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パンフレットに見るニューヨーク、沖縄、東京で 上演されたThe Teahouse of the August Moon

2014-04-29 14:37:40 | 「八月十五夜の茶屋」科研研究課題

  (少し古くなった研究ノートですが、SDカードからデーターをHDDポータブルに入れようとしたら2.3年前の論稿がでてきたので、今日のブログの更新としてここにUPしますね。これはもっとふくらまして原稿50枚から100枚にしたいテーマですが、現在取り組めません。データーはBOXの中に入れたままです。生きている間にまとめたいテーマがいくつかあるが、なかなかきちんとまとめるには時間がかかります!カタツムリやモグラの歩みでしょうか?それでも掘れるところは、まとめていかなければ、です!以下の論稿は字数制限が厳しくかなり詳細を削除しています。その辺を思う存分書きたいと思いつつ、そのままにしているところですね。)

Southern Review No.26, 2011

 

 

パンフレットに見るニューヨーク、沖縄、東京で

上演されたThe Teahouse of the August Moon

                              

はじめに

1953年Vern Sneider(1916-1981)の小説を翻案したJohn Patrick(1905-1995)のブロードウェイの舞台The Teahouse of the August Moonが大ヒットし、53年10月15日から56年3月24日まで、全1027回上演された。それは1950年代のアメリカ演劇史を彩る出来事だったと言えよう。Patrickは、この作品でPulitzer Prize、また最優秀演劇としてTony Awardを受賞している。プロデューサーのMau-rice Evans(1901-1989)そしてGeorge Schaefer(1920-1997)と共同受賞である。さらに、沖縄人通訳サキニを演じた俳優David Wayne(1914-1995)は、最優秀俳優としてTony Awardを受賞、また最優秀舞台美術として Peter Larkin がTony Award を受賞している。これらの賞から明らかなことは、John Patrickの脚本が優れていたこと、そしてEvansとSchaeferのプロデュースが秀逸だったことである。また主演David Wayneが、サンチョ・パンサのような狂言回しで劇場を笑いに包みこみ、舞台美術は奇抜で観客におおいに受けたことである。

ところで、ブロードウェイ公演がまさに絶好調にあった54年4月(4月21日から3週間)、沖縄の嘉手納基地内にあったズケラン劇場(Sukeran Theatre)やラックランド劇場(Lackland Theatre)で、計15回、The Teahouse of the August Moonが上演された1)。観客の多くは沖縄駐留の米軍人・軍属。招待され観劇した沖縄人はわずかで、唯一、大城立裕の舞台批評が著書の中に掲載されている2)。日本語と英語で書かれたパンフがある3)。舞台公演のため日本語訳された台本も残されている。海外でのThe Teahouse of the August Moon上演の先駆けが沖縄であったことが、それらの資料から伺える。ブロードウェイでヒット中だった舞台がなぜ沖縄で上演されることになったのか、その経緯も見えてくる。

その翌55年8月、東京の歌舞伎座が、新派の舞台女優水谷八重子を抜擢して英語劇に挑戦した。8月6日から30日までの25日間、主な観客は軍人軍属を含むアメリカ人。当時の雑誌は、観客の6割が英語を解する外国人で4割が日本人だったと記している4)

ニューヨーク、沖縄、東京の舞台は、John Patrickのオリジナル脚本で、英語にわずかな日本語、沖縄語(ウチナーグチ)が混じっている。本論ではこれらの舞台公演のパンフレットを紹介しながらそこから見えてくる舞台の概要やイメージ、類似や違い、そして関連性についてその一部を取りあげたいと思う。

 

パンフレットから見える舞台模様

 手元にあるブロードウェイのパンフレットは、それが1955年の舞台のためのものだということはわかるが、いつ発行されたか定かではない。初演の時の物でないのは明らかで、配役に一部違いがある。ブロードウェイ初演の配役のサキニは、David Wayneだが、このパンフのサキニはEli Wallachである。1951年、テネシー・ウイリアムズの「バラの刺青」でTony Awardの最優秀俳優賞を受賞した実力者。Wallachは、54年4月22日、ロンドンのHer Majesty’s Theatreでオープンした The Teahouse of the August Moonのサキニを演じた当人で、八ヶ月間ロンドンの舞台に立った。そのロンドン公演は、同劇のブロードウェイのプロデューサー、George Schaeferの監修だった。

パンフの表紙は、日本髪で着物姿の首の長いロータスらしき女性とアメリカ人フィズビー大尉らしき男性がワイングラスを持って向き合っている。切り絵のような雰囲気。面白いのは、ロータスは正座だがフィズビーは左足を少し曲げたように前に出し、胡坐をかいた座りである。一方、明らかにサキニと思える人物が胡坐をかいて茶屋の前の地べたに坐して二人を見つめている。大尉の靴が茶屋の前に置かれている。ロータスの履物は見当たらない。彼女は茶屋と一体のイメージ。茶屋はPeter Larkinの舞台美術をそのままアレンジしたデザイン。このパンフを見ればロータスと襖に描かれた梅の木には日本的情緒が流れている。しかし茶屋の建物その物は中国風である。

表紙をめくると、真中にthe Teahouse of the August Moonが幾分大きく表示され、John Patrick、Maurice Evans、そしてGeorge SchaeferよりサキニのEli Wallach と、フィズビーJohn Bealの名前が大きく表示されている。続いて大きな文字で紹介されているのがパーディー三世大佐Paul Ford(1901-1976)、マクリーン大尉Jonathan Harris (1914-2002)、オシラさんWilliam Hansen 、そしてロータス・ブロッサム(蓮の花)Mariko Niki。演出はニューヨークアクタースタディオの創立者 Robert Lewis(1909-1997)。 8ページのパンフレットの表紙をめくるとサキニのWallachが上半身着物を着け、敗れたズボンをはいた写真で登場。続いてフィズビ役Johnの大きな写真、1942年に米軍に入隊し3年以上空軍で訓練用の映画15本制作したことが紹介される。配役紹介の他、原作者Sneiderが一面に渡って“Below The ‘Teahouse’” のエッセイを寄せている。ブロードウェイの舞台に対する小説家の視線の柔らかさが感じられる文章。フィズビー大尉のトビキ村での苦労やファンタシーに見える物語、その底辺に流れるものへ心を寄せてほしいと誘う。この同じ文章が55年の歌舞伎座で公演されたパンフの中で全容が紹介され、また54年の沖縄での公演パンフはその半分が削られ編集されている。削られた所には「文化や風習が変わっても、人間の本質的な類似があることや、古い文化への配慮の大切さ、軍政府で働く者にとって、いい案内の作品になるだろう」と言及している。そしてJohn Herseyの小説A Bell for Adanoを紹介している。この小説のイメージや物語構成はスナイダーの小説にヒントを与えたようだ。住民が最も求めていたのは何か、それが鍵になっている。

パンフには舞台写真が8枚紹介され、両面に大きな茶屋の祝宴写真がある。また沖縄を含めた海外の6公演の写真も網羅。作家、劇作家、演出家、プロデューサーが大きな顔写真で紹介される中、注目すべきエッセイがGordon Walkerの“‘Teahouse’ and Okinawa”である。終戦間際の沖縄に滞在した氏はキリスト教関係の東アジア特派員で、当時の沖縄や日本の状況にコミットしたエッセイを寄せている。この演劇が音楽を除いてThe Madame Butterfly The Mikadoの統合された作品だと言い切る。そして何百万人ものアジア人の困窮に同情を深めることができると閉める。53年は朝鮮戦争が終結、休戦に入った年でもあった。

パンフの中で舞台の様子が一目瞭然なのは写真である。舞台美術の華やかさがありロータス役Marikoのセンシュアルな美しさが迫ってくる。踊りは琉球舞踊ではない。着物の裾は長く紅型ではない。彼女は和装でも日本芸者の艶姿のようでそうでもなく、汎アジア的な美を彷彿させる。山羊も登場。着物姿の老若男女の風情など、戦争で疲弊した沖縄(人)をアメリカンスタイルの民主主義に変えて行こうとするコメディーと、芸者をプレゼントされるエロティシズムと恋物語が茶屋の建設にからんで物語が展開する。つまり異国情緒に満ちている。

そして、54年4月、嘉手納の劇場で上演されたパンフは12ページのB5サイズ、表に月見亭と縦に書かれ、蓮の花が咲いた池が描かれている。裏にはコオロギとその虫カゴのイラスト。パンフをめくると最初にMaurice Evansから米陸軍少将オグデン(Ogden, Major General)への手紙。日付は53年12月29日。12月11日にOgden少将からEvansに軍の書式で文書が送られたことが分かる。戦時中米軍Special Service将校だったMauriceはすぐに上演協力を了承、ブロードウェイ公演の台本や写真の提供をすると書いている。そして次のページにはOgden少将からJohn Patrickへのお礼の手紙。54年2月2日付け。ライカム琉球米軍司令部のスペシャル・サービスは、琉球の子供たちのため学校建設をするチャリティーとしてThe Teahouse of the August Moon公演を位置づけている。資金造成と友好親善が目的だと言える。次のページには提灯が松の樹にぶら下げられたイラストが描写されライカム特別サービスと琉米親善協会後援、そしてMaurice Evans, John Schaefer, John Patrick, Vern Sneiderの名前が併記されている。演出家Glenn Q. Pierceは、カンザス大学で演劇を専攻、軍内部のSpecial Services LittleTheatre Groupのメンバー。技術監督はJohn Coolidge。配役は、サキニがStephenJoyce、フィズビーがAbe Bassettで、米軍人役者のほとんどが大学で演劇を専攻、舞台に出演、あるいは実際にプロの劇団で活躍した経験などを持っている。そして最も注目すべきはロータスを浜幸子が演じている事である。「料亭松の下」のお踊り子が芸者役に抜擢され紅型を着けてウチナー髪で紹介されている。また老女や便乗者役で富名腰キヨと糸数キヨが出演。彼女たちは茶屋完成の宴では地揺を務めている。また琉球民謡で名高い嘉手苅仁誠がケオラ氏の役で出場、琉球舞踊・組踊・沖縄芝居の名優宮城能造がスマタ氏の役。24人の配役の内15人が沖縄人のキャスティング。リハの時の写真が5枚紹介されていて、ブロードウェイの舞台をある程度まねた形跡が見える。しかしロータスは純沖縄人で、その結髪と着物姿はまさに沖縄そのものであり、フィズビー大尉の服をはぎ取る場面など、ブロードウェイの写真と違った素の雰囲気である。

パンフレットは冒頭の手紙の他は英語と日本語で記述され、沖縄人キャストや観衆にも分かるように配慮されている。特別援助者の中に「料亭松の下」、上原栄子、「料亭那覇」、上江洲文子、「琉球ギフトショップ」が並び、また技術スタッフにも多くの沖縄人がかかわっている。ブロードウェイの舞台を見たOgden少蒋が“This performance is in many ways superior to the Broadway hit”5)(沖縄公演こそが多くの点でブロードウェイより優れている)と、当時発行された英字新聞に感想を寄せている。ライカム指令部の情熱が感じられるが、この公演がOgden少将主導で実施された点からも明らかである。

翌55年の歌舞伎座の公演パンフB5サイズの22ページ、KABUKIZA THEATREを強調している。大きな月のイラスト、その中に茶屋らしき影を描いている。地味な作りでSHOCHIKU COMPANY PRESENTSと紹介。演出は、伊藤道朗とGlen A. Twombly、セットは伊藤喜簀、照明は篠木佐夫。配役紹介のトップは新派の看板女優水谷八重子。沖縄芸者役ロータス・ブロッサムと紹介されている。そしてブロードウェイのパンフにも紹介されていた「芸者とは何か」その同じ文面が記されている。

 

What is a Geisha? Sold as a paid entertainer, a wit, a brilliant conversation-alist; she is a soothing cup of jasmine tea—-she is a crystal chalice holdinga stranger’s tears.  She is definitely not a part of Col. Purdy’s Plan for Re-covery, nor the kind of problem anticipated by the Pentagon. With Lotus Blossom the problem must be faced. 6)

 

“A soothing cup of jasmine tea”(痛みを和らげるジャスミン茶の茶碗)と、“a crystal chalice holding a stranger’s tears” (訪れる人の涙を受けとめる水晶の聖餐杯)、これらはとても美し過ぎるほどの修辞である。ブロードウェイの表紙のあのワイングラスにはこのような象徴が込められているということがわかる。『八月十五夜の茶屋』の中心に情緒を掻き立てるものがあるとすると、ロータスが娼婦なのかどうかの問であり、対して芸者がその曖昧模糊とした応答になっている。しかし根のところでフィズビー大尉に贈呈された美しい芸者は、強烈に観衆を惹きつける。今に続くオリエンタリズムが流れている。それは古からの人間のセクシュアリティとジェンダ―の問を喚起し続けるゆえでもあろうか。

さて歌舞伎座の演出家伊藤道朗(1893-1961)は、ダンサーかつ振付師。第二次世界大戦前に海外で活躍、詩人イェイツの戯曲『鷹の井戸』の完成に貢献している。サキニ役Farley Jamesは早稲田大学出身で映画俳優、フィズビー役Harry Dinwiddieは、演劇経験を持つ東京駐留中の米軍人、その他、詳細は割愛するが、村人や婦人リーグのメンバーなど20人は新派役者が総出演。ここで注目すべき人物はYuriko Nikiである。ブロードウェイでロータスを演じたMariko Nikiの実妹で英語を解さない日本人観客のための通訳として舞台に登場。当時劇場に字幕スーパーがまだ導入されなかったゆえの登壇で、彼女の起用には舞台を間延びさせた、などの批評もある7)

このパンフで注目すべきなのが、北村喜八(188-1960)と、尾上九朗右衛門(1922-2004)のエッセイである。北村は演出家、劇作家、翻訳家で築地小劇場に参加、国際演劇協会日本センター設立に尽力、初代理事長である。55年7月19日付けでロンドンから原稿を送っている。それによると54年4月22日にオープンしたロンドンのThe Teahouse of the August Moonの沖縄人の役は皆中国人が演じ、一種異様な日本語をしゃべっていたと記している。尾上は歌舞伎役者・俳優で49年にアメリカに留学している。そして演出家Robert Lewisからブロードウェイの The Teahouse of the August Moon の開演1年前にサキニの役を打診されている。ロータスとサキニの役に日本人を使いたいと熱望していたことがわかる貴重な証言だ。結局尾上は英語に自信がなく断ったのだが、ブロードウェイのロータスに山口淑子が候補に上っていたなど、興味深い。尾上は3年前の経緯ゆえに歌舞伎座の舞台をお手伝いしていると書いている。

ここで渡久山が展開したイエローフェイス理論が脳裏をかすめる8)。「白人優位主義の保障」の概念が取り上げられていたが、日系アメリカ人や日本人役者でサキニの役にふさわしい俳優がいたら、演出家は躊躇しなかったと推測できる。これはもっと吟味したい。

 

おわりに

パンフから舞台の多くの事柄が見えてくることに驚いた。ニューヨーク、沖縄、東京で公演されたThe Teahouse of the August Moon の結びつきは深く連携しあっている。1950年代のアメリカ、沖縄、そして日本の時代相も浮かんできた。他の文献資料や録音資料、またインタビューも含め、時代のコンテキストと共に公演の比較研究を掘り下げたいと思う。

 

               注



1)      “Okinawan’s Hit Wows Okinawans.” Life 14 June 1954:101-102の記事にArmy puton 15 performances of the play at Kadena Air Base’と書かれている。

2)  大城立裕(1990)『沖縄芝居の魅力』沖縄タイムス社:pp.287-291

3)  沖縄公演パンフレット(1954年4月)の題は、『月見亭』である。『料亭十五夜』の名称も見られる。沖縄に茶屋がないゆえ、1955年、歌舞伎座公演のために翻訳した北村喜ハが、『八月十五夜の茶屋』の題名にしたと推定できる。

4) 『演劇界』(第十三巻第十号、1954年、p.66)は写真を8枚掲載すると共に『八月十五夜の茶屋』の特集を組んでいる。

5)  Ryukyuan REVIEW, 23 April 1954に詳細が紹介されている。オグデン少将は具体的に主な役者の演技をブロードウェイの舞台と比較して好意的に評している。

6) 歌舞伎座のパンフレットを見ると、松竹は昼に水谷主演の『お蝶夫人』(デヴィト・ベラスコ作/北村喜ハ訳)を上演している。

7) 『演劇界』(p.67)によると、舞台は3時間半の長さで、「これほどに不評を買い、不入りであった芝居もめずらしい」に代表されるように、辛辣な批評が多い。

8) 渡久山幸功(2010)「沖縄人を演じるマーロン・ブランドー『八月十五夜の茶屋』のイエロ ―フェイスの意味―」(Southern Review No.25)参照。

 

 謝辞

本稿は、科学研究費補助金(課題番号22520289)による上映会&シンポジウム「『八月十五夜の茶屋』の変遷―小説から演劇、映画の受容まで」(2011年9月10日、13:30-17:30、県立博物館・美術館講堂)における口頭発表をパンフレットに絞ってまとめたものである。

 

             

              


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