
14日、ホテルで急いで打ち込んだのは「沖縄演劇(芸能)の近代化とは何か」である。毛利先生は沖縄の近代、近代化、モダニザーション、モダニティ、また沖縄における演劇(芸能)の位置づけを、論稿を読まれてさらに、コメントをメールで送ってこられた。それに答えようと思い、発表される23人(自分を含め)の英文論稿のうちその半分は目を通したのだが、韓国の近代化、演劇の近代の論稿を読みながら、また香港やシンガポール、マレーシアの論稿を読みながら、植民地支配を受けたアジアの国々の共通項と、伝統芸能のイノベーションがそこにあり、identityやethnicityとの関係で、興味深かった。
シンガポールの研究者はBetween Theatrical Mosaic and Interweaving Cultures:Indigenous Process on Singapore Stage
である。琉球・沖縄の場合、Assimilation and dissimilation つまり同化と異化である。日本への併合とその後の同化のプロセスが、実はまた異化をもたらし、独自のethnicity identityをもたらしているのだという事がやはり結論となる。しかし13人のご発表を聞いて、modernizationがWesterrnizationと重なることと、イプセン=近代演劇の父と言われる西欧のセリフ劇が近代劇の象徴になっているが、どうもアジア的な演劇の根にあるのは、伝統的に歌い躍る歌劇(ミュージカルやオペレッタ)が主流だと言える。
伝統芸能が伝統を保持、継承したとはいえ、歌舞伎も変容してきたのだ。お能は式楽として歌舞伎と別の形態を踏襲してきているがどうも逆に伝統芸能のお能や歌舞伎、文楽の斬新さ、ポストモダンの要素が世界的に評価されつつもある現況、西洋を鏡にしてきた近代だが、逆に西洋がアジア的な演劇(芸能)に自らを映しだしてきた近代でもあった。
さてわが琉球・沖縄にとっては冊封使や江戸上り(江戸立ち)があり、それぞれ23回、18回と小さな王国の威信をかけた芸能外交があったのである。芸能が外交にとって重要な位置にあったことは無視できず、琉球・沖縄の歴史、そして近代の帳の中で迎えた波をどう評価するか、組躍の系譜を主軸に論稿は書いたが、歌舞伎や新派、などの影響関係を含め、ハイブリド化がなされたことは無視できない。それであらためて論稿を書き直さなければならない。
近代化=日本への同化であり、日本への同化の過程で西洋を受容してきた近代沖縄だった。1879年から1945年までの66年間の基本的な構図をおさえる必要がある。どうも日本を除いてそのほとんどが西洋列強の植民地の経験を持つ他のアジアの国々の経験・歴史は琉球・沖縄と重なるところが多いのも事実である。シンガポール、香港、マレーシア、インドの多言語制、多宗教、多民族国家の特性など、とても興味深い。マレーシアの中国系演劇の発表にしても、そのマレー(語)中心のナショナル演劇の中の独特なマイノリティー演劇の位置づけなども、なるほどだった。
北京からZhaoさんも見えていて、久しぶりの再会が懐かしかった。去年の春、北京での研究会に行けなかった。Lao Sheの御本を頂いた。漢文に英訳がついている。以前お会いしたとき、沖縄文藝の英文アンソロジーをプレゼントしたのだった。2年前の台湾での研究会以来だ。しばらく日本に滞在して観光と観劇をするという。
この国際アジア演劇研究会をいつか沖縄で開催したい。そのために文化庁・沖縄県・大学の協力を得たい。世界演劇学会の中の研究部会だが、今年研究論文が一冊の本としてまとめられる。
玉三郎の新作組踊への主演の傾向に見るように、ナショナルな演劇を超えてアジアという地域、あるいは世界の演劇としての「土着の演劇」の価値の位置づけがまたなされている。
23人の研究発表、そこから類似性と違いがあぶりだされていく。Similarity and differenceである。
狂言や比較演劇研究者のJonah Salz先生のパワーポイントです。
伝統劇の近代化のプロセスですね。
新作組踊も近代化の過程の産物だが、きわめてまたコンテンポラリーなんですよね。
演劇の弁証法だと考えているが、沖縄県のセンスがもっと拓かれれたらいいね。
今日は8人の研究発表の後最後の論議があり、その後お能の上演とそのデモンストレーションに参加する予定。
後で中身を少しご紹介したい。