
(ガジュマルの木にはキジムナーが住んでいるのだね。ネームカードを蔽い尽くす命がみなぎっている!凄い!)
しかしプロジェクトや企画の書類を仕上げるのはたいへんだけど、面白いとは思う。けっこう準備が必要だ。A Chinaman's chance of success,
だから、企画が通るとは限らない。しかしそこに集中して思考をねじりこむのは悪くないね。これが終わったらまだ終わらない大きな論稿に向き合わないと厳しいのだが、厳しくとも前に進まないとね。二学期が始まって、はやく本題に移らなければと思いつつだが、英文論稿の修正とチェックもあったし、日本語の論稿も一つはきちんとした物を月末までには出したい。幸い読んでくれた言語研究の方が二つの論を読んでレスしてくださった。近くの知人に感謝。アメリカ人が書いた伊波の翻訳のような英文論稿も一緒に検討することができそうで幸いだ。
ということでブログ更新する余裕がないままに書類とまだにらみ合っている。一応挑戦した。11月が来るとすぐ大晦日の『雰囲気』だね。緻密な研究をしている若者たちの姿はたのもしい。詩集を出したい。写真と詩集、永遠のLOVE song?!蝉の雄たけびのように鳴いて果てる命のサイクルは詩そのものだね。最近キャンパスの若者たちが綺麗に見える。澄んだ観念が身体に付着しているのだろうか?それとも透明になっていく肌色の脱色だろうか?生きているだけで幸せさの歌がどこでも聞こえている、聞こえないが聞こえてくる世知辛い世の中でもあるのかもしれない。
足元は寒い。寒くても寒くならないのはパッションとパトスだけかもしれないね。生きている間のパトス、君のあなたのパトスはどのへんにあるのかな?