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琉球歌劇『伊江島ハンドー小』の魅力――肝美さ(ちむちゅらさ):肝の修辞に驚く!

2012-06-05 16:49:48 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

       (庭に咲いたアカバナの変種、逆さになっていますが、そのままに《笑い》)

琉球歌劇『伊江島ハンドー小』の魅力――肝美さ(ちむちゅらさ)
                             
 【組踊から歌劇へ】

 「伊江島ハンド-小」の作者真境名由康(1889-1982)は、琉球芸能・中興の祖と讃えられる。それは近世琉球王府の激動期、薩摩支配下にあって琉球のアイデンティーを求め、組踊五番「二童敵討」「執心鐘入」「銘苅子」「女物狂」「孝行の巻」を創作し、琉球の文化的支柱になった玉城朝薫(1684-1734)に比肩する存在としての評である。明治、大正、昭和の世替りという同じく激動的な100年に生き、伝統芸能に沖縄文化の軸を求め、宮廷芸能(組踊、古典舞踊)を継承、かつ近代の扉の中で時代の息吹に呼応して雑踊、沖縄芝居(史劇や琉球歌劇)、創作組踊など、新たな舞台空間を生み出し後継者を育て現代沖縄の舞台芸術の礎を築いたことに対する畏敬の念が込められている。その真境名氏を語る時、「私の先生は組踊です。学問も、生き方もすべて組踊から学びました」(『真境名由康人と作品』上巻、1987)というご本人の発言は、氏の発想が常に組踊を母胎にしていることが伺える。そう、「伊江島ハンドー小」もまた組踊「執心鐘入」や「手水の縁」の系譜作品として位置づけられるのである。

 1719年に首里城北殿の仮設舞台で上演された組踊が、琉球王府が滅亡する1879年に至る160年間、琉球の国劇として中国の冊封使の歓待芸能として供されたのみならず、琉球の士族社会で共有され、19世紀には村々にも伝播していったこと、古典音楽の普及と共に、琉球の民衆の拠り所となっていった所以はよく知られている。その組踊の胎内から琉球史劇や琉球歌劇が誕生したことはすでに伊波普猷や東恩納寛淳、また當間一郎、矢野輝雄、池宮正治などの組踊研究者が言及して余りある。沖縄芝居への橋渡しの「親あんま」の別れの愁嘆場を描いたワンドンタリー調の舞踊劇があり、時代の波は、日本から輸入された壮士芝居や歌舞伎、新派の影響を受けながら琉球固有の組踊を土台に新しい創作を次々誕生させた。史劇、時代劇などの「沖縄語セリフ劇」から琉歌、掛け歌、つらね、地方の民謡を取り入れた歌劇が誕生した。

 歌劇はいわば総合芸術の最たる舞台芸術(大衆芸能)として明治40年代から大正にかけて沖縄で花開いた。それは儒教道徳の忠・孝が主題だと定評の朝薫の五番の中に炎のようにきらめいている琉球民衆の情(ナサキ)(肝心(チムグクル))が表に身をせり出した世界に他ならなかった。

沖縄の三大悲歌劇は「泊阿嘉」(我如古弥栄作)明治43年初演、「奥山の牡丹」(伊良波尹吉作)大正3年初演、そして「伊江島ハンドー小」大正13年初演の三作品である。悲歌劇とは文字通り悲しい歌劇である。しかし王府時代の父権主義〈身分制度〉の中で愛を貫き境界を超える女性たちが主人公である。そこには近代の象徴としての自由恋愛が脈打っている。悲劇は必ずしも悲しい物語で終わらない。越境する行為と情念は女性たちの主体的な意思が働いているゆえに、たとえ恋煩いの病死(「泊阿嘉」の思鶴)や自殺に至る結末(「奥山の牡丹」のチラーと「伊江島ハンドー小」のハンドー小)であれ、そこに時代の枷を飛び越える強烈な意思が描写されている。これらの歌劇が何度も繰り返し上演される理由は、つらねや歌唱(詞章)の味わい深さだけではなく、人間の情愛(肝心、チムグクル))がそこにあふれているからであり真実(己の真(ま)肝(チム))へ踏み出す勇気ゆえである。それは朝薫組踊五番にもあふれている情の世界そのものである。

【真境名由康と「伊江島ハンドー小」】

真境名由康が「伊江島ハンドー小」を創作、上演するに至るまでの経緯や批評は、すでに池宮正治の「歌劇『伊江島ハンドー小』前史」、仲程昌徳の「『伊江島ハンドー小』の世界―口碑伝説・組踊から歌劇へ」、また大城立裕「『伊江島ハンド小』賛」(共に真境名由康人作品下巻、1990)が詳しい。大正12年関東大震災があった年、辺土名巡業中に真境名は着想を得て翌13年舞台化したとされるこの歌劇だが、名称も「辺土名ハンドー小」から「伊江島ハンドー小」へ変遷があったり、大正五年には中座で「史劇女の執念(伊江島ロマンス)」として上演され、島袋源一郎著『国頭郡史』(大正八年)には詳細な物語が紹介されている。妻子ある男と知らずあの世までの愛を誓った美しい辺土名の娘が、船頭主に頼んで船で伊江島まで渡ったが、信じた男の非情さ、島の若者たちや男の家族からの暴力、言葉による侮辱(サングワナー=娼婦)に打ちのめされ自ら自殺する筋書きだが、その物語の多様なテキストや構造については與儀可奈恵が『琉球アジア社会文化研究』二号(1999)で論じている。

真境名の歌劇が船頭主や従姉妹のマチ小を登場させることにより物語に立体的な膨らみをもたらし、全て口語の歌唱にもかかわらず庶民的なリアリティーを保っているのは、「全20曲に及ぶ曲を細やかに場面に振り分け、口語の琉球語を歌劇のことばに昇華させた琉球歌劇の一つの到達点だ」と、池宮は評価し、また仲程昌徳は「真境名版が不滅になったのは破滅していく女の愛と憎しみとを、もっともよく理解し得る人物を照らし出した点にあった」とする。船頭主への思い入れを大城立裕も「船頭主は観客の代理であり、このキャラクターを着想したところが作者の最大の手柄であった」とする。さらに仲程は「『執心鐘入』が女の執心による破滅を男の側に立つ‘道徳の勝利劇’ として仕組んだことと、全く逆のかたちで、女の側に立った‘道徳の勝利劇’として構成したことで、初演以来空前の大当たりをとげたといえるのではなかろうか」と結論づけている。それを「組踊から歌劇への転換は‘男の論理から女の論理へ’と宮廷劇が民衆劇へ移行したと論じる。果たしてそうだろうか。

【「執心鐘入」と「伊江島ハンド-小」】

骨の髄まで組踊を体得していた真境名が、「伊江島ハンドー小」の創作の際「執心鐘入」の宿の女を念頭においたことは十分に考えられよう。中城若松に運命的な愛を挑んだ宿の女の恋情、情念のドラマは女の思いが物語を前にすすめる。それは全七曲の歌三線の中で、若松の道行の「金武節」を除いて他六曲が宿の女の心象の形象化に他ならず、女の情感そのものが劇的な高揚を生み出している。「執心鐘入」の詞章を見ると縁・悪縁は八回も繰り返されている。『玉城朝薫の世界』の著者犬飼公之は、「組踊のテーマは封建倫理の徳目である〈忠〉〈孝〉が中心でありそれに王府が介入することが強調されている」の大城學や池宮の定義に疑問を呈し、自然の情(ナサキ)こそ朝薫は強調していると論を展開する。そして情念の抑え難さが〈縁〉に結実していると見る。

「深山鶯の 春の夜のごとに 吸ゆる世の中の 習いや知らね」
「 禁止のませがきも ことやればことい 花につく胡蝶 禁止ぬなゆめ」の詞章には自然の情、理があふれている。そして女は命を捨てても男への恋を遂げようとする。「一道」がまた「伊江島ハンドー小」にも登場する。

「里に捨てぃらりてぃ 恨みてぃ焦がれてぃ死なゆいか あぬ舟追てぃ一道なら」と歌うハンドー小。

縁・悪縁が詞章の中で12回繰り返され、情、志情、無情・薄情が22回も繰り返される。加那との愛の真実(幻想)を全実存として生きたハンドー小の目的は一つである。あの世までと誓った愛を確かめ、その愛の真実を貫くことである。それが幻想であったならばすでにして生きている意味はないという悲壮な決意で舟に乗ったのである。宿の女とハンドー小の悲劇的リズムはパラレルである。二人とも境界を超えて異界に飛ぶ。「行逢てぃさみむしか 縁ぬ無んあらば 由や白骨に哀り語ら」は悲愴な決意そのものである。悪縁でも一道になろうと若松を探し求める宿の女のパッションに類似する。「執心鐘入」が男の論理の勝利ではなく「伊江島ハンドー小」が女の論理の勝利でもない。そこにはただ究極的な愛(幻想)の生き死に、エロスとタナトスが波打っている。


【肝の詞章(修辞)の多さー肉体言語】

『伊江島ハンドー小』の脚本には「肝」が26回も表出されている。「肝ぬ忍ばりみ」、「真肝染みなちん」、「肝不思議」、「肝ふがち」、「肝浅二才小」、「肝苦りさ」、「肝知らん」、「肝ん肝ならん」、「良い肝とぅめーてぃ早く来―よーやー」などの表現はいかに琉球・沖縄の情感が肝の表現に依拠しているかが見えてきた。「肝」は即「心」ではなく、痛みを自ら全身全霊に感受しえる感性がまとわりついている。肉体化された言語イメージ。

そこで朝薫五番を見てみると、
『執心鐘入』
「わ肝ぐれしゃ」(気の毒、かわいそう)

『二童敵討』
「肝障り無らぬ」(心にさわるものはない)と「肝に思染めて」(心にしかと留めて)

『銘苅氏』
「肝暮れていきゆん」(心ふさいでいく)、「肝ふしと思て」(不思議に思って)、「我肝さらめ」(我が心のなせるわざなのに)、「ああ、肝もきもならぬ」(ああ、心も心ならず)、「肝もきもならぬ」(苦しみばかりつのり)、「肝に思染めて」(心に強く思いそめなさい)、「わ肝さらめ」(我が心の動きなのだから)、「肝に思留めて」(心に深く思い留めて)の八カ所。

『女物狂』
「肝迷てぃきゅん」(理性を失っていく)、「肝も肝ならぬ」(気が気ではなく)二箇所、「肝ふれて居ゆん」(気が狂れている)二箇所、「肝ぐれしゃあてど」(気の毒なので)の六ケ所。

『孝行之巻』
「御肝ある御主の」(慈悲深い王様の)、「肝とめておがめ」(打ち揃って拝め)、「肝揃て拝め」(心合わせて拝め)、「いきやる事あとて、肝ほこりしゆゆが」(どんなことがあって嬉しがっているのか)、「肝のあるものや」(人を気の毒と思う者は)、「朝夕肝盡ち」(朝夕心を砕いて)、「肝ふれて居ゆめ」、「肝ほこりめしゃうち」(お喜びになられて)、「わ肝つまち」(私に辛い思いをさせて)、「肝留めて拝め」(心に留めて拝聴せよ)二箇所、「肝揃て拝め」(心を整えてしっかり拝聴せよ)二箇所、「このわらべ肝や」(この娘の心は)、「肝のあだなゆめ」(心掛けがあだになることがあろうか)の15箇所。

『手水の縁』
「肝ぐれしゃあても」二箇所、「肝急ぎ歩で」二箇所、「細く黒肝に」「肝のしのばらぬ」二箇所、「御肝取直ち」の八ヶ所。

『忠孝婦人』
「わ肝ほれぼれと」「肝もきもならぬ」「肝おすて行きゆん」(気が遠くなっていく)、「肝の儘ならぬ」(思う通りにいかない)、「わ肝しのばらぬ」二箇所、「肝に肝添えて」(念を入れて心強く)、「何の肝あとて」(どんな思いで)、「我肝落付ちゆて」(心を落ち着けて)、「肝や一つ」、「肝の上の事や」(心の上の事は)、「肝儘く外の」「肝ぬるさしちをて」(気長くつづく)、「肝のしのばらぬあてど」「肝にひしひしと」「肝願よしちょをて」「肝のあく儘や」「天の御肝」(上様の御心に)、「肝割れて實に」(心を開いて、うちあけて)、「お情の御肝」、「おの御肝きやさや」(その御心付け)、「とくと肝居せて」、「眞肝打割れて」(真心うちわけて」「人の肝の」二箇所、「我肝どもくいらば」(我心さへくれたら)、「我肝明け明けと」(我が心を明らかに打ち明けて)、「肝のあくまでや」(附に落ちるまで)、「御肝ちゃさあらば」(心苦しいので)、「肝ふれて居たら」(気が変になっていたろう)、「人の肝儘くち」(情を尽くして)、「肝も添へて」(心を添えて)、「わ肝やすまらぬ」(心が落ち着かず心配だ)、「かながなしい肝の厚しゃつところから」(愛らしい正直なところから)、「肝勇み勇で」(勇気をもって)、「肝合ちをれば」(心をあわせていれば)など重複も含めて39ヶ所。

《肝の修辞》が朝薫五番から「忠孝婦人」まで 数多く表出されているのを検証してみて、いかに大正13年に誕生した「伊江島ハンドー小」が組踊の情の世界、肝心を継承しているかが見えた。詞章から組踊の系譜がたどれる。と同時に真境名の組踊の継承・発展の志がそこからも伺える。

【見所、聞き所】

口語表現で細かい音楽の選択がなされていて、まず冒頭のハンドー小とマチ小の歌掛けのような歌唱のやりとり、そこに船頭が絡んでくる3人の歌唱・談話は聞き所である。また伊江島の村人たちの「ヨイヨイ」は悲愴な決意のハンドー小を粗暴に扱うのだが、軽快なリズム・郡舞が楽しめる。そして圧巻なのが、加那とハンドー小の再会の場である。必死に愛の真実を問い糾すハンドー小の命がけの訴え、それに続く島村地頭代の無残な仕打ち、城山での入れ髪自殺の場面は、その覚悟の自死の壮絶さに息を呑む。大正13年の初演はハンドー小(玉城盛義)、加那(伊良波尹吉)、マチ小(儀保松男)、船頭主(多嘉良朝成)で、その後真境名由康が船頭主を演じ、戦後は、船頭(真喜志康忠) 、ハンドー小(兼城道子)、マチ小(伊良波冴子)で1968年、東京の国立劇場で上演している。

「伊江島ハンドー小」は、大正13年の初演時、第5幕の城山の場面で幕を降ろしたが、結末に納得がいかない芝居フアンのハンシーやアンマーたちの意見で、その後第六場が付け加えられたという。その島村地頭代の家の場面は台詞だけで大詰めを迎える。ハンドー小の怨霊の登場と復讐の顛末はそれに至る島村家の肝薄情ぶりを因果応報としてつじつまを合わせている。 組踊の仇討ち物と構成的には似てくる。観客はハンドー小の恨みが晴らされてカタルシスを覚えたのである。

平成16年、八木正男が国立劇場おきなわ開場記念公演として演出した時、亡霊になったハンドー小が肩にかけた入り髪で加那もまた自殺させている。ハンドー小を何度も演じてきた瀬名波孝子によると1952年頃沖縄座が旗揚げした時、真境名もその演出で納得したという。国立劇場で招聘公演された後、同じ演出は見たことがない。瀬名波孝子、加那役久高将吉 、船頭主仲嶺眞永、その道ベテラン沖縄芝居役者の歌唱の個性に魅了される。

【若手の演出、出演への期待】

今回若い沖縄芸能伝承者を中心にキャスティングがなされている。演出は伊良波尹吉の孫伊良波さゆき、演技指導は尹吉の娘伊良波冴子。ハンドー小は劇団「うない」の花岡尚子、マチ小は知念亜希、船頭主は「十六夜朝顔」の作者嘉数道彦、若さあふれる。伊良波の演出は、八木と異なり、加那を生かす演出である。1979年の手法を踏襲している。そこが大きな違いであろうか。愛と死、真実と不実、天と地の鏡、「人の上や情」「肝(ちむ)美(ちゅら)さ」、この普遍的な主題がどう舞台で花開くか楽しみである。  

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6月9日、10日、国立劇場おきなわで「伊江島ハンドー小」が上演されます!
ウチナー歌劇の歌の味わいは格別です。ぜひご覧ください!

上記は解説の一部ですが、『華風』はもっと丁寧に提示しています。これは一部付け加えています。

肝のことばの事例をそのまま例示してみました。儀間進先生も那覇市文化協会の「うちなーぐち」部会でこころと肝は違うとお話されていて、いくつか例をしめしてくださいました。肝はいわゆる肝臓ですよね。心臓ではないですよね。そのへんが興味深いですね。肉体言語の強烈さを感じます。

これは50枚ほどの論稿をさらに短くしたものです。「組踊の系譜~琉球歌劇「伊江島ハンドー小」-「縁」「情」「肝心」の世界」 『組踊の系譜ー朝薫の五番から沖縄芝居、そして『人類館』へ」の報告書をご覧ください。県立図書館や那覇市立図書館から借りることができます。那覇市立図書館は三冊献本したのですが、当時の館長と担当者が処分したようです。琉球大学図書館と浦添市民図書館にも献本していますので、そちらにはきちんと所蔵されているかと思います。そちらからどうぞ。詳しい論稿になっています。なぜ那覇市立図書館が貴重書として書棚に並べなかったのか、当時の担当者にお聴きしたいです。あの献本の三冊は今どこにあるのかとー。


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