね。

しかし歌劇は真に歌唱力のある役者がほしいですね。歌唱といえば久高将吉さんの声音のような個性を出せる若手は、んん、歌が巧いと思う組踊立役の声の延びと比例していますね。どれだけ個性のある歌を聞かせることができるか、かつて辻遊廓の端道で芝居小屋があった頃、親泊興照や多嘉良朝成が歌って通りを歩くだけで、ジュリ小が二階から顔を出して聞き惚れたのですね。

できれば土間のある戦前初期の劇場がほしいですね。

https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/30ab4eaba5d27c1bed4a90d99a955e85?utm_source=admin_page&utm_medium=realtime&utm_campaign=realtime  ⇔見出しに関係ある内容です!

新天地劇場跡(シンテンチゲキジョウアト)⇔那覇市歴史博物館より転載です!謝!

 那覇市上之蔵町(うえのくらちょう)の石門(いしじょう)に建てられた劇場跡。1922年(大正11)建立で、最初の劇場主は、奄美出身で眼科医の向井文忠(むかいぶんちゅう)氏。
 那覇劇場は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの二階建てで「石屋(イシヤー)」とも呼ばれ、瓦葺(かわらぶ)き屋根が軒を並べる那覇の街ではひときわ目立った建物だった。敷地は約190坪、観客収容人員は約1,500人であったという。
 当初は、「那覇劇場(なはげきじょう)」という名で、新垣松含(あらかきしょうがん)・多嘉良朝成(たからちゅうせい)・平良良勝(たいらりょうしょう)等が結成した「若葉団(わかばだん)」の専用劇場であったが、高台に建設されたこともあり、観客の入りがおもわしくなく、「若葉団」はまもなく解散した。その後は「新天地劇場」という名の常設映画館として運営された。
 1934年(昭和9)から1943年(昭和18)まで真境名由康(まじきなゆうこう)・鉢嶺喜次(はちみねきじ)・島袋光裕(しまぶくろこうゆう)等が結成した「珊瑚座(さんござ)」が専用劇場として使用し、「珊瑚座」の名称が定着した。
 1944年(昭和19)10月10日の10・10空襲で、劇場内部は被害を受け焼失したが、外部のコンクリート壁面は焼け残った。沖縄戦後もしばらく放置されたが、1953年(昭和28)から始められた一帯の区画整理のため、撤去された。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。