志情(しなさき)の海へ

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4月1日は、また早稲田へ。入学式で学生があふれる中演劇博物館、そして新作組踊「花の幻」へ!

2012-04-03 07:24:38 | グローカルな文化現象
                  (花の幻の舞台から、三線が引き継がれる!)

演劇博物館で展示を見て後、少し資料のリサーチができた。昨年も3月に「八月十五夜の茶屋」関連のリサーチをしたのだった。その後に東北大震災がやってきたのだった。雅恵殿と落ち合っていっしょに世田谷パブリックセンターへ地下鉄で向かった。幸喜良秀先生と沖縄芝居実験劇場初期から応援をされている田中英樹さんが入口に立っておられた。雅恵殿は3月25日、沖縄まで来て舞台を見て、二度目である。パネルの発表のためにどうしても見る必要があったが、それで新作能との比較研究の発表は膨らみができた。

観劇されている方々の中には早稲田のシンポジウムに参加していた海外からの研究者や早稲田の沖縄研究所の関係者、東京で琉球・沖縄芸能の継承と発展に取り組んでいる方々、志田先生など、他沖縄出身者、書店の方も。

法政大学沖縄研究所所長屋嘉先生、早稲田沖縄研究所所長の勝方先生ご夫妻など、三日間のシンポジウム参加者の応援もあったことは確かで、30日に小熊講堂での「花売りの縁」のワークショップの宣伝効果もあっただろう。

『花の幻』を見た後で文化庁の吉田さんと立ち話をした。彼女は気さくな方でお話は弾む。最近はいろいろ論議がさかんですね、で組踊のことや新作作品のことで盛り上がった。舞台の感想なども含め、なぜXなの?とジェンダーがらみの話題も、雅恵殿と3人で楽しく笑いの華の中にいたら、どうも打ち上げのささやかなパーティーが開かれ参加した。幸喜先生は最終便でお帰りなのか、参加していなくて残念だった。でもお能の清水先生の乾杯のあいさつの後、ことばは走った。大城立裕さんは律義な方で、空港まで見送りに行けなかった代わりにお手紙を託されていて、それを田中さんが代読した。

ところで打ち上げ会に参加されていた法政大学沖縄文化研究所所長の屋嘉宗彦先生が東京で那覇言葉を教えておられるという事は興味深かった。経済思想史がご専門でお父様は古典音楽の名演奏家で有名な方である。こしてこの大都会で沖縄の歌・三線やことばが継承されているという事は湧き水のような新鮮さを感じた。クロージングの報告についても納得がいくご感想だった。共通項が感じられたことがなぜか嬉しかった。つまりーー、それにしても知識人の知的、思想的(?)ことばのバトルは悪くはないのだろう。

例えば島袋まりあさんがクロージングでカマドー小の「基地は県外へ」の運動を支持し、つま知念ウシさんたちのスタンスを支持し、一方で県外移設の主張をするウシさんたちを批判する若林千代さんのスタンスを逆批判するということば(最近は言説などという)など、その根拠を彼女は話してはいた。復帰論と反復帰論が相互補完的な関係にあるとの指摘なども興味深かったが、5人の登壇者の中で唯一の女性ゆえに、さらに関心は高まったのかもしれない。ポスト・コロニアルの雑誌の特集でも彼女のエッセイや論議のコメントを読んだことがあったが、(どうもそれは、姜尚中さんが編集した知の攻略4ポストコロニアリズムだったようだ。今確かめた)それ以来まりあさんの名前はインプットされている。赤ちゃんを抱いた姿を見かけた。母であり研究者・教育者、政治アクティビストであるというのは大変そうだが、でも関係性をトータルに生きながらことばにまた形を与えるお仕事で、恵まれた環境であり、スクブンを生きているのだと言えようか。ジュディス・バトラーの言葉を引用して話していたが、CAの大学で教壇に立っているのらしいバトラーさんがある意味においてまた身近に感じるモメントでもあったようなーー。

「花の幻」のコメントは遠くなった。なぜか何もここに書き止めたくない。すでにパネルの発表でも取り上げたので、もう少し論としてまとめてみたいと思う。海外から復帰40年記念シンポジウムに参加して観劇までしたメンバーの感想など聞きたかった。


(嘉数さんは司会で、若々しい青年の姿、手前は田中先生)


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