志情(しなさき)の海へ

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身体と精神論→身体がすべて眼になるは、プラトニズムを思い起こさせた!

2018-02-23 23:25:06 | Theatre Study(演劇批評)

身体と精神の一体化である。精神・魂・心・無意識と実態としての身体との一体化、プラトニズムはイデアと身体の合体かと認識したがー。ちょっとネットで調べてみた!しかし、身体があってのイデアだろうか?イデアがあって身体があるのか?認識は言葉があってことばによるフレーム(認識・価値・意味を与えること)がなされる。

プラトニズムの基本的な構想はイデア論である。唯一の真なる存在はイデア、つまり普遍にして完全な範型であり、知覚の対象となる個々の物はイデアの不完全な模造であるとされる。知覚の対象は大抵絶え間ない変化に巻き込まれ、そのために本当の存在を奪われる[1]。それぞれの数のイデアは個々の知覚の対象に由来しうる普遍的な構想としての数によって定義される[1]。以下の引用箇所が中期プラトンの形而上学及び認識論をよく示している。

[ソクラテス:]「<美>と<醜>とは互いに反対のものである以上、それらは二つのものである。」

[グラウコン:]「ええ、むろん。」
「二つのものである以上、それぞれは一つのものである、ということにもなるのではないか」
「その点も、そのとおりです。」
「そして、<正>と<不正>、<善>と<悪>、およびすべての実相(エイドス)についても、同じことが言える。すなわち、それぞれは、それ自体としては一つのものであるけれども、いろいろの行為と結びつき、物体と結びつき、相互に結びつき合って、いたるところにその姿を現すために、それぞれが多(多くのもの)として現れるのだ」
「おっしゃるとおりです」
「そこで[…]ぼくはまさにそのことによって、君がさっき言ったような見物好きの連中や技芸の愛好者たちや実践家たちと、他方、われわれの議論の中心である、ただその人たちが正当に<哲学者>と呼ばれ得るところの者たちとを、区別するのだ」
「とおっしゃいますと?」
「一方の人たちは[…]つまり、いろいろのものを聞いたり見たりすることの好きな人たちは、美しい声とか、美しい色とか、美しい形とか、またすべてこの種のものによって形づくられた作品に愛着を寄せるけれども、<美>そのものの本性を見きわめてこれに愛着を寄せるということは、彼らの精神にはできないのだ」
「たしかにそのとおりです」
「他方、<美>そのものにまで到達して、これをそれ自体として観得することのできる者は、まれにしかいないのではないか?」
「たしかに」
「では、いろいろの美しい事物は認めるけれども、<美>それ自体は認めもせず、それの認識にまで導いてくれる人がいても、ついて行くことができないような者は、夢を見ながら生きていると思うかね、目を覚まして生きていると思うかね?まあ考えてみてくれたまえ。いったい、夢を見ているということは。こういうことではないだろうか――つまりそれは、眠っているときであろうとおきているときであろうと、何かに似ているものを、そのままに似姿であると考えずに、それが似ているところの当の事物であると思い違いすることではないだろうか?」
「わたしとしては[…]いまあなたが言われたような人間は、夢を見ている状態にあるというでしょう。」
「ではどうだろう。いま言った人たちとは反対に、<美>そのものが確在することを信じ、それ自体と、それを分け持っているものとを、ともに観て取る能力を持っていて、分けもっている者の方を、元のもの自体であると考えたり、逆に元のもの自体を、それを分けもっているものであると考えたりしない人、このような人のほうは、目を覚まして生きていると思うかね、夢を見ながら生きていると思うかね?」
「まさに、はっきりと目を覚まして生きていると思います。」
(「国家」 第五巻, 475e-476d, 藤沢令夫訳、地の文は省略)

「国家」第5巻では、善のイデアが最高のイデア、他のすべてのイデアの原因であり、他のあらゆる物事が存在したりそれらを知覚することができるのは善のイデアによるとされている。知覚の印象による思いなしからは決して真なる存在、つまりイデアに関する知識を得ることはできない[1]。それは知覚による災いや混乱から離れた魂の活動それ自体の内から、つまり理性の活動からのみ得られる[1]そういった活動の機構としての弁証法によって人はイデアの知識に、最終的には最高の善のイデアに到達できる。弁証法は最初の学問なのである[1]。後のプロティノスによって創始されたネオプラトニズムは「国家」の善のイデアを、「パルメニデス(137c-152a)」のいわゆる超越的・究極的な一者と同一視した。

プラトンの倫理学は善のイデアを基盤とする。美徳は知識、つまり超越的な善のイデアの知識である[1]。また、この知識のもとでは、人の魂は三つの部分、つまり理性・気概・情念の三つに分けられ、それぞれが役割を持っており、そのため人は知識・勇気・節度の三種類の美徳を持つ[1]。別種の美徳を団結させる結合は正義の美徳であり、これによって魂の各部分はそれに適した働きだけをするようになる[1]

プラトニズムは西洋思想に大きな影響を与えた。「ティマイオス」の多くの解釈の内でプラトニズム[2]アリストテレス哲学が永遠不変の宇宙という考えをユダヤ教の伝統的な考え方に対立するものとして持ち込んだ[3]アリストテレス哲学とは違ってプラトニズムではイデアは質料に先立つものとされ、人間はと同一視される。プラトニズムに含まれる多くの思想はキリスト教において恒常的な位置を築いた[4]

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