インドのRAVI CHATURVEDI と台湾のTSU-CHUNG SUさんのメイン会場でのセッションは活気にあふれた。オリジナリティーが問われた時、ヨガの源のインドが浮かび上がった。BODYMINDである。精神と身体が一体となるモメント。身体がすべて目になるという表現はいい!
詩を役者の身体が観客に伝えるのだが、身体論は宗教体験とも重なり、気、心、魂と身体の一体性が感動を生み出すということになるのだろう。西欧理論の模倣、イミテーションとも異なるものとしてラビーさんは論じていたが、CONVY伝える身体と観客の関係も問われた。
個人的にはプラトニズムを想起させた。模倣やグロトフスキーの理論はそれがエクスタシーであれ無化であれ、ある種の神秘的体験であれ、個の自我を超えた実存になるのだと言えるだろう。個人ではなくそれを超えた創造したBEINGになるのである。
身体のメタフィジカルな要素はある面、とてもパワフルだ。祭祀的空間の現代の再現が祭りや劇場空間である。その点、アジア的身体や西欧的身体の差異はない普遍的な感動の渦は、東西を問わずにただそこにあるのである。
フィリピン大学がパフォーマンススタディーに力を入れていることが分かる。四日間のプログラムの中に挿入されたコンテンポラリーダンスやパフォーミングアーツや基調講演は、それぞれに大胆で斬新で、IFTRとアジア演劇研究グループが共同したとてもいい演劇学会になった。
演劇理論は、アリストテレスの詩学が土台になっている西欧の論理に対して、アジアは独自のスタンス、理論構築、フレームワークを創立せんとする試みかもしれないが、西欧がアジアから多く吸収していることは明らかである。もちろん西欧、英国、フランス、ドイツ、アメリカを中心とする演劇理論が圧倒的なのは、言語(英語)帝国主義的な要因がある。世界に論を発信する上で、英語で理論や分析を発表せざるを得ない。一方でアジアの言語に長けた西欧の研究者がアジアのパフォーミングの領域にどんどん入り込んで、独自のリサーチや分析で論を発表していく。そのせめぎあいで、しかし毅然と同時性を有しているそれぞれのアジアのパフォーミングアーツがある。
インド、日本、台湾、韓国が中心になっている。今回フィリピンの大学院生も含めて多くの発表があった。ロンドンで博士論文を書いている台湾のパフォーミングアーティストは、自らの作品を映像で見せながら話した。多様なテーマでの発表は刺激的で学びの場であることは確かだ。
フィリピンの学生たちのホスピタリティーはとてもいい。快活で、ロボットのような冷たさがない。大学生も日本のようにメイクで着飾る雰囲気はあまりない。自然な雰囲気がいい。
初めてのマニラ、どうしょうかいろいろ決断できずに土壇場まで来るかどうか悩んだが、思い切って来てよかったと、今は思う。快活でスマイルを絶やさない学生や大学教員たちの協力する姿勢は、心が温まった。University of the Philippins Diliman′s Students and Facurity menbers were very GOOD! Thank you so muchi!
もっといろいろ書きたいが、最後までめいっぱいのプログラムは飽きさせなかった。最後は2000人が収容できる大学の大劇場で、フィリピンのプロのバレーダンスの公演があった。バレーが大学のカリキュラムでも提供されている背景がある。フィジカルシアターがコンテンポラリーダンスとして提供されているのである。
韓国の知人の教員は大学で西洋演劇史や作品論を教えている。沖縄芸大も西洋理論や欧米作品を学ぶカリキュラムがないと追い付かないと思うのだがー、ちょっと遅れているね。沖縄の舞台芸術論の知的環境は弱い。学長さんたちのフォーカスやベクトルの大胆さが常に問われるのだろうが、ちょっと残念な現実がある。余談だがー。ジェンダー視点の取り組も面白かった。
グローバル、ポストグローバルの知と感性のベクトルはどこを向いているのだろうか?
韓国の教員やフィリピンの学生や教員と話していて、日本のメディアの記事と異なることが拝聴できた。その事はまた明日にでも書きたい。
イプセン研究者の毛利先生がずっとIFTRで頑張っている姿を拝見すると、私もしばらく先生の後ろ姿を見据えながら頑張ろうという気持になった。ロシア演劇研究者の永田先生が英語でお上手にお話しされていて、びっくり!毎年国際学会で理事として参加されているので、最もですね。
写真をUPしたいがPCがSDに反応してくれない。明日にでも。
24日は朝からフィリピン国内ツアーが組まれているが、残念ながら参加できない。24日の朝出発して夕方の帰沖である。25日には「護佐丸と阿麻和利」を見ないといけない。神谷さんたちがどれだけいい史劇を見せてくれるか、楽しみだ。