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組踊や沖縄芝居は危機言語(ウチナーグチ:琉球諸語)の保存・継承に重要!

2017-09-03 06:36:46 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

以下は博士論文の基本コンセプトとして大学院に提出した文章の一部です。現在は以下のコンセプトを視野に入れながら、もう少し絞った研究題目で取り組む予定です。しかし、危機言語(琉球語あるいは沖縄語)の保存・継承・再活性化は琉球芸能文化と深くかかわっています。より総合的な対応が要求されている今日だと憂えています。なぜ芸能文化が重要なのか?それは沖縄の文化的アイデンティティーに深く関与しているからに他なりません。コンセプトの一部をご紹介して、より多くのウチナーンチュや危機言語の活性化に関心をもっておられる方々にとっても参考になればと思います。

【博論課題の先行研究】

異文化接触と文化的・アイデンティティーの観点から琉球王府時代の芸能を見ると1719年、玉城朝薫が清国の冊報使の御前ではじめて披露した組踊もまた、清国、薩摩・幕藩体制の日本との異文化接触の集大成・結晶とみなすことは可能だろう。他者との交流・接触を通して独自の芸術スタイルを生み出した例である。全く中国戯曲の模倣ではなく、また全く日本の伝統芸のお能や歌舞伎の模倣でもない。あくまで琉球固有の芸術スタイル・音楽に拘った朝薫の芸術家魂が完成したスタイルこそが、その後の琉球王府の宮廷芸能・国劇として儀礼・歓待芸能の中軸になった。その組踊の先行研究は充実している。沖縄学の権威伊波普猷著『校正琉球戯曲集』が1929年には出版されており、戦前から戦後にかけて脚本研究は手堅い。組踊が口立てではなく当初から戯曲として文書化された影響が大きいと言えよう。池宮正冶著『琉球文学論』(沖縄タイムス、1976年)、同『沖縄芸能文学論』(光文堂、1982年)、當間一郎著『組踊研究』(第一書房、1992年)、同『組踊写本の研究』(第一書房、1999年)、畠中敏郎著『組踊と大和芸能』(ひるぎ社、1994年)、矢野輝雄著『沖縄芸能史話』(榕樹社、1993年)、同『組踊を聴く』(瑞木書房、2003年)は特筆すべき研究図書である。他に個別の作品論もかなりある。

昨今は博士論文がまとめられている。

崎原 綾乃 「琉球王府時代の組踊の研究 -冠船七宴と遊覧ー」 2010年年3月

鈴木耕太 「組踊台本の基礎的研究」2015年は膨大な基礎資料である。

古波蔵 ひろみ「冠船芸能における装束と結髪および髪飾りの研究」2017年3月

 その他研究論文も多い。


さらに1719年に来琉した清国の冊報使徐葆光の『中山傳信録』は当時の舞台の見聞を含め琉球国の貴重な記録である。

一方で組踊を母胎にそのもどきとして誕生した沖縄芝居、琉球歌劇と琉球史劇の研究書は組踊のようなテキスト研究・概論はほとんどなく、沖縄芝居概論としてもまだ上梓されていない現状である。矢野輝雄著『沖縄芸能史話』の中に一部歌劇や近代演劇としての芝居についての項目があり、またすでに紹介した池宮正治の書物の中にも明治・大正時代の芝居に関する新聞資料を読み解いた芝居背景が紹介されている。その他、よく引用される真栄田勝郎著『琉球芝居物語』(青磁社、1981年)は、明治から大正期の沖縄芝居の状況が散見できるが通史としては不完全である。

近年出版された大野道夫著『沖縄芝居とその周辺』(みずほ書房、2003年)は、新聞資料を基に歌劇の通史に取り組んでいるが、手法は池宮氏に類似し、各論が弱い。また大城学著『沖縄芸能史論』(砂子屋書房、2000年)には組踊と共に芝居脚本がいくつか紹介されている。他、『琉球芸能辞典』(那覇出版社、1992年)は沖縄の芸能が概観できる。

その他、沖縄芝居役者によって書かれた書物に大宜見小太郎著『小太郎の語やびらうちなあ芝居』(青い海、1976年)、真喜志康忠著『沖縄芝居と共に』(新報出版、2003年)などがある。戦前から戦後にかけて活躍した名優真境名由康の『真境名由康・人と作品』上・下巻(1990年)、また同じく名優として誉れ高い渡嘉敷守良の『沖縄演劇界の巨匠・渡嘉敷守良の世界』(2005年)も発行されている。また個別の芝居劇団については『女だけの「乙姫劇団」奮闘記』(講談社、1990年)などがある。琉球大の修士論文として戦前の「沖縄座」について詳細な追跡調査などもなされている。主に口立てで創作され、上演されてきた沖縄芝居は、当初からそのテキストの刊行が難しい中で現在に至っている。それゆえに、芝居の映像(VTR)などは一部の業者によって販売されているが、芝居テキスト(台本・脚本)の出版が立ち遅れている現状である。現在沖縄芝居はインターネットでも閲覧できるサービスが沖縄県により提供されているが、ごく一部に過ぎない。

ウチナーグチ(沖縄語)で成り立つ組踊や沖縄芝居が沖縄アイデンティティーの中軸にあることは無視できない事実であろう。危機言語に数えられているウチナーグチだが、組踊から脈々と流れている系譜を検証することによって、琉球古語を含む組踊の原点(芸能)から現代ウチナー芝居『人類館』にいたる沖縄の集団的無意識の集合性としての総合芸術・大衆芸術の本質に迫ることもできるだろう。

ところで例えば照屋善彦氏の「19世紀琉球における欧米の異文化接触」(沖縄大学人文学部紀要、2000年)などの論稿はとても示唆的である。近代・明治以降の沖縄の大衆芸術の誕生・発展・スタイルの確立の過程はそのまま日本への同化の過程であり、日本を通した西欧文化受容の時期でもあった。同化と異化は古くて新しい概念だが、それが一つの異文化接触のプロセスであり、その衝突・接触の経験を通して独自の文化的アイデンティティーを勝ち取る過程でもあったと考えると、必ずしもすべてが負のプロセスではなかったと言えよう。

日本の一県になって以来歌舞伎や壮士劇など、旅回りの芸人が船で来沖するようになった。新しい舞台は、「百聞は一見にしかず」で、それらの日本の異文化表象との接触の過程で沖縄の芸能人は新たな雑踊や芝居を創作する。

そして明治以降、日本への同化の果てに至った沖縄戦での嵐(屍の山)を経て戦後27年間の異民族支配、その後の日本復帰があった。沖縄とアメリカとの異文化接触は1852年に那覇の港に停泊したペリー総督一行来琉以来の大きな出来事で、アメリカ占領下、沖縄の住民は多くの苦難とまた多くの楽観的なアメリカ民主主義、また辛らつな占領支配を経験するが、それらはまた芸術表象として、作家の大城立裕氏や芝居役者の真喜志康忠氏の作劇に影響を与え、復帰後の「人類館」や「カフェ・ライカム」などが誕生した。戦後の状況(Cross-cultural)を知るには『戦後沖縄とアメリカ-異文化接触の五十年』(照屋善彦・山里勝己+琉球アメリカ研究会編、1996年)は重要なテキストであり、アメリカ側から発信された沖縄表象としての「八月十五夜の茶屋」は小説・演劇・映像の三様のスタイルで沖縄の固有性をまた浮き彫りにしている。

まとめとして、異文化接触や文化的・アイデンティティー、文化の記憶装置としての観点から沖縄の演劇表象への言及は尐ない。昨今問題になっている沖縄(琉球)語の問題も含め、総合芸術・大衆芸術である組踊や沖縄芝居が、言語の保存・継承の面でも言語政策としても重要であるという認識がもっと深まってほしいと考えている、その認識の涵養のためにも、この研究に実証的に取り組みたい。

4・今後の研究計画や研究方法

異文化接触や文化的・アイデンティティーの観点からまとめられた演劇表象(大衆芸術)の先行研究が沖縄ではほとんどない状況であり、手探りで課題に取り組むゆえに、何がベターな研究方法なのか、明確ではないことをまずご承知していただきたい。

(1) 明治の日本政府に琉球が併合されるという歴史的大転換を軸にして琉球・沖縄の文化表象もまた大転換が起こったのである。ゆえにその歴史的・社会的背景について文献資料を通してじっくり検証することからはじめたい。その文献収集と精読を通して明治12年前後の琉球のポジション、その後太平洋戦争終結にいたるまで、67年間、沖縄の置かれた多層性、多文化性(異文化接触)を意識した調査をする。

(2) 一方でやはり文化表象として一連の沖縄芝居(歌劇・史劇などの台詞劇)の検証をする。すでに見失われた作品も多いが、池宮正治氏などの新聞資料に元づく研究やデーターベース化は芸大などで取り組まれており、その資料も参考に日本への同化(異文化接触)の過程でどう新しい大衆芸術が創造されたのか、それがなぜ沖縄の一般大衆に受容されたのか、主に新聞資料と実際の作品・テキストを照らして検証していく。

作品は初期の歌劇から史劇、そして沖縄で上演された日本の歌劇や壮士劇の検証とその後どのような作品が創作されたのか、芝居の隆盛と改革の面で当時の日本中央の演劇の動向にも目を向ける必要がある。さらにこの間あまり取り上げられてこなかった戦前の台湾演劇の動向が沖縄に与えた影響も調べる必要がある。実際演劇改良に尽力した上間正品は大阪、そして台湾に渡っている。日本の新派・歌舞伎の移植をがんばった上間正品だが、沖縄は独自の言語慣習に頑なに拘っていた、それゆえの現代に残る沖縄の歌劇や史劇の誕生は、エスニック・アイデンティティや文化的アイデンティティーの証左だと考える。ヤマト芝居を経由してシェイクスピアの作品の翻案なども沖縄で上演されているが、やはり影響をとどめただけで濾過され、ウチナー芝居のエキスに取り組まれたと言える。なぜ?

沖縄の民衆の情感が沖縄語の世界に拘泥し、かつ新しい時代の波を求めて芝居小屋に詰め掛けた、という状況が象徴する事柄を他地域の近代化の現象との比較もしながら検証したい。当時の沖縄の演劇人が貪欲に日本や日本を通した西欧の舞台芸術を受容し学びながら、独自に固有の舞台芸術を生み出していったということは、アイデンティティーの造成が他者との関与の関係性の中ではぐくまれることを示唆していると言えよう。同化と異化の作用だとも言えようが、その過程で従来の歴史・伝統・風俗が芝居の中に封印され記憶され、繰り返し上演される中で共同体の共有する幻想・イメージ・認識をもたらした点も考察する必要がある。

どのように?なぜ?大衆芸術の文化的コンテキスト・記憶装置の機能がそこに働いていると考える。文献資料の検証と実際の高齢者が多い歌劇保持者や芝居役者の聞き取りをしたい。そしてどうしても沖縄の現象と類似する他地域(他国)との比較検証が必要になってくると考えられるが今どの地域、どの国との比較が可能か、明確なビジョンを持っていない。

(3) そこで重要なのは、昨今作家の大城立裕氏が提唱されている8886文化論だが、大城氏に先がけて真喜志康忠氏などもすでに言及している。芝居は沖縄語(あるいは沖縄方言)の世界であり、またリズムは8886である。琉歌のリズムを基本にすえた組踊もまたそうである。8886の詞章や歌・三線を機軸にして沖縄の芸能・大衆芸術が成り立っている。そして同じく重要なのは沖縄語である。その沖縄語が戦後危機的状況にある。芸能文化がその保存・継承の砦になりえるかどうか?際どい状況にあるのが現在の沖縄であると言えよう。戦後の沖縄の演劇表象の概観も見ながら戦後的状況も分析する必要がある。そこでまた沖縄語からかけ離れてきた日常生活と教育における差別化の要因が、沖縄芝居の現況をまた危うい状況に落としいれているという事象についても検証する必要がある。

(4) さてこの8886文化論だが、対称軸としての575、57577リズム文化圏との異文化接触の検証もする必要があるのだろう。どの文化圏もそれぞれの文化的リズムを有していると考えるが、例えばヨーロッパではロマ(ジプシー)民族のリズムがハンガリー舞曲などに取り入れられていている。フュージョン化が見られる。それぞれの民族の固有のリズム感との比較・融合のあり方は異文化接触の実証として鍵になるのかもしれない。

(5) 言語と身体の側面から異文化接触とアイデンティティーを捉えるにはどうしたらいいのか?舞台上の言語、身体表出の型の分析などが要求されてくると考える。

(6) 母の日や敬老の日を中心に上演されるようになった沖縄芝居の観衆の側の意識、言語認識などについてのアンケートを実施したいと考えている。また実際の芝居のリハの調査、インタビュー、型や場面の特性を具体的に調査・分析することも必要であると考える。個人的な体験としては沖縄芝居を鑑賞することによって沖縄語の理解が深まると考えている。

(7) 沖縄語が文化の継承装置としてあるならば、芝居はその娯楽性・大衆性においても最も有用なものだと考える。沖縄の言語政策においていかに沖縄芝居を保存・継承・発展させるか、はきわめて県民総体で取り組むべき課題であり、沖縄が自らの歴史・文化・そのエスニシティーやアイデンティを大切にすることは、観光立県を標語する上でも重要だと考える。実証的な提案ができたら幸いである。もちろん言語や大衆芸術の継承活動の実態も調査したい。

(8) 戦後、アメリカ占領期、そして復帰後の文化表象としては先に紹介した作家などの戯曲や舞台の分析を中心に沖縄をめぐる今日的異文化接触と文化的・アイデンティティーについてまとめてみたい。

要約すると、組踊や芝居などのテキスト、また社会科学・歴史書などの文献資料の分析、類似する他地域・他国の文化表象との比較、琉球歌劇保持者などへのインタビュー、芝居公演のアンケート実施、言語機能・継承言語としての大衆芸術としての沖縄芝居の現在の位置、またその文化の記憶装置、アイデンティティーの要素が維持されているのか、将来の可能性などについて検証する。

実際例えばウェールズなどはウェールズ言語を保持し、ウェールズ言語で演劇上演がなされている。またアイルランド演劇なども舞台が民族言語の継承と保持、アイデンティティー認識の軸になっているようだ。沖縄ではどうだろう?類似する地域や国について調べてみたい。

5.研究の意義

個別にこの間、組踊や沖縄芸能、民俗芸能、現代劇などの研究はなされてきた。その中で矢野輝雄氏の『沖縄芸能史話』などは通史的に貴重な文献である。緻密に沖縄芸能の初原から1980年代の幸喜良秀氏や大城立裕氏、真喜志康忠氏を中心に設立された「沖縄芝居実験劇場」の端緒まで網羅している。しかし真喜志氏が口癖のようにことばにだしていた演劇史のデイテールは今後の課題である。

この研究は昨今海外で開催された国際学会のグローバル化、ローカル化の現象を直に見聞し、研究の広がり深まりを経験する中で、もっと広い視野で越境する現在社会、また内で多様な分野、多様な組織がかかわりあう現象(Intercultural & Intro cultural)もかんがみながら、沖縄の表象文化の中で中軸になっていると考えられる演劇(大衆劇術)を異文化接触としての日本への同化、そして戦後のアメリカとの遭遇を含め、大衆の無意識の夢・幻想を舞台に表出する劇スタイルの芸術に沖縄の文化的・アイデンティティーが込められている、ということを実証したいのである。

そして危機言語としての沖縄語の今後の保持・継承とこれらの認識が関与していることを明らかにしたい。沖縄語の喪失は沖縄芝居(大衆芸術)の喪失に連なり、沖縄の独特な文化的アイデンティティーの喪失と一蓮托生だと考える。余談だが2008年7月、韓国のソウルで開催された国際学会に参加した時、お隣の台湾の研究者が大国(中国と日本)の間で独自の芸能を保持・継承している沖縄の芸能を紹介していることに驚いた。しかし彼女は組踊を正確に発音せず「ぐみおどり」と発音し、一度も舞台を見たことはなかった。しかし紹介した映像に真喜志康忠氏の「阿摩和利の勇壮な立ち姿」が使用されていた。

今まさに、よりauthenticな沖縄文化の海外への発信が問われている、と考える。←その点、すでに琉球大学の屋宜盛峰先生が英語翻訳された組踊の書籍が不完全なままで倉庫に眠っているのは勿体ない。訳者の名前をきちんと明記し、その意義を追記した訂正本が図書館に早急に並ぶことを念じている。

<なお、上記文章は平成21年度、琉球大学大学院(後期博士課程)に提出した文書の一部である)


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