
(つぶやき)
ジュリの表象のシンポジウムと重なりますが、ご紹介しますね!仇討物の「組踊」の味わいはどこにあるのでしょう?それを探求するのも一興ですね!
二代目玉城盛義が組踊の軸になっていくのですね!玉城流は歴史の経緯から見て一代目盛義さんが大勢の女性達が日夜芸を披露していた遊里で、彼女たちに舞踊を教えてきたので、層が厚いですね。
長い時間のスパンで考えると、凄いことですね。王府時代の役人〈公務員〉芸から近代の帳になって客からお金をとって芸能を見せるようになったのです。王府時代は宮廷芸能、外交芸能だったのですね。もちろん、歌・三線は日常的に嗜んでいたことはその通りですが、遊里ではゲストに歓待芸能として辻や仲島のジュリ〈芸妓・娼妓〉は芸を披露してきたのですね。彼女達は芸を切り売りしていたことになります。間切に招聘されて芸能の指南をしたり、実際祝祭の場で芸を見せていますね。芸を先んじて生活の糧にしていたのは遊里の女性たちです。琉球、沖縄の芸能は彼女達を全く無視できませんね。
見せるための芸、聞かせるための芸(プロフィットになる芸)の琉球における先駆者は遊里の女性たち(ジュリ)なのですね!贔屓の客のために芸を磨いたに違いありませんね。薩摩の在番や冊封使の随行員のために芸を披露したのですね。凄いです!その時、金の簪を随行員のお客から寄贈された美らじゅりもいたのですね!遊里の異文化接触のトポスにあふれていたもの、は何だったのでしょう?