
真喜志康忠氏を偲ぶ会の前に、仏前に線香をあげ、奥様の八重子さんやご長男、ご次男のみなさんと話がはじけた二時間余、テレビ局の追悼記念番組や氏の代表的なお芝居、「与那原の浜」や「按司と美女」やそのほか、独自に記録されていた映像など見ながらただお話に合図を打ちながら耳をかたむけていた。鋭い動きの阿麻和利の演技に惹きこまれた。ウチナイキガの矜持がその演技から迫ってきた。
その後、女優の家で「復員者の土産」を見ながら偲ぶ会をもった。これは終戦後の冲縄を描いた戦後冲縄芝居の傑作だと言えよう。改めて録画をみながらそのペーソスや夫婦のことばのやり取りに面白いと思った。久米ひさ子さんの高校生姿のセーラー服も愛らしく、戦争直後の悲哀と再会、家族の思いの渦が笑いの中で伝わってきたのは確かだ。軽妙なウチナーグチのやり取りに快適なリズムがあり、ウチナーグチが泥船ではなく琉球語として、いわば独立言語だとの認識の現在として、真喜志康忠氏に舞台に立ってほしかった。
日本への同化の過程で自文化を否定する風潮にあって、かたくなに芝居に舞踊にこだわった役者魂がそこに漂っている。
真喜志康忠氏が琉球舞踊に優れた方であったことは氏の「浜千鳥」や「鷲の鳥」の踊の映像が直裁に実証している。氏の踊の軽やかな身のこなし、動きに目を惹きつけられた。「復員者の土産」は、氏のシベリア体験や、実際に戦後焼け野が原の冲縄に戻ってきた親を失った子どもたちの姿があったのだ。八重子さんとのウチナーグチのやり取りの軽妙さも笑いを誘う。来年は公に『真喜志康忠を偲ぶ会』を開催したいと思う。今回は選挙とのも重なりなどもあり、企画に躊躇した。でも来年、再来年と偲ぶ会を開催するプロジェクトをたちあげたいと思う。